Go-21

このページは、これまで当会のMLにて紹介していました「Go-21湘南便り」をリニューアルして
当地湘南の様子をビジュアルにお送りします。
私のみならず湘南に想い出がある方やこよなく愛でて下さる方の寄稿を歓迎いたします。
                                             世話人敬白

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2006年10月08日

               湘南便りその150

         
鎌倉ハイキングコースU

             源氏山界隈ハイキングコース

                    第24回
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24.【葛原岡ハイキングコースその2・天柱峰】

 葛原岡ハイキングコースに入り、しばらく歩くと石碑と五層の塔が立つ天柱峰に到着
 します。

 
この場所は、鎌倉時代の末期、五山文学の推進に貢献し、浄智寺の住職ともなった
 明の高僧、竺仁梵僊(じくせんぼんせん)が好んだところです。天柱峰の碑は、竺仙
 が著した詩集『天柱集』にちなみ建てられました。

 天柱とは天を支えている柱のことで、転じて世の中を支える道義も意味します。
 
 現在、この地には木々が鬱蒼と生い茂っており、かつての眺望はありません。

 さて、長らくお付き合いいただいた源氏山界隈ハイキングコースは今回でおしまいで
 す。次回から、新たなコースを紹介しますので、お楽しみに!



こんなところをどんどん歩いて行きます。



ここが天柱峰です。



笠僊梵僊和尚は元の来朝僧なり建武元年浄智
の詔を受け天柱峯下に楞伽院を剏し興国二年
_を奉じて南禅に住す正平三年病を以て事を
謝し再び楞伽院に回りて寂す全身を最勝塔に
葬る語録天柱集は五山文学の白眉と称せらる
                 楞伽院常住 笠僊



岩場が終わり民家が見えてきたら浄智寺です。




2006年10月01日

               湘南便りその149

         
鎌倉ハイキングコースU

             源氏山界隈ハイキングコース

                    第23回
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23.【葛原岡ハイキングコースその1】

 前回まで大仏ハイキングコースを紹介しましたが、今回から葛原岡ハイキングコース
 を紹介します。

 
葛原岡ハイキングコースは、先に紹介した葛原岡神社から浄智寺に至る約1kmのコ
 ースで、約30分で歩くことができます。このコースは、周りを木々に囲まれ、ところど
 ころ視界が開ける程度で、 少々傾斜のきつい上り下りがありますが、距離的にも家
 族連れでお手軽に歩けます。

 鎌倉のハイキングコースは「シーツのしわ」のようだといわれます。その心は「細くて
 低い」だそうです。 

 確かに鎌倉の山はどれも低いのです。

 衣張山 120m
 鷲峰山(じゅぶせん)127m
 源氏山 92.6m
 天台山 141m
 六国見山 147.39m
 大平山 157.7m
 
 とはいえ、なめてかかると酷い目に合いますので注意が必要です。
 



これは葛原岡公園で春に撮った写真ですが、何だか春と秋(ツツジとカエデ)が
混在したような雰囲気です。



ここがコースの出発点です。左手に葛原岡神社があります。



2006年09月24日

               湘南便りその148

         
鎌倉ハイキングコースU

             源氏山界隈ハイキングコース

                    第22回
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22.【大仏ハイキングコース補足その1・さてコースへ】

 前回、紹介した大仏坂体育館の直ぐ横に長い階段があります。この階段がハイキン
 グコースの入り口になります。

 大仏ハイキングコースは、住宅地に程近いにもかかわらず、まったくの山の中のよう
 な風景を楽しめてちょっとした山に遠出をしたような気分を味わえるコースです。

 しかし、アップダウンは比較的少ないものの歩きなれない人には結構厳しい箇所もあ
 ります。特に雨の後や道が湿っているところは滑りやすいので、注意が必要です。



この階段が大仏ハイキングコースへの入り口です。
左のトンネルは大仏坂トンネルです。



大仏坂トンネルの上から鎌倉方面を望む



結構キツイ登りを上がると分岐に出ます。
源氏山方面は右です。



しばらく進むと佐助稲荷神社への道標があります。
右手に下りて行くとこのシリーズ最初に案内した佐助稲荷神社に出ます。




2006年09月17日

               湘南便りその147

         
鎌倉ハイキングコースU

             源氏山界隈ハイキングコース

                    第21回
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21.【大仏ハイキングコース補足その1・大仏坂体育館】

 さて、収玄寺を出て県道32号線を藤沢方面に進みますと直ぐに右手に長谷観音の
 入り口があります。長谷寺については、その88と89で紹介しましたので今回は省略
 しますが、この入り口前をさらに進んで長谷の大仏を過ぎて大仏坂トンネルに入る
 直前、右手に茶色い外壁の古い建物が見えてきます。

 昼間は人けが無く薄気味悪いので廃屋だと思っている人も多いようですが、少し前
 までは、この建物前を夜通りかかると剣道やフェンシングの練習が行われていて、
 漆黒の闇に浮かび上がる凛とした剣士の動きは、それはそれは幻想的で鎌倉らし
 い美しさがありました。

