Go-21

このページは、これまで当会のMLにて紹介していました「Go-21湘南便り」をリニューアルして当地
湘南の様子をビジュアルにお送りします。私のみならず湘南に想い出がある方やこよなく愛でて下さ
る方の寄稿を歓迎いたします。                                  世話人敬白
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2002年9月8日

          湘南便りその53:鎌倉散歩第26回

    
  再び石窯ガーデンテラス

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さて、喜泉庵をあとにした我々一行は、ワビサビ漂う枯山水の庭や、墓地販売中
の看板などを横目で眺めながら、えっちらおっちら山道を上がって行きました。

すると行く手に枕木でイマ風にしつらえられたアプローチが見えて来ます。そこ
こそが、お目当ての石窯ガーデンテラスです。

ここは大正11年に建てられた、当時の貴族院議員のお屋敷だった所だそうで、素
朴な中にも繊細さを秘めた外観や、高窓にはめ込まれたステンドグラスが、大正
浪漫華やかなりし頃を思い起こさせます。

この1階部分を改修したカフェレストランが「石窯ガーデンテラス」です。目の前
は山桜の季節には山全体がピンクに染まるという衣張山、眼下には鎌倉の街並み
と、庭に張り出したテラスでくつろぐ時間は飽きることがありません。

石窯の工房で薪を燃やして焼き上げる自家製パン。ホップ種が使用されていて、
素朴でおいしいと評判。また、どのメニューも彩り鮮やかで、優美な景色にぴっ
たり。四季の訪れを静かに味わい、感じられるレストランです。

ここのメインは紹介した通り石窯の工房で薪を燃やして焼き上げる自家製パンで
すが、以下に主なメニューを紹介します。

☆食べ物
・石窯パンとチーズのセット 600円・ハムとチーズの盛合わせ 1000円・サンド
ウィッチ各種 800円・ハンバーグシチュー(パンorライス付)1200円・ビーフ
シチュー(パンorライス付)1500円・カレー 1000円〜・サラダ 400円〜・石窯
パン盛合わせ 300円ほか
★飲み物
・コーヒー、カフェオレ、カプチーノ、紅茶等500-700円・ビール 600円・ワイ
ン グラス500円ほか・ハーブティ各種 600円 ・ブレンドハーブティ各種 700円
ほか

また、シェフのスペシャルランチ2200円、さらにコース料理(イタリアンで
3000円から)まであり、昼間だけの営業が残念なくらいです。
パンはテイクアウトも可能です。

ここを訪れるには、バス停・浄明寺下車。浄妙寺境内を通るので拝観料100円
が必要です。

午前10時〜午後4時30分ラストオーダー。月曜定休(祝日の場合は火曜休)。
休日は込むので平日がお勧めです。TEL 0467(22)8851

このガーデンテラスのお洒落な佇まいは鎌倉を訪れる女性客の新名所になってい
るようで今回のグルメツァーに参加されたT女史からは「こりゃあ、女・子供は
喜びますよ!」という言葉が発せられました。


鎌倉の金沢街道を中心とした散策コースはここをメインに計画することをお勧め
します。



ガーデン側から見た建物です。



注文したイチゴのタルトです。



玄関前で記念撮影です。



2002年8月25日

           湘南便りその52:鎌倉散歩第25回

    
    浄明寺「喜泉庵」

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少し更新の間隔が空いてしまいましたが6月1日に実施したGo-21鎌倉グルメツァ
ーの報告を続けたいと思います


園寺を出た我々は、今回参加してくれた女性のために取って置きのところに案
内することにしました。既にこの湘南便りでは紹介しているのですが、改めて浄
明寺にあるお勧めのスポットを紹介することにします。

