Go-21


このページは、これまで当会のMLにて紹介していました「Go-21湘南便り」をリニューアルして当地
湘南の様子をビジュアルにお送りします。私のみならず湘南に想い出がある方やこよなく愛でて下さ
る方の寄稿を歓迎いたします。                                  世話人敬白

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2002年3月10日

            湘南便りその40:鎌倉散歩第13回

         
  杉本寺

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少しの間お休みを頂きましたが今回から鎌倉の東方面を中心に散策したいと思います。

先ず最初に、滑川(なめりがわ)にかかる犬懸橋(いぬかけばし)横にある鎌倉最古
の寺、杉本寺(すぎもとでら)を紹介します。

この寺の創建年代は不明ですが、鎌倉幕府創設以前から存在し鎌倉最古の寺院として
伝えられています。天台宗の寺で板東三十三カ所霊場の第1番札所として信仰を集め
大蔵観音や杉本観音の名で親しまれてきました。

なんでも名僧行基が大倉山の霊木を刻んだ十一面観音まつったのが始まりだそうで、
風情ある苔むした石段や、本堂、仁王門に無数に張られた納札はいかにも観音霊場ら
しい雰囲気をかもし出しています。毎年、8月10日の四万六千日には多くの参拝者
で賑わうそうです。

「吾妻鏡」によれば1189(文治5)年の大火のさいに、本尊を救い出した僧が猛
火の中、火傷一つおわなったとの伝承があり、寺の縁起にはそのさい本尊が自ら歩い
て杉の木の下へ避難したので杉本観音といわれたとあります。

静寂の古寺を訪れたい方には絶対お薦めのお寺です。

寺域周辺は杉本城跡で三浦氏の一族杉本義宗が築いたもので、山城の後を一部に見る
こともできます。ここは金沢街道の要所として守りを固める必要があったのでしょう。
杉本寺は、このように背後に城をひかえているだけに信仰と戦略拠点との二面性を感
じないわけにはいきません。

「十一面杉本観音」と書かれた沢山の白い奉納幟の立つ階段をゆっくりと登ってみて
下さい。それだけで歴史の深さを感じることができると思います。



杉本寺の正面入口です。この階段を昇ると仁王門があります。



仁王門と紅葉です。



萱葺きの本堂です。杉本寺のトレードマークですが風情があります。




2002年2月10日

            湘南便りその39:鎌倉散歩第12回

         
  瑞泉寺

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さて、今回は私のお気に入りのお寺を紹介しましょう。

薪能で有名な鎌倉宮の境内に沿って1キロほど。鎌倉・二階堂の山すそに臨済宗瑞泉寺
の総門が見えて来ます。山門に続く歴史を感じさせるすり減った長い石段の左側には
杉木立ち、右側にはうっそうとした竹林。その周りに青いヒダが茂ってこれまで歩い
て来た鎌倉の街とは全くうって変った雰囲気に包まれます。

ここは、1327年に「西の富士山を客山に北の天台山を主山とする禅院相応の勝地」
の、この山の中腹に夢窓国師が開いたお寺です。

ここの庭園も開祖の手によるもので鎌倉石の岩盤に滝、池、中島等のすべてをえぐっ
て橋をかけ、さらに水を貯めて滝として流す貯水池までも刻んだ岩庭です。

このお寺は鎌倉でも一二を争う花の寺として有名ですが、この季節に楽しめる花を紹介
します。

この季節なんと言っても有名なのはフユザクラでしょう。

現在日本にある大部分の桜は、初春、春、そして初夏(本州の高山部や北海道など)に花を咲
かせます。でも中の約10種ほど秋や冬に花をつけるものがあるのです。それらの桜と春咲き
の桜を合わせれば、桜のシーズンは秋から次の年の初夏まで続くことになるわけです。
桜は夏の盛りに花芽を作るからこの時期だけは咲かない。その時期を除けば、桜のシーズン
は9月下旬から翌年の7月(年によっては8月上旬)まで約10ヶ月にわたって続くことになります。

ここにあるフユザクラは、水戸黄門(光圀)の手によって植えられたと伝えられています。
樹齢は約300年と言われていますが、太い幹は腐ったために切り倒されてしまい、太さ10cm
ほどに成長したひこばえがたくさん枝分かれしてそこに花が付いています。
花はかなり白に近いピンク色で、花弁は5枚。時期によっては大ぶりで見栄えがする花も咲く
そうですが、今回訪れた時はとても小さくて可憐な花を咲かせていました。
もう一つ有名なのが水仙でしょうか。境内のあちこちで品のある風情を楽しむ事が出
来ます。

