Go-21


このページは、これまで当会のMLにて紹介していました「Go-21湘南便り」をリニューアルして当地
湘南の様子をビジュアルにお送りします。私のみならず湘南に想い出がある方やこよなく愛でて下さ
る方の寄稿を歓迎いたします。                                  世話人敬白

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2001年12月23日

            湘南便りその32:鎌倉散歩第6回

         
 再び「こ寿々」

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先週は、由比ガ浜の「こ寿々」を紹介しましたが、今回は、段葛の「こ寿々」を紹介し
ます。

鎌倉駅を降りておなじみの鶴岡八幡宮へ向かう段葛を真っ直ぐに歩いて行きますと右手に
これまた風情のあるおそば屋さんがあります。

そうです
「こ寿々」はおそば屋としても鎌倉ではとても有名なお店なのです。


このお店は大正末期の2階建て木造建物を改装した、風情ある手打ちそばの店です。
契約栽培された信州開田高原・番所などの玄そばを昔ながらの製法で職人が毎日打つそば
は、江戸前そばの風味と強いコシが楽しめ、ほかでは味わえない美味しさがあります。
薬味や揚げ玉がたっぷり入ったヘルシーなこ寿々そばは特に女性に人気があるようです。
香り高くとても歯ごたえがあります。

食後には、勿論、純国産100%のわらび粉で作るわらび餅(500円)がおすすめです。

私がこのお店を訪れたのは、瑞泉寺へ行った帰り道で寒さと疲れで足が棒のようになって
いた時でしたので、温かい「卵とじそば」をたのみました。

こしのあるそばとあっさりとした卵の味は流石に老舗を感じさせるものでした。

皆さんも鎌倉へおこしの際は一度おためし下さいませ。

以下に住所を記します。

段葛「こ寿々」:鎌倉市小町2-13-4 TEL 0467-25-6210
由比ガ浜「こ寿々」:鎌倉市由比ガ浜1-1-9 TEL 0467-23-9351




このお店が段葛「こ寿々」です。



「こ寿々そば」です。




2001年12月16日

            湘南便りその31:鎌倉散歩第5回

         
  「こ寿々」

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これまで、鎌倉のお寺さんばかり紹介して来ましたので今回は鎌倉の美味しいものにつ
いてお話ししましょう。

江ノ電「和田塚」駅をおりて踏み切りを渡って真っ直ぐ西方向へ歩いて行きますと由比
ガ浜通りに突き当たります。その由比ガ浜通りを右手に行きますと由比ガ浜「こ寿々」
のお店があります。このお店は鎌倉でも有名な甘味処でして、名物「わらび餅」を味わ
う事が出来ます。皆さんは「わらび餅」をご存知でしょうか?

「わらび餅」についてお店のしおりから紹介します。

                   ◆◆◆

「わらび粉」はわらびの根から採取した澱粉ですが、生産されるまでにたいへんな時間
と労力をようするため国内での生産量は非常に少なくとても高価なものとなっています。

まず、一年目の二月にわらび畑を焼き、二年目の十一月から翌年一月にかけて、若芽が
出る前に根を収穫します。こうして収穫された根の中に含まれている澱粉はわずか四〜
六%です。この貴重な澱粉を抽出するため、根に付着している泥等の不純物を洗い流し
沈殿・分離という作業を幾度も繰り返します。さらに、抽出された純粋な澱粉を脱水し
網バットに並べて自然乾燥すること約五十日間、収穫からおよそ三ヶ月かけて、やっと
「わらび粉」が出来上がります。
このような工程を経てつくられた「わらび粉」は、非常に希少価値のたかいものといえ
ます。

現在市販されているわらび餅の大半は、他の澱粉や増粘剤・寒天等で増量されているため、わ
らび粉本来の独特な風味と食感が失われています。
「こ寿々のわらび餅」は、国産のわらび粉を使用しておりますので、独特の弾力ととろけるような
食感を充分味わって頂けます。
ほど良く冷やしたわらび餅にお好みの量の黒蜜ときな粉をかけてお召し上がり下さい。本わらび
粉特有の粘着性のため取り分けにくいことがございます。その場合、少量の冷水をわらび餅に
かけてからヘラ等で切り直していただけると幸いです。
又シロップ漬けの商品の場合は封を切り、ザル等にあけてシロップ水を取り除いてから器に盛
り付けてお召し上がりください。


                   ◆◆◆

実は、私はこのわらび餅をある会員の方から紹介いただきまして、さっそく試してみた
のですが、わらび餅のつるつるっとしたのどごし、甘すぎずの黒蜜ときなこがなんとも
言えない味わいでした。

ただ、このわらび餠、食べ頃が難しいのです。冷たい方が美味しいのですが、ちょっと
冷やし過ぎるとベタベタに固まってしまいますので、お召し上がりの際はご注意下さい。

皆さん鎌倉へおいでの時にお土産に如何でしょうか?

