2002中国(丹東→大連)
2003年1月1日
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新暦の正月はクリスマスの延長 |
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箱の大きさの向こうに家族が見える |
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後始末は結構大変 |
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新年快楽!しかし、まるで実感がない。中国は新年を旧暦で祝うため、街はまだクリスマスである。大きなケーキの箱を持って歩いてゆく人をよく見かける。市場に潜入する。肉、魚、野菜、あらゆる食材が溢れている。気分が昂揚してくる。そのまま、狭い裏の路地を徘徊する。思えば、いつもこのようにしてあてもなく街をさまよいながら旅をしていた。「何しに行ったの?」と聞かれていつも返答に窮する旅をしてきた。今、一年半の空白を埋めつつある。激しい爆発音が連続して響く。新年を新暦で祝う新しい世代も出てきているのだろう。しかし、中国の爆竹は日本で売られているのより相当大きいようである。凄まじい爆発音の後、大きな燃えかすがあたりに散らばる。
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市場に潜入する 肉塊に心躍る |
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蟹を選ぶ時は腹を見る |
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売場管理におけるトータルコーディネートの基本は山積み |
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鴨緑江に出てみる。お土産屋に金日成バッチが売られている。値段を聞くと80元(1,200円)だという。さすがに高い。北朝鮮を眺める。ダミーと言われている、回らない観覧車が見える。冷面をと思い、安食堂に入る。温かい面もあるというので頼むと、日本のうどんのようなものが出てきた。
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路地があったら入りたい |
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今日もあまり売れなかった |
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わりばしの袋にはおてもとと書いてあった |
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どこを見つめる |
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少し寒い |
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賭けている事は明白である |
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怪しい外人に写真を撮られた |
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南京豆製造マシン |
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箱が少し大きいのではないかと思う |
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店の隅の近寄り難い空間 |
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結局は元に戻ってしまう |
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バスターミナルの切符売り場で「五龍背温泉に行きたい」と言うと、何人かで協議した末、2号乗り場で聞いてみろと言う。どうもそれほど有名ではないらしい。そこで同じように言うと、リレーのバトンのように、切符係→改札係→車掌と引き渡されて言われるがままに面包車(マイクロバス)に載せられた。2.5元(40円)らしい。暫くしてバスは走り出し、中国石油に停まった。中国でバスがガソリンスタンドに立ち寄るのは、ごくあたりまえの事である。40分ほど走り、車掌に呼ばれて降ろされる。同じく降りた人に「温泉はどこだ」と聞くと、笑って「そこだ」と言う。どこだもなにも、建物はそれしかないのだ。しかし、その建物は大きいが、あまり温泉のようには見えない。
建物に入ってゆく。北朝鮮の新義州ツアー480元(7,200円)というポスターが貼ってある。入浴はできるかと聞くと、道順を教えてくれる。15元(230円)。薄暗い廊下を歩き、二階に上がるとフロントがあるが、誰もいない。構わず奥に入るとサウナと浴槽があった。が、お湯がない。戻って、お湯が無かったと言うと、暫くして若いお兄さんが現れ、案内してくれたのはやはり同じ場所。タオルと歯ブラシをくれて、おもむろにお湯を入れ始める。これからお湯を張るらしい。脱衣所から一階のプールが見える。そっちは賑わっているが、風呂は人気が無いらしい。お兄さんは筆談で「ここはお湯がいいから病気が治る」と説明してくれる。
お湯が溜まるまで、とりあえずシャワーで体を洗う。お兄さんがうろうろしていてしきりに按摩を勧めてくる。案外早くお湯が入ってきたので、浸かってみる。無色透明のアルカリ単純泉。適温で心地よい。氷が融けていくようだ。
上がった後も「休憩は?」「按摩は?」「ビールは?」としきりに勧めてくれる。最後のはちょっと惹かれたが辞退して帰途へ。道端に立っていると面包車に拾われる。運転席横の展望席をあてがわれたが、峠を走るバスは迫力満点。3速が死んでいるようで、2速で引っ張り4速に入れている。トラックがあれば追越す義務があるらしい。下り坂ではクラッチを切り落ちていく。なぜか帰りは2元(30円)だった。どっちにしろ危険だが安い。
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バスに揺られて |
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按摩はいかが? |
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速い!安い!怖い!の三拍子 |