 この古い建物は「大仏坂体育館」という鎌倉市の体育館でしたが、今年3月、あまり
 注目されること無くひっそりとその使命を終えたのです。

 大仏坂体育館はスクラッチタイル張りでおよそ体育館らしからぬ姿です。
 明治や大正の近代建築のように厳めしくて重厚な外観です。
 
 この建物は、元々は県営水道(上水道)の加圧ポンプ場として造られ、相模川から
 送られてきた水に、更にここで圧力を加えて横須賀や逗子方面に送り出していた
 中継施設でした。

 県営水道が発足したのがS8年、通水開始がS11年。この建物はS10年頃の築と
 思われますが、ポンプ場はその後何らかの理由で使用されなくなり、 鎌倉市が県
 から建物を借り受け体育館に転用して市民のための運動施設として余生を送るこ
 とになりました。

 時は流れ、近年山崎に立派な「鎌倉武道館」が完成しました。
 長い間鎌倉市民に運動の場を提供し続けてきた大仏坂体育館はやがて顧みられ
 なくなって、老朽化のため使用中止となり、今皆の記憶の中からも消えようとして
 います。

 この体育館がこのまま解体されてしまうとしたら大変惜しいことです。再度の復活
 を願ってやみません。
 



途中、高徳院(鎌倉大仏)前を通ります。



県道32号線をさらに進むと大仏トンネルが見えてきます。



これが大仏坂体育館です。
なかなか趣のある建物です。




2006年09月10日

               湘南便りその146

         
鎌倉ハイキングコースU

             源氏山界隈ハイキングコース

                    第20回
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20.【大仏ハイキングコース補足その1・収玄寺】

 江ノ電長谷駅で降りて長谷観音方面へ向かう途中に、いつも花が綺麗なお寺があり
 ます。正直言って、いつもは先へ急ぐため素通りしてしまうのですが、今回はじめて
 収玄寺を訪れてみました。

 収玄寺は日蓮宗のお寺で、「捨身護法(しゃしんごほう)」「法華色読(ほっけしきどく)」
 の霊地として四条金吾の屋敷跡に建立されました。

 四条金吾頼基とは第二代執権義時の孫・江間光時の家臣だった人物で、日蓮宗立
 宗当初からの門徒でもあった人物です。
 
 四条金吾は、文永8年(1271)9月、日蓮捕縛の報を受け、自らも切腹覚悟で龍ノ口
 刑場に向かったという信心の篤い人物だったといわれています。
 



収玄寺正門です。
ここは交通量が多く車に注意しましょう。




収玄寺本堂
日蓮の弟子であった四條金吾の邸跡に妙詣尼が建立した収玄庵という
小庵を 光則寺の日慈上人が1923(大正12)年に本堂を再建したものです。
ご覧の通り境内には花がいっぱいです。




2006年09月03日

               湘南便りその145

         
鎌倉ハイキングコースU

             源氏山界隈ハイキングコース

                    第19回
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19.【大仏ハイキングコース補足その1】

 これまで17回に亘り源氏山界隈ハイキングコースということで紹介して来ましたが、
 今回のハイキングコースは佐助稲荷から大仏ハイキングコースに入るショートカット
 コースでした。そのため今回からフルコースの説明をします。

 大仏ハイキングコースの入り口は、江ノ電長谷駅から県道藤沢・鎌倉線を長谷寺・
 高徳院大仏を通り、大仏坂体育館横の細い階段から始まるのです。

 それでは、ぼちぼちこれからご案内しましょう。



先ずは江ノ電で長谷駅に向かいます。
この車両は昭和54年に登場した1000形車両で、翌55年に鉄道友の会
会員投票によるブルーリボン賞を受賞しました。




藤沢駅から数えて13番目の長谷駅到着です。
ここから長谷寺方向に向かいます。





2006年08月27日

               湘南便りその144

         
鎌倉ハイキングコースU

             源氏山界隈ハイキングコース

                    第18回
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18.【鎌倉カスター】

 鎌倉土産といえば「鳩サブレー」が有名ですが、今回は私のお勧めの鎌倉カスター
 を紹介します。

 『鎌倉ニュージャーマン』の鎌倉カスターは湘南ではおなじみのお菓子です。
 子どもからお年寄りまで幅広い年齢層の方に喜ばれるので、重宝します。

 味はカスタード、チョコ、ヨーグルト、コーヒー、紅茶と5種類ありますが、誰にでも好
 まれるというところでカスタードがイチオシです。

 7個から箱入りになるので、家族が多いおうちに行く時に持って行くことが多いのです
 が、生菓子なのであまり長時間は持ち歩くことができないので、持って行ける距離は
 限られてしまうのが難でしょうか?