園寺から鎌倉宮まで戻ってタクシーを探したのですが見つからず荏柄神社まで
行きそこから金沢街道をてくてく歩いて浄明寺へ向かいました。

浄明寺「喜泉庵」

今、巷では中国茶を点てて楽しむことが ちょっとしたブームになっていますが、日本に
も ご存知の通り茶道があり、お茶を点てて楽しむことは、ずっと昔から日本人が親しん
できたものです。

茶道というとちょっと堅苦しい感じがしますが、浄妙寺の境内にある「喜泉庵」は誰でも
気軽にお抹茶が楽しめます。
 
「喜泉庵」のある浄妙寺は鎌倉五山第5位 の寺格を もつ、足利義兼公が建立した臨済
宗建長寺 の流れをくむ古刹です。境内に入り茶堂「喜泉庵」に向 かう途中には、(花の
供養の為の)花塚や、手入れの行き届いたお茶の木の道があります。
 
江戸時代の家屋を移築して建てられた「喜泉庵」に 入り、お金(一人500円)を払うと、朱
色の毛氈が敷かれた茶堂へ通 されます。
 
お茶を待つ間に、目を外に向ければ手入れ の行き届いた庭がやさしく語りかけてくるよ
うでまるで、1枚の絵のように美しい風景に見入っていると、 時間は止まったかのような
感じをおぼえます。

しばらくして「お運びさん」がお抹茶と足利氏の 家紋、丸の三引きが入ったお菓子を運
んできます。

お抹茶を作法に従いつつ、口に運べば、お抹茶の香りが心地良く、またほろ苦いけれど
嫌みのない 味わいが気分を引きしめてくれます。

当日は流石に土曜日のせいかお客さんが入れ替わり立ち代りといった感じでしたが、外
人さんの一行も訪れていて、神妙な表情でお茶を楽しんでいました。日本文化の一端が
解ってもらえたでしょうか?

風の歌を聞き、枯山水の庭を目で、お抹茶の 香りと味わいを楽しむ。そんな五感で楽し
める和式 ヒーリングを楽しみにあなたも「喜泉庵」を訪れてみてはいかがでしょうか。




「喜泉庵」の枯山水の庭です。訪れる人は多いのですが
ここには静寂があります。



お運びさんがやってくる前に記念撮影です。
大幹事はお疲れ気味のようです。



2002年7月21日

           湘南便りその51:鎌倉散歩第24回

       
   覚園寺

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覚園寺は、鎌倉宮から左手に約10分ほど歩いたところにあります。
(距離は約0.6km)

このお寺は、決められた時間にお寺の方の案内に従って拝観することになっていま
す。(原則10時,11時,13時,14時,15時の一日5回で、拝観料は30
0円です。)

覚園寺は、北条義時が建立した大倉薬師堂が始まりで、北条貞時が永仁4年(12
96年)に開山したお寺です。なお内部の写真撮影は、禁止されているので、外か
ら写真を撮るしかありません。

境内に入り、案内の方の先導で、薬師堂、十三仏やぐらなど各所の説明を受けなが
ら約40〜50分かけて拝観します。また拝観中には、大変ためになる話(説教)
も聞けますので、たまにはこういうのも良いのではと思いました。

以下に、お坊さんの案内の一部を紹介します。

○お坊さんの案内

所要時間は約50分ですが、一ケ所でもっと観たいと思っても出来ません。

■お坊さんから最初に、

『この寺は明治になってから真言宗になったもので、それ以前は種々な宗派であっ
た為その名ごりが残っている。』との断りがあり、そのためではないでしょうが鎌
倉でこれ程多くの種類が集まっている寺はない、との事。

柵に入る前に愛染堂のお像の説明があるのですが、遠方からの拝観ですからよく分
かりませんでした。(お像は未公開)また敷地は広く、建長寺に隣接していると聞
いて驚きました。

■柵内に入ってまず感じますのは、うっそうとした樹木、遠望して目に入るのは山
並みばかりでここは山深いお寺だ言う実感と、その静寂さです。それに包まれて本
堂の薬師堂があります。