鎌倉駅からは、少々歩きますがこのお寺までのコースを恋人同士静寂な鎌倉を散策し
ながらお話するのも楽しいのではと思います。

花の寺として有名な瑞泉寺は、特に梅と水仙、紅葉は鎌倉一番と言われ その季節には、こ
の寺の参道は人でぎっしりと埋まってしまいますので
、出来れば平日に訪れることをお勧
めします。



ほとんど深山幽谷の雰囲気ですがこの階段を上がると
山門があります。




これが山門です。



瑞泉寺本堂は、大正時代に建築された建物で、二層の屋根をもっているのが特徴です。
堂内には南北朝時代の秀作と言われる木造夢窓国師(むそうこくし)坐像が 安置されています。
国の重要文化財で写実的な表情が特徴です。
また、木造千手観音坐像も市の重要文化財となっています。

こうやって見るときっちり左右対称です。






これがフユザクラです。ちょっと寒そうに咲いていました。



そして境内のあちこちに咲く水仙です。




2002年1月27日

            湘南便りその37:鎌倉散歩第11回

         
  宝戒寺

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妙隆寺からさらに小町大路を北へ行きますと鶴岡八幡宮前からの横大路に突き当たります
がその右側に宝戒寺(ほうかいじ)があります。

このお寺さんの山号は金龍山といい、鎌倉時代の執権北条氏の屋敷跡に1335(建武2)年北条
氏を滅ぼした後醍醐天皇を開基とし、その命を受けた足利尊氏が建立したといわれています。

新田義貞の鎌倉攻めで、東勝寺の炎の中で壮絶な死を遂げた北条一族の怨霊を供養する目
的に、東勝寺を移す形で創建されました。時代の頂点を極めた北条一族の光と影をこの地に見
ることができます。門柱に刻まれた北条氏の家紋である三鱗(みつうろこ)が哀れを誘います。

少々緊張しながら靴を脱ぎ、本堂に足を踏み入れてみました。だいたい20畳ぐらいの広さでしょ
うか、中は薄暗く、足下の板張りの床がひんやりと冷たく感じました。堂の奥には数え切れない
ほどの仏像や掛け軸が並べられていましたが、まず目に飛び込んできたのがこちらの本尊であ
る子育経読地蔵大菩薩(こそだてきょうよみじぞうだいぼさつ)。相当年期が入っているようで、
見た目にもかなり迫力が感じられました。他にも本堂には、聖徳太子が2歳の時の姿を彫った
二才尊像や閻魔大王像、不動明王像など、種々雑多とも思えるものがいっしょに並べられてい
ました。

宝戒寺は鎌倉には2寺しかない天台宗の寺で、本堂の脇の歓喜天堂には公開はしていません
が鎌倉時代後期の作と見られる高さ152cmの秘仏歓喜天立像(国重文)もあります。土紋装飾
をもつ珍しいものです。

私が訪れた時は、既に萩の盛りは終ってしまっていました。今度は盛りの時に訪れようと思って
います。



寺の入口の石柱には、「北条執権屋敷跡」とあります。
二代目執権・北条義時以来、北条高時まで幕府執権の中枢の地でした。
ここは比企能員(よしかず)を招き入れ謀殺した北条氏の邸跡でもあります。
鉄の門扉に北条氏の紋所である三鱗(みつうろこ)があり、
いかにも「北条氏ゆかりの寺」 を物語っています。




本堂は開放されていて、誰もが気軽にお参りできます。
本尊は木像地蔵菩薩座像(国重文)です。両脇には梵天と帝釈天とがあり、
地蔵菩薩と同じ頃につくられたとみられ、 その前には十王像、右脇には
閻魔大王や北条高時像。左側には不動明王や准てい観音 などが祀られています。
そのほか境内には鎌倉唯一の太子堂や、北条高時をまつる鳥居と社、
日本最大の木像の 歓喜天を安置するお堂などがあります。




宝戒寺は、鎌倉でも有名な花の寺として知られています。特に秋に
なりますと境内一杯に萩の花が咲きますが、そんな中でこんな花を
見つけることが出来ます。これは彼岸花なのですが、ご覧の通り
このお寺では赤ではなくて白い彼岸花が咲くのです。
私は生まれて初めて見ました。




2002年1月20日

            湘南便りその36:鎌倉散歩第10回

         
  妙隆寺

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日蓮辻説法跡から小町大路を北へ少し歩きますと妙隆寺があります。
まるっきり普通の住宅街にまぎれているので、鎌倉・江ノ島七福神の旗がたなびいてい
なかったら、ひょっとして気づかないかも知れません。しかし、そこはやっぱり鎌倉の
お寺。少し奥まった先には小ぶりながらもいかにも歴史を感じさせる山門があります。