 お店の話では、『かまくらカスター』が生まれたのは1983年(昭和58年)創業15周年の
 時のこと。15年間応援してくださった皆様に、恩返しとして“本物の味を低価格でご提
 供したい!”と思い、 当時人気のあったシュークリームと当社の人気商品であるショ
 ートケーキの美味しさを一緒にできないかと考えたのがはじまりなのだそうです。

 トレードマークの「笹りんどう」は清和源氏の紋章といわれていて、鎌倉市の市章にも
 使われています。

 この他のお菓子類やケーキも横浜近辺ではおやつや、帰省土産になっています。
 日持ちのする土産なら「レーズンクッキー」とか「おさつのなる木」がお薦めです。



鎌倉ニュージャーマンのお店です。鎌倉駅前にあります。

鎌倉市小町1−5−2
電話 0467 (60) 1320



これが鎌倉カスターです。




2006年08月20日

               湘南便りその143

         
鎌倉ハイキングコースU

             源氏山界隈ハイキングコース

                    第17回
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17.【鎌倉 笹の葉】

 鎌倉駅西口を出発して、ここまで私の万歩計で17,000歩を超えました。日も暮れ始め
 て流石にお腹が空いてきましたので、北鎌倉の食事所を紹介します。

 北鎌倉駅を過ぎて更に大船方面に歩くと、スリーエフがありそこの路地を入った所に
 竹の葉に隠れるようにたたずむ一軒家、鎌倉『笹の葉』があります。

 引き戸を開け、通されるのはどこか懐かしい日本間のお座敷です。
 『健やかな暮らしは食事からはじまる』という考えから、こちらでは体に優しい自然食
 がテーマの懐石料理がいただけます。

 小さなお皿や小鉢にたくさんの種類のお料理が盛られてきます。ただの家庭料理か
 と思っていたら、ていねいに作られたのがわかる味や食感に、作り手さんの優しさが
 感じられました。

 北鎌倉駅から鎌倉駅に向かう途中のお店はなんとなく込んでいる印象がありますが、
 観光者コースから外れているせいか待たされることはありません。また、鎌倉街道を
 鶴岡八幡宮まで行く道のりも渋滞していることが多いのですが、その渋滞に入る前に
 ご飯を食べたい時にはいいかもしれません。

 



ご覧の通り玄関先は笹に囲まれています。



アクセス : JR横須賀線北鎌倉駅より大船方面へ徒歩2分
営業時間 : 11時30分?19時(16時以降は要予約)
予約 : 要/16時以降
休業日 : 第3月曜休、定休日が祝日の場合は営業
料金 : 玄米菜食膳(竹)1365円、(松)2100円
駐車場 : なし



2006年08月06日

               湘南便りその142

         
鎌倉ハイキングコースU

             源氏山界隈ハイキングコース

                    第16回
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16.【浄智寺】

 亀ケ谷切通しは鎌倉の切通しの中でも舗装されていて歩き安いのですが、さすがに
 だらだら坂の登りは息が切れます。

 さて、この切り通しを過ぎると鎌倉街道に出ます。
 ちょっとひと休みしたいので浄智寺に立ち寄ってみたいと思います。

 浄智寺は、山号は金峰山といい、1281年(弘安4年)に亡くなった北条時頼の三男宗
 政の菩提を弔うために、その妻が一族の助けをもとに創建したと伝えられています。

 1356年(延文元年)の火災で創建当初の伽藍は焼けてしまいましたが、室町時代に
 復興しました。しかし、関東大震災でほとんど倒壊し、現在残っている建物は、以後
 の建立です。

 浄智寺は鎌倉五山の第4位ですが、鎌倉時代が終わると徐々に衰退し始め今では
 かつての大寺の面影はありません。 それでも、オフシーズンに訪れると、北鎌倉な
 らではの森閑とした雰囲気を味わうことが出来ます。

 実は、鎌倉にある殆どの寺社の拝観終了時間は、概ね16:00〜16:30頃です。
 今回紹介したコースを回ってここまで来ますとこの拝観時間が過ぎてしまっているこ
 とが多いのです。

 せっかく訪れたのに拝観出来ないのは大変残念なことになってしまいます。
 そのあたりを注意して散策のスケジュールを立てることをお勧めします。
 



浄智寺の山門をくぐり素晴らしい石段をゆっくり味わいながら登ると楼門があります。 
小さめの楼門は鐘楼を兼ねていて、2階部分には鐘がさがっています。
 「山居幽勝」の額がかかるこの楼門は2階部分は中国風のデザインで
この窓の形は「花頭窓」と呼ばれています。

さてユニークなのはこの鐘を撞く時です。 
楼門をくぐるときに天井を見上げると、一箇所他の部分より少し高くなっているところが
ありますが、他所より梯子を持ってきてここにかけ、天井を持ち上げて二階に上がるよ
うになっています。 一年に一度除夜の鐘の時に座って撞くそうです。 



境内の一角に八重咲きのヤマブキが咲いていました。
黄色い花が鮮やかです。



2006年07月30日

               湘南便りその141

         
鎌倉ハイキングコースU

             源氏山界隈ハイキングコース

                    第15回
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15.【亀ケ谷切通し 】

 薬王寺を出て参道突き当たりの道を左に行くと亀ケ谷切り通しがあります。

 鎌倉あたりでは山と山のあいだの谷の部分を「谷」(やつ)といいます。関東地方では
 谷戸(やと)と呼ぶところが多いのでたぶんこれが語源だと思われます。亀ヶ谷(かめ
 がやつ)切通しは「亀ヶ谷」にあるためにそう名付けられました。