■薬師堂正面には本尊の薬師如来像、脇侍の日光暮薩・月光暮薩、左右には十二神
将像が六体ずつ安置され、その堂々とした体躯には圧倒されます。

このお堂の中は土色で、外の鬱蒼とした緑とは対象的な別世界に入った錯覚を覚え
ます。内部の壁も土色ですが、ひときわ薬師像・両暮薩さまは全身土色の化粧をし
ている様です。
嘗っては、きらびやかな装飾を施されていたのでしょうが、数百年の歳月の間に余
分なものは捨て去り本当に必要な最小限のお姿を晒して......と無言の語りかけで
迫ってきます。

この三像は国の重要文化財となっている宋風の仏さんです。それは衣(衲衣―ノウ
エ―)をだらりと下げているからですが、蓮弁の台坐からも垂れ下がっているので、
「垂下の仏」と言う説明でした。
言われて良く拝観しますと、普通観る仏さんとはどことなく違って異国の感じがす
る顔立ちですが、私には現代的な美人にも見えました。

本堂にはこの他、右奥に阿弥陀如来像(‘鞘阿弥陀’、右脇に鎌倉特有の土紋装飾
が見られる。)や月光暮薩の前方には、‘おびんづる尊者’の像が安置されてます。
このお像は自分の体の悪い所(例えば腰など)があれば、お像の腰をなでると治る、
と言われているそうで皆がなでたため体中が光ってました。

お坊さんの話では、あの川端康成氏が上記の鞘阿弥陀がとてもお好きだったそうで
亡くなる三日前にこの本堂を訪れてこの仏様の前で暫く佇んでおいでたそうです。
何か心に期するものがあったのでしょうか?


天井には大きな竜の絵が描かれ、その両わきの梁の銘には‘文和3年(1354年)足
利尊氏が再興した’事が書かれてます。

■次に案内してもらったのは、茅葺の旧内海家住宅。江戸中期の上層農家の家を復
元したもので智恵文殊暮薩が安置されてます。ここでお坊さんより、

茅葺きの家は人が住んで煙をたいていれば七十年はもち、茅葺きは七十年に一度で
いいが、ここは火災報知器が設置されていて煙を出せない(県重文のため)。その
為三年位で駄目になる。

■最後はこじんまりした地蔵堂に安置されている黒地蔵。
右手に錫杖、左手には宝珠をのせ典型的なお地蔵様です。木造で彫刻的にも優れて
いるそうですが、よく分かりませんでした。
全体的に黒っぽくその上時間があまりなくて良く拝観出来なかった事もあります。
ここでお坊さんから、
三途の川とは、川を渡るのに1)浅い箇所、2)深い箇所を歩いて渡るか、それとも3)
船で渡るか、の三通りあるから。
初七日から三十三回忌までの十三回の忌日には各々の仏様が十三おられる。(例え
ば三回忌は阿弥陀如来。)法要の事を‘追善供養’と言うが、その意味は
『我々がこの世(此岸)で善い事を行い、その事を仏様に報告、法要の度に追加し
てもらう。そうする事で彼岸に行った人の冥福を祈ることが出来る。』など仏教と
日常生活の関わりについての話しを聞きました。

お堂の前に、『そで振り合うも他生の縁』と書かれた看板があります。お坊さんか
ら‘多生’ではなく‘他生’が正しいと言われました。
【他生:現世(今生)以外の前世(前生)、来世(後生)の事】
このお地蔵さんは子育て地蔵としての信仰があり、8月10日の縁日はたいそう賑う
様です。

このお寺は季節折々の花で有名で、場所を移動する道すがら、珍しい花を教えても
らいました。

☆玉アジサイ:直径1cm位のつぼみが弾けて開く大きい花。
☆サクラ升麻:細長い茎に沢山の白い花。根は解毒、解熱剤。
☆ジンジャー:葉はショウガに似た白い花。香りがいい。
☆トリカブト:鶏のとさかの様な紫の花。
覚園寺は仏像の他に折々に咲く草花も多い様です。
お坊さんが言うには、春は梅とアジサイ、秋はモミジ、冬至の桜、がいいとの事でし
た。