因みにお値段は小が700円大が1,000円(税抜き)です。




これが由比ガ浜「こ寿々」のお店です。こじんまりとしているので
うっかり通り過ぎてしまうのでご注意。



鎌倉名物わらび餅です。




2001年12月09日

            湘南便りその30:鎌倉散歩第4回

         
 「ぼたもち寺」

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八雲神社を出て再び妙本寺へ向かって細い路地を歩いて行きますと今度は可愛らしい
お寺さんがあります。

このお寺さんは、日蓮宗常栄寺(じょうえいじ)と言いまして別名“ぼたもち寺”として知られて
います。

ここは、源頼朝が由比ヶ浜の千羽鶴を遠望するために桟敷を設置した場所でした。
のちの皇族将軍宗尊親王の近臣、兵衛左衛門尉の妻(法名を妙常日栄)が住み、桟敷の尼
(さじきのあま)と称したといわれています。


この尼は熱心な日蓮宗信者で1271(文永8)年、日蓮が龍ノ口の刑場へ引き立てられていく時、
ぼたもちをつくり日蓮にさしあげたところ、奇跡がおこり龍ノ口の法難を避けられたといわれて
います。

文永8年(1271)9月、日蓮は幕府に捕らえられ龍ノ口の刑場に送られました。世に龍ノ口の
法難と言われるものですが、その時、ここ居た桟敷の尼がゴマのぼたもちをつくって日蓮に
勧めたことから、俗に「ぼたもち寺」と呼ばれています。同様の話が龍口寺輪番八ケ寺の一
つ法源寺にも伝わっていて、そちらは老婆が差し出した握り飯が転げて、砂にまみれ、ゴマ
をまぶしたぼたもちのようになった、と言われています。

日蓮にぼたもちをさしあげたこの場所に、1606(慶長11)年日詔(にっしょう)が 創建し、尼の法
名から寺号をつけ、のち日祐が再建したといいます。


毎年9月12日の龍ノ口の御法難会には、常栄寺から龍口寺の日蓮像に ぼたもちを供えてい
ます。本堂の左には兵衛左衛門尉と その妻である桟敷の尼(さじきのあま)の墓(供養塔)が
あります。

訪れてみますとこじんまりとした境内に草木がすごいです。季節柄花の時期は過ぎていまし
たが、今度は花が盛りの時期にもう一度訪れたいと思いました。




常栄寺山門です。 山門にも「ぼたもち寺」と書いています。



本堂です。本当にこじんまりとした境内に草木がびっしりです。
ここから八雲神社を経て材木座海岸へ出る道は、
住宅街の中を行く 格好の散策路でもあります。




2001年11月25日

            湘南便りその29:鎌倉散歩第3回

         
 「八雲神社」

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順序が逆になってしまいましたが、安養院から妙本寺へ行く途中に可愛らしい神社が
あります。今回はこの八雲神社を紹介します。

八雲神社は、鎌倉最古の「厄除開運」の社といわれ、地元では八雲さん∞お天王
さん≠ニ呼ばれ親しまれています。

その昔、鎌倉で疫病が流行し、多くの人々が苦しむ様子をみた頼朝から4代前の源義
光が京都祇園社の祭神をここに勧請したのが始まりと伝えられています。

戦国時代になると小田原の北条氏の加護を受けて、さらに江戸時代には 幕府の厄除
け祈願所にもなりました。


裏山は八雲神社から東勝寺跡に通じる祇園山のハイキングコースになっています。


毎年7月の 第二土曜日から3日間、この神社の 例祭が行われます。普通の神社の例祭とは
少し趣が異なりますので少し紹介しますと、

初日の朝、氏子が「浜降り」した材木座の海に出て身を清め、カジメを取ってきて神輿を安置
してあるお仮屋や神社の拝殿にかけます。

湯花神楽といって、釜に湯を煮たぎらせて神楽を舞い神を祈る儀式をすませてから神輿をお
仮屋に移します。

夜になると提灯に火を入れて明るく輝いた4つの神輿を担ぎ大町地区を回ります。

この日の夜だけ、6時頃から9時頃まで、「焼きそば」や「金魚すくい」などの出店があります。

関心のある方は以下にお問合せ下さい。

問い合わせ先:八雲神社 0467(22)3347

因みに、この八雲神社では、お弁当を食べる事ができます。但し、お弁当の残りは、持って帰
らなければいけないそうです。
拝殿の前に二礼二拍一礼の仕方が、看板に書いてありましたので、私もその通りにお参りし
て来ました。