 また、一説に寄れば、この坂は急なため亀が途中で引き返した、あるいはひっくり
 返ったため亀返坂と呼ばれるようになり、 いつからか亀ヶ谷坂となったという話が
 伝えられています。

 鎌倉には鎌倉七切通しと呼ばれる切通しがありますが、今回からこの切通しについ
 てお話したいと思います。

 頼朝が鎌倉に幕府を開いた理由は「源氏ゆかりの地」ということになっていますが、
 律令の時代(奈良時代)から郡の役所や郡の倉庫があったことが最近の発掘で分
 かってきました。つまり昔から鎌倉はこの地方の中心地でした。

 源頼義(みなもとよりよし)以後に源氏がこの地を選んできた理由の一つがここに
 あります。また、三方を山に囲まれた「要がいの地」としての鎌倉は政治的な中心
 地のみではなく、軍事的にも大変に都合の良い土地でもありました。更に一方が
 海ということもあって海上交通にも都合がよかったのです。

 幕府は鎌倉を取り巻く山々に「切り通し」を作り、鎌倉につながる街道と鎌倉をつな
 げました。七切り通しといっていますが、これは江戸時代に固定されたもので、鎌
 倉時代にはもっと存在したそうです。

 極楽寺坂/大仏坂/化粧坂(けわいざか)/亀ケ谷坂(かめがやつざか)/巨福
 呂坂(こぶくろざか)/朝比奈切り通し/名越坂(なごえざか)がこれにあたります。

 切り通しの特徴は
 1.両側が切りたった崖であること
 2.狭い(場所によっては人一人分の幅しかない)
  例として名越坂があげられます。

 これはもちろん、敵の侵入を防ぐ上からこうした形になっているわけで幕府が軍事
 政権であったことが分かります。

 しかし、実際にこの切り通しで大きな戦があったのは鎌倉幕府が崩壊する時、つま
 り新田義貞の軍勢が攻めに来たときだけでした。




ここから亀ケ谷切通しが始まります。



2006年07月23日

               湘南便りその140

         
鎌倉ハイキングコースU

             源氏山界隈ハイキングコース

                    第14回
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14.【薬王寺その2 】

 薬王寺の境内に徳川忠長公の供養塔があります。

 徳川忠長は三代将軍家光の弟です。参議、中納言、大納言に任じられてから常軌を
 逸した行動が目立ち将軍が再三注意したにも関わらず、一向に改めなかったので、
 事の次第を当時の大御所の秀忠に言った所、秀忠は忠長を出仕停止処分にしました。
 秀忠はその処分を解除する事なく亡くなりましたが、家光は甲斐蟄居処分にして、忠
 長の家禄を没収ししてしまい、最後には高崎で自害させてしまいます。

 しかし、これとは別に彼は常軌を逸した行動がなく、利発すぎるので威嚇になる前に
 家光が抹殺したという説があります。どちらが、正しいかは定かではありません。

 この供養塔は、駿河大納言徳川忠長公の奥方松孝院殿(織田信長次男信雄の息女)
 によって、忠長公の追善供養が営まれることになりその際に建立されたものです。
 (鎌倉市文化財指定)

 松孝院殿からは忠長公の永代供養のため、莫大な金子と広大な土地の寄進を受け、
 3000坪の境内に立派な諸堂が造営されましたが、享保5年すべて焼失しました。



徳川忠長公の供養塔です。



本堂左手の石段を上がると釈迦堂があり、やぐら
に石仏が安置されています。桜が綺麗でした。




2006年07月16日

               湘南便りその139

         
鎌倉ハイキングコースU

             源氏山界隈ハイキングコース

                    第13回
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13.【薬王寺その1】

 岩船地蔵堂を過ぎて、亀ヶ谷切通しへ向かう道の途中に薬王寺があります。

 
薬王寺は1293(永仁元)年、真言宗夜行寺を再建して、日像によって開山されまし
 た。

 日像は妙本寺を開いた日朗に師事した後、日蓮の下で修行。死の床の日蓮より京
 都布教を託され、数々の迫害を受けながらも不屈の精神で京都における日蓮宗初
 の開創をやり遂げた人物でした。