私としては写真を撮らせてもらえなかったのが残念でしたが、案内のお坊さんの薀
蓄を聞くだけでもここを訪れる価値があるのではと思いました。


 

左が覚園寺山門で右が愛染堂です。



境内で記念撮影です。



2002年7月14日

           湘南便りその50:鎌倉散歩第23回

       
   鎌倉宮

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今回から、6月1日に実施しましたGo-21鎌倉グルメツァーの報告をいたします。

ちょっとこれまでご案内した場所とダブルところもありますがご容赦願います。

当日、お昼過ぎに鎌倉駅の東口に集合した我々は、一番安直な方法であるタクシー
で鎌倉宮までやって来ましたが、普段私なんかは徒歩で行くか、鎌倉駅から京急バ
スの大塔宮行きのバスを利用します。そうしますと10分くらいで到着します。

今回はこの鎌倉宮を紹介したいと思います。

鎌倉宮は、後醍醐天皇の第一皇子であった大塔宮護良親王(おおとうのみやもりな
がしんのう)を奉った神社です。

護良親王は、僧となってその門室を大塔といったので大塔宮と呼ばれました。親王
は、天台座主ともなりましたが、まもなく辞めて、後醍醐天皇の計画に加わり還俗
して護良と改め、千早城の楠木正成と呼応して吉野城に北条氏の軍勢を悩ませ鎌倉
幕府打倒に貢献しました。

このとき古来からの厄除けのお守りであった獅子頭を護良親王は、兜につけていた
そうで、今では災いを避け幸運を呼ぶお守りとしてここ鎌倉宮で売られています。


親王は、建武の新政では征夷大将軍となりましたが、しだいに尊氏と対立を深め、
尊氏を討とうとしたために1334(建武元)年、捕らえられて鎌倉に流されました。
鎌倉では、現在鎌倉宮のあたりにあった東光寺に幽閉されていましたが、1335(建
武2)年北条時行が鎌倉に乱入した中先代の乱の際に鎌倉にいた足利直義(尊氏の
弟)が家臣の淵辺義博に命じ護良親王を暗殺してしまいました。享年26歳でした。


ところで鎌倉宮は、鎌倉の神社にしては新しく明治2年(1869年)に護良親王
の非業の死に思いをはせた明治天皇が建立されたのだそうです。鎌倉宮という名前
も明治天皇自らがつけた名前だそうです。天皇家とは所縁が深く毎年天皇家がお参
りにお見えになることでも有名です。

鳥居をくぐり、まずは拝殿にて参拝をします。
御本殿の裏手には、御祭神である護良親王が約九ヶ月に渡り幽閉された土牢がある
とのことで、受け付けにて拝観料を納めて見に行くことにします。拝殿、本殿を右
手に見て本殿裏手、若干高くなった場所にたどり着きます。そこには、柵にて閉ざ
された土牢があり、柵の隙間より中の様子を垣間見ることが出来ます。土牢の内部
は、1灯の白熱灯によって照らされていてある程度の様子が分かるようになってい
ます。見た感じ、随分と広さがあるのが分かりますが、これが600年以上も前に
掘られたことを考えると、驚くばかりです。広いとはいえ、この閉ざされた空間に
約9ヶ月も幽閉されていた護良公のことを考えますと厳粛な気持ちになります。

土牢を見終えて神苑を周り、元は明治天皇の行在所であった宝物殿を見学、神札授与
所にて「鎌倉宮」のお守り『獅子頭』を見て、「鎌倉宮」を辞しました。





左:石の階段を上り鳥居を潜った正面が拝殿です。 右:護良親王幽閉伝説の土牢です。



中庭で記念撮影です。