次回は「ぼたもち寺」を紹介します。




ここが八雲神社正面です。階段を上がって鳥居をくぐると直ぐに拝殿
があります。私の郷里の鎮守さまと比べても本当にこじんまりとした
神社です。



拝殿横の銀杏が見事に色づいていました。八幡宮に比べればスケー
ルは小さいのですが立派な木です。やはり、神社には銀杏の木が
似合います。



源義光公の手玉石とのことです。説明がなかったので良く分からないの
ですが、義光公はこの2つの石で「お手玉」をしたのでしょうか?
ちなみにとても一人で持ち上げるのは無理だと思います。
 




2001年11月18日

            湘南便りその28:鎌倉散歩第2回

         
 「妙本寺」                


安養院から少し道を下馬交差点方面へ戻り八雲神社前の細い路地道を直進すると妙本寺
に出ます。

この地は比企ケ谷(ひきがやつ)と呼ばれ、比企一族が滅亡した場所とされ、滅亡の折りに
逃れられた当時二歳の能員の末子が成人して学者になり、比企大学三郎能本と名乗り時
の順徳天皇に仕えました。その後姪のよしこが将軍藤原頼経の人になったことから許され
て鎌倉に帰り、日蓮の弟子になり この父の屋敷跡に御堂を建てたのが起こりとされます。

比企一族の長・能員(よしかず)は、頼朝の乳母の比企尼の養子であり、頼朝の旗上げの
時から加わっており、数々の勲功を立ててきた有力御家人の一人でした。

比企尼は頼朝が伊豆に流されていた間も頼朝を支え続け、頼朝もそれに応え、この地を能
員に与えました。
しかし、頼朝が亡くなり、比企一族の悲劇は始まったのです。

能員の娘は、二代将軍頼家の妻(若狭の局)で、既に、後継ぎ一幡(いちまん)をもうけてい
ました。

藤原摂政時代から、外戚が権勢を振るうのは日本の伝統とも言えるものであって、幕府内
で勢力を伸ばしてきた北条氏(時政)にとって、能員は自分に取って代わる立場にあり、そ
のことに強い恐怖感を抱いていたに違いありません。


時政は、名越にあった自邸に仏事と称して能員を招き、暗殺してしまいます。そして時を移さ
ず、比企の邸を急襲し、火をかけ、殺戮の限りを尽くしました。

こうして比企一族は滅ぼされてしまう。その中には将軍家の後継ぎ一幡も含まれていました
(6歳)。
結局、頼みとする比企一族が滅ぼされ、わが子・一幡まで殺されたことを知った頼家は激怒
しますが、自分の命に従うものもなく、修善寺に幽閉され、挙句の果てに暗殺されてしまいま
す。

それにしても頼家の実母・政子は一体どうしたのでしょう。当時は、貴人の長子は乳母に預
けて育てるということが普通であり、「血を分けたわが子とはいえ、粗暴で、我侭な頼家には
愛情が湧かなかったのでは・・・?」ということだったのでしょうか。

「いたいけな一幡まで何故ーー?」ここに北条時政と政子の策謀が見え隠れします。
本来であれば、三代将軍は、実朝ではなく一幡なのです。政子は、どうやらわが子・実朝に
跡を継がせたかったのでしょう。

こうして、陰謀、殺戮により御家人たちの中での優位を守りぬいた北条時政も僅か二年後に
は、自分の娘・息子の政子・義時の姉弟により、伊豆に隠退させられてしまいます。
時政の後妻・お牧の方にそそのかされ”実朝を失脚させ、平賀朝雅(妻がお牧の方の娘)を
将軍の座に就けよう”としたからでした。

しかし、三代将軍・実朝も、十数年の後、頼家の子・公暁に暗殺されてしまいます。
(公暁を八幡宮の別当にしたのは政子ですが・・・)。


その公暁に”実朝が父・頼家の仇である”と吹き込んだのは、御家人の誰かですが、京都の
後鳥羽上皇依りの姿勢を見せる実朝が、幕府にとっては長ずるにつれ邪魔な存在となって
行ったのでしょう。
東国の御家人たちの”自分の土地は自分で守る”と言う土地に対する執
着をまざまざと見せ付けられた思いがいたします。


妙本寺の総門を潜ると、片側は右側は幼稚園、左側は民家となっていて、どことなく違和感
がありますが、それを抜けると両側に鬱蒼とした森が広がって来ます。その中にまっすぐ続く
参道があります。そこは、若宮大路の喧騒とはまるで違った静寂の世界です。。