 本尊は久遺本師釈迦牟尼仏日蓮上人で、境内には徳川家光の弟で駿河大納言と
 言われる徳川忠長の供養塔があります。
 
 徳川忠長については次回に詳しく紹介したいと思います。



薬王寺への参道です。訪れた時はご覧のように桜が満開でした。



大きな瓦葺きの本堂は一枚岩の上に建っているため、
耐震性が高く関東大震災の際も びくともしなかったそうです。





2006年07月09日

               湘南便りその138

         
鎌倉ハイキングコースU

             源氏山界隈ハイキングコース

                    第12回
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12.【岩船地蔵堂】

 海蔵寺からもときた道を戻り、横須賀線のガード下をくぐると三叉路の角に 近年新し
 く再建された「岩船地蔵堂」があります。

 このお堂は海蔵寺が管理していて海蔵寺略縁起には「源頼朝の息女大姫の守本尊
 である岩舟地蔵尊を安置。床下に石仏あり、日本三大岩舟地蔵の一つ」とあります。

 鎌倉時代、戦国の世の常で数々の悲劇が起こりました。
 頼朝と政子の間に生まれた最初の子、大姫の短い生涯もそのひとつといえます。

 頼朝の挙兵に呼応するかのように、治承4年(1180)9月、信濃の木曽義仲が平氏
 討伐の旗をあげます。

 源平の合戦が続く中、養和元年(1181)には、墨俣の合戦で行家が惨敗したり、頼
 朝が平氏との和睦を後白河上皇に申し入れたり複雑なことになってしまいまいした。

 行家は頼朝の処遇に不満を持ち、木曽義仲方に走ります。常陸国では、頼朝の叔
 父・志太義広が頼朝に反抗し、頼朝と戦い、破れて義仲のもとに逃げ込みます。
 平家は平維盛を総大将として反撃体勢を作り、総力戦の構えを見せます。

 後白河法皇の画策も考えられますが、頼朝と義仲の対立は、平家との全面戦を前
 にあわや、味方同士衝突の寸前にまで深まります。そこでとられたのが、頼朝・義
 仲の和睦策です。

 このように、身内同士の一触即発の危機を救ったが義仲長男・義高11歳と5歳の大
 姫の婚約でした。

 義高は許婚とはいえ人質、それでも幼い二人は兄妹のように仲睦まじく暮らしてい
 たそうですが、頼朝は源氏嫡流の地位を不動にするため、1184(元暦元)年、義仲
 を攻撃。さらに義高も暗殺してしまいました。

 このことで、大姫は心身に大きな痛手を受け、頼朝や政子の必死の願いもかなわ
 ず病身になり、一生を鬱病で過ごしたといわれています。

 年頃には、両親も公家の一条高能との縁組みをすすめましたが、自分はあくまで
 も義高の妻であると言い張り、死を賭して拒絶しました。
 その後、後鳥羽帝の後宮の話も拒否し、1197(建久8)年7月14日に20歳位で亡くな
 りました。

 岩船地蔵堂(いわふねじぞうどう)は、その大姫の守り本尊と伝わる地蔵菩薩像が
 祀られていました。

 尚、大姫と義高の悲劇については、湘南便りその103でも書いてありますので、ご覧
 下さい。



2001(平成13)年に岩船地蔵堂は再建されました。
本堂には本尊の釈迦如来像(1567(永禄10):快円作)と開山の大休正念が祀られています。





2006年06月25日

               湘南便りその137

         
鎌倉ハイキングコースU

             源氏山界隈ハイキングコース

                    第11回
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11.【海蔵寺その2】

 海蔵寺には、 十六の井があり別名「水の寺」とも呼ばれています。

 本堂を左に行ったところに洞穴があり、弁天様と関わりあいがありそうですが・・・。
 海蔵寺周辺にはこのような洞穴が多く見られます。

 これらは「やぐら」と呼ばれる横穴式墳墓で、平地の少ない鎌倉独特のものといわれ
 ているそうです。

 十六の井には、次のようないい伝えが残っています。

 「再中興開山が住世のとき、観世音菩薩が禅師の夢枕にたって、”来世の衆生信心
 つたなくして身に難病をうけて定業を終えずして死す故に弘法大師に告げ金剛功徳
 水を以て加持し此の水を授け薬を煎じてあたへれば、悪病ことごとくはらい除くことが
 出来たのであるが、鎌倉数度の天災のためにこの井埋もれたりと禅師願くは此の井
 を掘りだして掃除をなすならば、清水湧き出て再び霊験があらわれんと・・・・”
 と告げたという。禅師は教えの通り掘りだすと井戸が現れ、先述した観世音菩薩像も
 でてきた。そして窟中の水を加持し衆生に与えたが、霊験あらたかであった。」
 (「扇谷山海蔵略寺縁記」より)





本堂左手に進み、民家と岩壁に挟まれた小道を行くと十六の井があります。



岩肌の洞穴に縦横四列づつ十六の穴が並び、きれいな湧き水を湛える
この不思議な井戸は、決して枯れることがないといいます。
誰が何のために造ったのかは分かりません。
正面の岩肌に彫られているのは、上方が観音様、下方が弘法大師像です。



境内ではユキヤナギが見事に咲いていました。



2006年06月18日

               湘南便りその136

         
鎌倉ハイキングコースU

             源氏山界隈ハイキングコース

                    第10回
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10.【海蔵寺その1】

 化粧坂を下るとしばらく住宅地が続きます。本当にこの先にお寺があるのか?少々
 不安になりますが、突き当たりの道を左に歩いて行くと、ようやく正面に海蔵寺の山
 門と石段が見えてきます。