このお寺さんは、正式には叡昌山妙隆寺といい1385(至徳2)年源頼朝の御家人、千葉常胤(つ
ねたね)の子孫である胤貞の屋敷跡に、日英を開山として建立された日蓮宗の寺です。
千葉胤貞が千葉の本領へ移るに及んでこの寺が建立されました。

現在本堂には、日蓮上人像、日親上人像、日英上人像、釈迦如来像、千葉胤貞像などが祀ら
れています。

開山2世の日親は凄絶な布教ぶりで知られる僧で、「立正治国論」を説いて6代将軍・足利義
教をいさめようと京に上りましたが聞き入られず、逆に義教の逆鱗に触れて投獄させられてしま
いました。その時に数々の拷問を受けますが、頑として自説を曲げなかったといいます。

その時に舌を切られ、頭に焼けた鍋をかぶせられる極刑を 科せられましたが、自説を曲げなか
ったといいいます。

この逸話から「鍋かむり日親様」の名で呼ばれるようになりました。境内・池の奥の日親堂には
日親上人の石像が安置されています。


寺の墓地には演劇界で名を残した丸山定夫の墓碑があります。



妙隆寺参道です。頼朝の有力御家人千葉胤貞が
千葉の本領へ移るに及んでこの寺が建立されました。



本堂には日蓮上人像、日親上人像、日英上人像、釈迦如来像、
千葉胤貞像などが 祀られています。



日親上人像です。凄い信念を持ったお坊さんです。



2002年1月13日

            湘南便りその35:鎌倉散歩第9回

         
日蓮辻説法跡

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大巧寺から小町大路を八幡宮方向へしばらく歩きますと住宅街の中にぽつんと日蓮辻説
法跡があります。

この辺りは、妙本寺や本覚寺など日蓮宗の寺院が多く、鎌倉に現存する寺院数は九十位
ありますが日蓮宗の寺院は二十八寺あるそうです。(禅寺は山ノ手にかたまっているが
日蓮宗の寺院は下町に多い。)

日蓮聖人は千葉県小湊の生まれで、最初は天台宗を学びましたが、後に法華経を悟り日
蓮宗を開きました。法華経さえ唱えれば誰でも成仏できるというわかりやすい教えを説
いて庶民の間に熱狂的な指示を得たことはよく知られていますがここがその説法跡地で
す。

今でこそ閑静な住宅街となっている場所ですが、鎌倉時代のこの辻は北側に武家屋敷、
南側に商業地が広がる繁華街だったところで、行き交う人も多く布教には最高の場所で
した。32歳で鎌倉へやってきた日蓮は精力的に布教活動を行いますが、「煩悩菩薩・生
死即涅槃」「南妙法蓮華経」と唱え、人生のいろいろな悩みや執着はそのまま悟りだと
思い、法華経を信じる事を説きました。「政治が正しくなければ国も庶民の生活も安ず
ることが出来ない」また「為政者が邪教を信じ、法華経をないがしろにすれば”自界叛
逆・他国侵逼難”となって日本は滅亡する」と予言していました。そのため日蓮は数々
の迫害を受け流刑の憂き目にもあうことになります。




小町大路の辻説法跡地です。

柵の中には石碑が立ち並び、腰掛石が石碑の下に残されています。
しかし、この腰掛石は道の反対側にあったのを 明治時代に鎌倉で高山樗牛(ちょぎゅう)に日蓮
聖人のことを教えたことで知られる 日蓮宗研究家田中智学がここに移し整備したと言われてい
ます。

この碑は、もともと同じ小町大路の妙勝寺(廃寺)にあったものを現在地へ移したものでこの他に
は本興寺などにも辻説法跡があります。

鎌倉にはこんなところにも歴史を感じさせるものがあります。訪れた時にはうっかり通り過ぎて
しまわないようにしましょう。




2002年1月6日

            湘南便りその34:鎌倉散歩第8回

         
  大巧寺

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鎌倉駅から若宮大路に向かってすぐ、道路の向かい側の横浜銀行と中央公民館に挟まれて、
小さな赤い門が見えます。ここが”おんめ様”と呼ばれ安産祈願で室町時代から庶民に親しま
れてきた日蓮宗「大巧寺」(だいぎょうじ)です。

ここが安産の寺として全国的に知れわたるようになったのは、五世住職の日棟上人が、滑川
にかかる夷堂橋のたもとで乳飲み子を抱いた女性の幽霊に出会い、この霊を鎮めたことに端
を発します。この霊は、その後難産の上この世を去った秋山勘解由の妻女であることが判り、
安産の神「おんめさま」として丁重に祭られたそうです。

朱塗りの門を入ると、路地と間違えてしまうような参道の両側に椿、マンサク、ミツマタ、キョウ
チクトウ、シュンラン、ムラサキシキブなどが植え込まれてこじんまりとした参道を歩きながら一
年中何かしらの花を楽しむことができます。