境内には祖師堂があり、その左横から墓地、更に祇園山ハイキングコースに通じています。

このお寺さんはとても奥行きが深く荘厳な格式高いところで、季節の花々でも有名なのです
が案外訪れる人が少なくてとても穴場的な場所です。私のお気に入りのお寺さんの一つで
もあります。




妙本寺祖師堂です。私が訪れた時もほんとうに静かな雰囲気でした。



私がこのお寺さんが好きなもう一つの理由がこの猫ちゃんの
存在です。ノラだと思いますがとても人懐っこいです。



この季節境内ではこの「山茶花」の花が見頃です。綺麗ですね。




2001年11月11日

            湘南便りその27:鎌倉散歩第1回

           
「安養院」                


長らくお待たせしました。久し振りの湘南便りの更新です。

今回から晩秋から初冬に向かう鎌倉の風情をご紹介しようと思いますが、鎌倉の紅葉は概ね11
月のおわりから12月初旬にかけて本格的に楽しめるようになります。

したがいまして、今回の取材で久し振りに鎌倉の街を歩いて見ましたが鎌倉の紅葉を紹介するの
は、少し早いようでした。

前回の鎌倉散策ツァーは主として北鎌倉をスタートして稲村ヶ崎に至る北西部から南西部を中心
としたスポットを紹介しましたが、今回は主として大町地区を中心とした南東のスポットを紹介した
いと思います。また、私は今回デジカメを購入しましたので掲載する写真は原則として私が撮影し
たものをお見せします。何しろデジカメ初心者のため多少のピンボケはご容赦願います。

今回訪れた大町地区は、北鎌倉や八幡宮周辺に比べ、観光客も少なくどちらかと言えば目立た
ないところです。江ノ電和田塚駅で降り、由比ガ浜通りを歩いて下馬交差店から横須賀線の踏み
切りを越えますと大町地区に入ります。

さて、最初に訪れたのが安養院です。

鎌倉、大町にある安養院は浄土宗で、正式には祇園山長楽寺安養院と云います。
開基は北条政子とされ安養院殿如実妙観大禅定尼の位牌と法体の像が安置され、また境内に
は政子の墓(供養塔)と云われる重文の宝篋印塔が残されています。
これは政子が嘉禄元年(1225)3月に、現在の鎌倉文学館の辺りに頼朝の菩提を弔うために長楽
寺という寺を建立したことが、この寺の始まりと伝えられていることによります。
田代観音という田代信綱の守本尊を胎内に込めていた千手観音も祀られ、坂東三十三札所の第
3番としても知られています。

安養院はツツジのお寺としても知られていて、門からの境内周囲を、高さが5メートルを超えるほ
どの大きなツツジが取り巻いています。季節にはそれが一斉に開いて門前の歩道はさながらツ
ツジのアーケードになります。

このお寺さんのツツジはそれはそれは見事なものですが、今はその季節ではありません。この時
期には境内のあちこちで「 石蕗 」 (つわぶき)の花を見る事が出来ます。皆さんはこの植物をご
存じですか?以下に少し紹介します。

石蕗 (つわぶき)

・開花時期は、10/15頃〜11/  末頃。  ・菊(きく)科。学名    Farfugium japonicum
・葉は蕗(ふき)に似ていて 名前は”つや”のある葉から、”つやぶき”。  それが変化して
「つわぶき」になったと言われています。
・きれいな黄色の花が咲きますが、冬から春にかけて、若葉をつみとって塩ゆでにすると
 おいしいらしく、葉を火であぶったものは腫れ物や湿疹に薬効があるそうです。
・九州名産の「佃煮キャラブキ」はこのつわぶきで作られています。
・12月28日の誕生花(石蕗)
・花言葉は「困難に傷つけられない」(石蕗)です。

つわぶきを詠み込んだ、俳句や和歌には次のものがあります。

・「ちまちまと  した海もちぬ石蕗(つわ)の花」  小林一茶
・「石蕗(つわぶき)の  日陰は寒し  猫の鼻」酒井抱一(さかいほういつ)
・「いくたびか  時雨(しぐれ)のあめのかかりたる  石蕗の花も  つひに終はりぬ」斎藤茂吉。
 
しかし、今回は鎌倉についた途端に雨が降り出してしまいまして、写真が暗くなってしまいました。

次回につづく



安養院の山門です。ちょっとビンボケ。



裏の庭に大小二基の宝篋印塔(ほうきょういんとう)があります、
鎌倉最古のものとして重要文化財に指定されているそうです。



これが石蕗 (つわぶき)の花です。