 こぢんまりとした佇まいは、お寺という堅苦しさはなく、まるで誰かのお庭に遊びに来
 たような気安さを感じます。

 この寺は、四季折々の樹々や草花が植えられてるので、どの季節に訪れても美しい
 こと間違いなしです。

 海蔵寺は、元は真言宗の寺でしたが、1253年(建長5年)鎌倉幕府六代将軍宗尊親
 王の命により藤原仲能がここに七堂伽藍を再建しました。 しかし、 1333年(元弘三
 年)の鎌倉幕府滅亡時に焼失。その後、1394年(応永元年)鎌倉公方足利氏満の命
 により心昭空外を開山に招いて再建。以後扇ヶ谷の上杉氏の保護を受けて栄え、15
 77年(天正5年)に臨済宗建長寺に属し現在に至っています。



海蔵寺山門です。
秋にはこの階段の両脇に萩の花が見事に咲きます。



海蔵寺の掲題です。ここでは、四季折々の花を楽しむことが出来ます。



庫裏横に植えられた「かいどう」です。
訪れた時にはまだ蕾でした。



2006年06月04日

               湘南便りその135

         
鎌倉ハイキングコースU

             源氏山界隈ハイキングコース

                    第9回
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H【化粧坂切通し】

 鎌倉は三方を山、もう一方を海に囲まれた天然の要害です。しかし、そのままでは普
 段の往来にも支障をきたしてしまうので、そのために鎌倉幕府が整備したのが切り通
 しです。その名の通り、山を切り開いて通した要路で、名越、朝比奈、巨福呂坂、亀ヶ
 谷坂、化粧坂、大仏坂、極楽寺坂の七つを七切り通しといいます。

 今回はそのうちの一つ化粧坂(けわいさか)切通しを紹介します。

 化粧坂切通しは国史跡で、仮粧坂とも書きます。

 この名の由来は、平家の大将の首を化粧し首実検した所であるというものやこの辺に
 娼家があったからというもの、険しい坂が変じたというものなど種々な説があります。

 扇ガ谷から源氏山公園にむけての屈曲した険しい坂道で、藤沢、深沢、梶原から葛原
 岡を通って武蔵大路、いわや小路に連なる主要道路として機能した『吾妻鏡』に小町屋、
 売買所の一つとして「気和飛坂」として記されるほど商取引の盛んな地でした。

 鎌倉防御の自然の要塞のなかでも最重要の一つであり、元弘3(1333)年の新田義貞
 の鎌倉攻略では主力が投入されました。また応永23(1416)年の上杉禅秀の乱でも主
 戦場となったと伝えられています。



ここが化粧坂切通しの入り口です。



距離は短いのですが結構な急坂です。雨の日は通るのをひかえた方が
よさそうです。



2006年05月28日

               湘南便りその134

         
鎌倉ハイキングコースU

             源氏山界隈ハイキングコース

                    第8回
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G【源氏山公園】

 さて、「銭洗弁天」へやってきた坂を上ると、公園の入り口が見えてきます。
 これを東側にいくと、源頼朝像が立っている源氏山公園があり、西側にいくと第6回で
 紹介した葛原ヶ岡神社があります。

 今回は、この源氏山公園に立ち寄ってみたいと思います。

 この公園は、1965年に山の地形を利用して造られました。中央には芝生が広がり、
 明るい陽差しがふりそそぎ中央の広場にはベンチ、遊歩道も整備され、休日にはカ
 ップルや家族連れがくつろぐ憩いの場となっています。鎌倉の小学生にとって、遠足
 といえば源氏山公園だともいいます。

 園内には高さ2メートルの源頼朝の坐像があり、扇ガ谷、佐助ガ谷一帯を静かに見
 つめています。 この公園は鎌倉山と並ぶ花見のメッカで、4月上旬にはたくさんの
 桜が咲き乱れます。また、秋の紅葉も見応え十分で四季折々の美しさを楽しむこと
 ができます。
 
 源氏山は頼朝の4代前の祖に当たる八幡太郎義家が後三年の役に出征する際、この
 山上に白旗を立てて祈ったという古事から別名「白旗山」とも呼ばれています。
 



源氏山公園の桜です。



写真の源頼朝像は、頼朝鎌倉入り800年を記念して建てられました。
像の周囲は芝生になっており、弁当を食べたりするのに最適です。

像の隣の碑文を紹介します。
源氏山ハ初メ武庫山ト云ヒ 龜ヶ谷ノ中央ニアル形勝ノ地ナルヲ以テ又
龜谷山トモ稱セリ 源頼義 義家父子奥州征伐ノ時此山ニ旗ヲ立テタルヨリ
或ハ旗立山ト名付ク
 山ノ麓壽福寺境内附近ハ爾来源氏世々ノ邸宅タリシ地ナリト云フ 
源氏山ノ名称ハ之ニ起因セルカ 旗竿ヲ建テシト云フ故趾ハ今尚ホアリ
      昭和三年三月建之  鎌倉町青年團



2006年05月21日

               湘南便りその133

         
鎌倉ハイキングコースU

             源氏山界隈ハイキングコース

                    第7回
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F【宇賀福神社=銭洗い弁天】

 葛原岡神社から南にしばらく進むと、右手に大仏ハイキングコースの入り口・正面に
 階段がある所に出ます。その階段を降りて舗装された急な坂道を少し下ると、岩をく
 りぬいたトンネルのような「銭洗い弁天」の入り口があります。