この参道をすすむと、本堂の横を回り込んで寺の正面へと抜けます。

実は若宮大路に面している朱塗りの門は裏門で、山門は小町大路側にあります。山門は質
素な門ですが、境内を若宮大路から小町大路へ通り抜けができるため、通りすがりに手を合
わせる地元の方々の姿もかなりみかけることができます。

この寺はかつて十二所にありましたが、頼朝が平家に大勝利をおさめたことで「大巧寺」と名
を改めてこの地に移されました。 また、本尊が「産女霊神」(うぶすめれいじん)で、「おんめ
様」と呼ばれ室町時代から安産や縁結びを願う人々から親しまれており、境内を訪れるとお腹
の大きな女性が目立ちます。

私が訪れた時は妊婦の方というよりは、そのお母さんというかお姑さんが多くおいででした。
お互い立場が同じせいか、会話が弾んでいるようで、「おたくさんは娘さんですか?」「いいえ
嫁ですの、今度が二人目です。」とか何とかの話が耳に入って来ました。




大巧寺本堂です。ほんとこじんまりとしたお寺さんです。



大巧寺は、花の寺としても知られています。この季節流石に花を
見つけることは難しいのですが、境内に「イソギク」が咲いていました。
これは地味な花なのでつぼみの時とあまり変わらないのがご愛敬です




2002年1月1日

            湘南便りその33:鎌倉散歩第7回

         
  本覚寺

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新年明けましておめでとうございます。今年も「湘南便り」をご愛読願います。


前回は、「こ寿々」を紹介しましたが、今回は再び鎌倉のお寺さんを紹介します。

妙本寺を出て鎌倉駅方面に少し歩くと滑川(なめりがわ)に架かる夷堂橋があります。

その橋を渡ると直ぐ目の前に江戸時代の楼門造りである重厚な門構えがすばらしい
覚寺仁王門が建っています。その門の両脇に立ちはだかる仁王像もかなり恐ろしげで、
これなら悪者も寄りつけないに違いないと思いました。

年の瀬を迎えると本覚寺(ほんがくじ)の境内は慌しくなります。境内のあちこちで
提灯を下げる用意がなされ、大きなやぐらを組み立てている職人さんの姿も多く見ら
るようになります。本覚寺では、「鎌倉えびす」というお祭りがお正月に開かれるの
のでその準備が行われるのです。

「鎌倉えびす」とは、こちらに祀られている夷尊神(えびすそんじん)に関係したもの
で夷尊神の福顔にちなんで毎年20名ほどの「福娘」を選出し、1月10日の「十日えびす」
ではお披露目を兼ねて鎌倉中を人力車で練り歩くなどなかなか賑やかなお祭りです。

広い境内の正面には本堂があります。かなり重厚で立派な造りですが、残念ながら中は
堅く閉ざされてうかがい知ることは出来ませんでした。

本堂の右脇にはかの日蓮の遺骨が納められたという宗祖分骨堂があります。

日蓮の遺骨がどこにあるかなんてこれまで考えたこともなかったのですが、実際に目の
前に納められているかと思うと、歴史の重みにしばし圧倒されてしまいました。しかし
一番気になったのは、祇園大明神を祀っている小さな社でした。何やらあやしげな雰囲
気があり、豪壮なイメージの強い本覚寺にそぐわないところに面白みを感じました。
ちなみにこちらは病気よけの神として崇められているそうです。

今では本覚寺のシンボルとなっている夷堂(えびすどう)は境内の一隅にあります。
夷堂に上がるための石段を上がりますと、念願の夷尊神(えびすそんじん)にご対面出
来ます。堂内をのぞくと真っ正面に黒い夷尊像が見えます。中は薄暗くてえびす様自身
も黒いので、細かい形は判別出来ないのですが、逆に暗闇の中で微笑んでいるえびす様
が浮き上がってくるようでした。

私が訪れた時は11月半ばでして、境内でお年を召した方々が合唱をしておいででした。
なんとものどかな雰囲気で、つい、田舎のお寺の境内を思い出してしまいました。



手前が夷堂橋で正面が仁王門です。




本堂です。なかなか立派な建物です。




 夷 堂
本覚寺が建立される以前に、源頼朝が幕府の守り神の一つと
して夷神を祀ったとされるのが元々の夷堂です。
鎌倉時代の大宗教家、日蓮上人が流されていた佐渡から鎌倉
に戻った後、身延山に隠遁するまでここに滞在したと言われて
います。夷堂は元弘3年(1333)新田義貞の鎌倉攻めで焼失
しましたが、その後昭和58年(1983)に復元されました