 この神社の由来は、その昔、源頼朝の夢枕に老人姿の宇賀福神が現われ、西北の
 仙鏡の地に湧き出る霊水を使って神仏を祀れば、人々は信仰心を起こし、国内は平
 穏に治まるだろうと告げました。お告げを受けた頼朝は、この地に湧き出る泉を見つ
 け、宇賀福神を祀ったのがはじまりといいます。

 鳥居のある洞窟の参道ををくぐるともう一つの洞窟があり、そこには沢山の千羽鶴が
 ぶらさがる奥の院に清水が湧いています。 この湧き水は鎌倉五名水 の一つといわ
 れ、これでお金を洗うと倍になって戻ってくるといわれています。

 このお金を洗う事の歴史は古く、鎌倉時代の第5代執権北条時頼はこの福の神を信
 仰し、自らこの水で銭(通宝)を洗ってお祈りして、巳の日を選んで人々に参拝させた
 ところから始まったと伝えられています。

 参拝者が、お金を洗っている様子を見ていますと、千円、1万円、中には100万円もの
 札束に水をかけている人もあり、まさに人の欲は果てしなしといった感じがします。

 こんなことを書いてしまうのも、貧乏人のひがみなんでしょうね。



銭洗い弁天さんは、正式には宇賀福神社といいます。



神社へはこの鳥居のトンネルを入って行きます。



皆さん熱心にお金を洗っておいでです。



2006年05月14日

               湘南便りその132

         
鎌倉ハイキングコースU

             源氏山界隈ハイキングコース

                    第6回
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E【日野俊基の墓と葛原岡神社その2】

 葛原岡神社は、後醍醐天皇の側近日野俊基を祀る神社です。

 明治天皇が日野俊基に従三位を贈り、地元有志と全国の崇敬者の協力により1887年
 (明治20年)に創建されました。例大祭は俊基の命日の6月3日で、現在は由比ヶ浜地
 区の鎮守として信仰されています。

 
葛原岡神社に行くには、北鎌倉方面から化粧坂を上るか、鎌倉駅方面から銭洗弁財
 天を経てくるか、はたまた大仏ハイキングコースからというアプローチもあります。

 いずれにせよ、徒歩で来なければなりません。境内にはソメイヨシノが多く、春は桜の
 名所となります。晩秋には山茶花が大きな白い花を咲かせます。華やかさはないです
 が、山の上ということもあり静かで落ち着いた空間です。



葛原岡神社本殿です。



本殿左には「俊基卿終焉之地」の碑があります。



敷地内に大正〜昭和にかけて活躍した俳人宮下翠舟の句碑がありました。
  鎌倉に 雪ふる雛の 別れかな
(平成二年十月 建立)

       



2006年05月07日

               湘南便りその131

         
鎌倉ハイキングコースU

             源氏山界隈ハイキングコース

                    第5回
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D【日野俊基の墓と葛原岡神社その1】

 大仏ハイキングコースを過ぎると葛原ケ岡公園に出ます。

 この公園は、源氏山公園の北側にに位置し、公園の一角には国指定史跡の日野俊
 基の墓と白木の鳥居の小さな社、葛原岡神社があります。

 今回はこの日野俊基について紹介します。

 日野俊基(ひの としもと)は、後醍醐天皇 の側近として、天皇親政を実現させるべく
 動きますが、鎌倉幕府の知るところとなり失敗します。

 後醍醐天皇の倒幕計画は二度失敗しており、日野俊基は最初の 「正中の変」(しょ
 うちゅうのへん) では釈免されますが、二回目の 「元弘の変」(げんこうのへん)では
 許されず、京から鎌倉へ護送され、゙葛原岡(くずはらおか)" で斬首されます。

 吉川英治著の 「私本太平記」 では、 公卿でありながら武士の気概を持ち、後醍醐
 天皇 の理想を実現させるべく山伏姿に身をやつし、朝廷勢力の結集を図るなど、八
 面六臂の活躍をする姿が描かれています。




葛原岡公園の桜です。



日野俊基の墓の案内板です。



日野俊基の墓
死の直前、移送される俊基が化粧坂にさしかかったとき、
俊基の家来である左衛門尉助光が警護の侍に懇願し、
俊基の妻からの手紙を渡すことができたといいます。
俊基は「秋をまたで葛原岡に消ゆる身の露のうらみや世に残るらん」
という辞世の歌を詠み、この世を去りました。



2006年04月30日

               湘南便りその130

         
鎌倉ハイキングコースU

             源氏山界隈ハイキングコース

                    第4回
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C【佐助稲荷から大仏ハイキングコースへ】

 大仏ハイキングコースは、鎌倉の代表的なハイキングコースのひとつです。このコー
 スは、鎌倉、源氏山、銭洗い弁天、佐助稲荷の方から入ることが出来るのですが、今
 回は佐助稲荷から入ってみましょう。

 このコースは、住宅地に程近いにもかかわらず、まったくの山の中のような風景を楽し
 めてちょっとした山に遠出をしたような気分を味わえるコースです。

 しかし、アップダウンは比較的少ないものの歩きなれない人には結構厳しい箇所もあ
 ます。特に雨の後や道が湿っているところは滑りやすいので、注意が必要です。
 




佐助稲荷の境内裏の細い道を登って行きます。



しばらく行くと標識が・・右へ行きます。



更に行くとまた標識が・・左は高徳院(大仏)右は源氏山公園とありますので右へ



途中こんな険しい坂もあります。



さらに進むとこんな眺めの良い場所があります。
正面に見えるのは逗子マリーナです。



2006年04月23日

               湘南便りその129

         
鎌倉ハイキングコースU

             源氏山界隈ハイキングコース

                    第3回
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B【佐助稲荷】

 それでは、今回のコースの第一の目標地点である佐助稲荷へ向かうことにしましょう。

  出発点の鎌倉駅西口(市役所側)に降り立ったら、ロータリーを横切り、商店街を抜
  けると市役所前交差点(紀伊国屋前)に出ます。そこから御成隧道を抜けてしばらく
  歩き、 税務署の先の法務局前の信号を右折して300mくらいまっすぐに歩くと「左佐
  助道」の石碑に出会います。これに従って進むと、民家の間に「佐助稲荷神社」の入
  口がひょこりと現れます。

  佐助稲荷は、幼少の頃「佐殿」と呼ばれていた源頼朝が伊豆配流の際、宇迦御魂命
  が翁の姿で夢枕に立ち、平家討伐の挙兵を勧めるお告げをし、平家討伐を果たした
  お礼として、建久年間(1190〜98)社殿を再建したのが創祀といわれます。

  「佐殿」を助けた神と言うことで佐助稲荷といわれたと伝えられ、(源頼朝の夢枕伝説)
  祭神の宇賀福神(うがふくじん)は、神奈川県鎌倉市の銭洗弁天の祭神と同じで、出
  世稲荷として知られています。(銭洗弁天境内の御塚は社(やしろ)がなかった時代、
  土などを盛って造った臨時の祭場で、当社最古の祭場といわれています。

  参道には沢山の朱塗りの鳥居が並び、野生の台湾リスの姿が多く見られます。
  2月初めの午の日には、初午祭(はつうまさい)が行われています。




市役所前交差点です。ここを渡って直進します。



法務局前の信号を右折します。



これが左佐助稲荷の石碑です。ここを左折します。



ここからが佐助稲荷の参道です。



佐助稲荷拝殿。この裏に本殿があります。



2006年04月16日

               湘南便りその128

         
鎌倉ハイキングコースU

             源氏山界隈ハイキングコース

                    第2回
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A【鎌倉駅西口】

 さて、今回のコースの出発点は鎌倉駅西口です。

 鎌倉駅西口は、東口に比べ小ぢんまりとした風情です。

 右手に昔の駅舎の時計台が立つ広場があり、 左手には古き良き時代の面影を残す
 御成通りが続いています。

 かつては銀座通りと呼ばれたこの通りには昔ながら の小売店や銭湯があり、ノスタ
 ルジックな雰囲気が漂っています。

 この西口を出発して扇ガ谷から 化粧坂を越え 源氏山へいたる道は、野趣あふれる
 散策コースとして知られ名刹も多く、鎌倉五山第三位の寿福寺はじめ、浄光明寺、
 海蔵寺など由緒のある寺をたどることが出来ます。

 また、化粧坂を登ると本格的な山道となり、木々が鬱蒼と生い茂る源氏山へと到達
 します。この辺りは桜の名所でもあり、春には薄紅色の山桜に彩られます。

 今回はこれらのポイントを順を追って案内いたしますのでお楽しみに・・・



ご存知JR鎌倉駅西口です。右側の建物は江ノ電鎌倉駅です。



とんがり帽子の屋根が印象的な、鎌倉駅のシンボルです。
この建造物は旧鎌倉駅舎の時計台だった遺構です。
昭和59年の旧駅舎の改築に伴い、その時計台部分を保存のため、
西口広場に移したものです。
洋館が立ち並んでいた古きよき鎌倉の遺構として、
いまも市民から愛され続けています。
現在は待ち合わせスポットとしても人気です。



2006年04月02日

               湘南便りその127

         
鎌倉ハイキングコースU

             源氏山界隈ハイキングコース

                    第1回
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@【鎌倉は春爛漫】

 今回から鎌倉ハイキングコースの第2弾として、鎌倉の西地区をメインとしたハイキ
 ングコースを紹介するつもりだったのですが、鎌倉は今桜が満開なので、先ずは桜
 の様子をお知らせすることにしました。皆さんは花見はもうお済みですか?



お馴染み段葛は満開状態でした。この写真は八幡宮を背に海方向を
撮影したものです。



これは海側を背に八幡宮方面を撮影したものです。

今年の桜の開花は早いようです。



JR北鎌倉駅円覚寺口の桜です。
見事です。

いずれも、06年03月30日撮影




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