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もう少し街を歩く。大きな歩行者天国に出た。ここが繁華街らしい。ビルに入るとそこはリトルアキバになっていて、パソコンやパーツ、怪しいソフトが売られている。中国はもうVCDからDVDに時代が移っているらしい。DVDは一枚8元(120円)。近くのビルはハイパーマート風の大型超市(スーパー)。なんでも手に入る。小姐に哈尓浜ビールを手渡されたので、それを買う。台湾式ファーストフードがあったので、杏仁乳茶を頼む。タピオカミルクティーのつもりだったのだが、ココナッツジュースが出てきた。メニューを指して頼んだので、これが正しいらしい。前まで、杏仁乳茶を頼むとタピオカミルクティーが出てきたが、それは全く通じてなくて、店の人がとりあえず一番売れているのを出していたというのがどうも真相のようだ。一人で納得しながらホットのココナッツジュースを飲む。
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辛い幸せ |
朝鮮料理の安食堂に入る。冷面と狗肉(犬肉)と鴨緑江ビールで晩餐。お通しでもやしのキムチと、白菜キムチが出る。もやしキムチはごま油で炒めてあるようで、豆の食感とともにコクがあってうまい。白菜は浅漬けであっさりしていてこちらも美味。冷面の麺は餅のようによく粘る麺である。どんぶりの片隅に豆板醤が固めてあり、ここを刺激するとだんだん辛くなる仕掛け。狗肉は砂肝とコンビーフを合わせたような味と考えると分かりやすい(分かりにくいか)。これを特製赤辛味噌で頂く。つまり、全部辛い。それほど辛くないと思っていたのにじわじわ効いてくる。辛いがうまい。寒いのに汗が出るので、更に寒くなる。18元(270円)也。
インターネットカフェでメールを打つ。インターネットは高速で快適。日本語のページもある程度見れる。が、IMEが入っていないので、打つのはローマ字。今日の丹東、最高気温−5℃最低気温−17℃。一時間で3元(50円)とえらく安い。
宿に戻って、体を解凍するためだけのシャワーを浴びる。お土産の哈尓浜ビールをうっかり床に落とし、小さな穴が空いてしまったので、仕方なく飲む。そのまま就寝。
2003年1月2日
トイレの水が出ない。中国のトイレでは水が出ない、止まらない、つまるなどのトラブルが日常的に起きる。中国を旅するにはトイレの構造に精通している必要がある。後ろのタンクを開けて直す。無事、物証を流す。
朝食に昨日超市で買ったインスタント焼きそばを試してみる。作り方はUFOと一緒(という風に解釈した)。ふたを開けると中から割り箸が出てくる。これは親切である。お湯を捨てるまでは日本のと同じである。最後に味噌状のタレを混ぜると中華風炒面になる。かなりリアルな味を実現していると思う。
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ゆるゆると時間が流れてゆく |
宿に荷を預け、鴨緑江公園へ。閑散としている。北朝鮮を見に行く船に乗りたいが、船員は大貧民に興じていて一向に出航する気配がない。船はいくつもあるが、どれも暇そうである。船賃は18元(270円)だが、50元(750円)出せば一人でも出航すると言う。が、さすがにちと高い(なんて弱気な日本人だ)。しかし、やはり出そうな船が見つからない。36元(540円)で出すという船があったので、これで妥結。工作船のような小さな船で、川に飛び出してゆく。氷を避けながら、北朝鮮に接近してゆく。川の中央が国境とすれば明らかに「入国」してしまっている。北朝鮮側は林や工場が見えている。しかし、煙が出ている煙突はあまりない。逆側に目をやると中国のビル群が見える。その差は歴然である。船の上で滑りそうになる。ここで川に落ちたらと想像する。船頭から後ろは全く見えない。気付かずに走り去る可能性が高い。近いが危険な北朝鮮側へ泳ぐか、遠いが安全な中国側へ泳ぐか・・・。そもそも、この凍てつく川ではどっちにしろ助からないか。
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この橋渡るべからず |
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北朝鮮の凍った港 |
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未知の国に手が届きそうなまでに |
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北朝鮮の港に一番接近したところで、カメラがあろうことかバッテリー警告。昨日まで極寒の街を裸で持ち歩いても確実に動作していたので、油断してカメラを寒風に晒していたのだ。高速で電池交換。しかし、北朝鮮の港に長時間接近する事はやはり危険であるらしく、船頭はエンジンの回転を上げ、猛然と引き返し始める。遠ざかる北朝鮮の港めがけて数発のシャッターを打ち込んだ。
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近くて遠い その川幅は約500m(合成) |
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過去へ迷い込む旅 |
繁華街に戻り、徘徊を続ける。大きな通りの向こうに露店の市場が見える。流れてゆく。市場を抜けると斜面にへばりつくように家がひしめいて建っている。小さい女の子が、羽根つきの羽根を大きくしたようなもので蹴鞠をしている。写真を撮ろうとしたら逃げられてしまった。
招待所に預けていた荷物を受け取る。なかなかいい宿だった。そのまま駅へ。軟席候車房に入る。実は今日の大連行き夜行は最高級の軟臥(A寝台)なのである。丹東から大連まではバスで5,6時間の距離だ。しかし火車は三角形の二辺を走るので、夜行がある。今まで硬座や硬臥ばかりだったので、一度ぐらいは軟臥に乗ってみたいではないか。169元(2,500円)を奮発して切符は入手してある。
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ホームで見送る人 日本では見かけなくなった |
コンパートメントには二人のカップルが入ってきた。その会話の内容がよくわかってしまう。と思ったら日本語である。頭が混乱して、「ワタシニホンジンです」と中国語で言ってしまう。暫く使っていなかった日本語を取り戻し、話をする。丹東に住むPさんと日本人のGさんだった。二人はメル友で、Gさんが中国へPさんに会いにきたらしい。Pさんは日本語を流暢に話す。更に中国語、そして朝鮮族なのでハングルも話す、というよりハングルが母国語だ。Pさんは彼を無事火車に乗せるとここでお別れ。「大連に着いたら必ず電話して下さい」ときれいな日本語で言って降りていった。Gさんの出身を聞くと富山だという。この異国の地で魚津というローカルな地名を聞くとは。しかも、話してみると同じ飛行機で来て、同じ飛行機で帰るらしい。大連で一番いいホテルに泊まる豪華旅行(というか、日本人としては普通の旅行)と寝台バスの赤貧旅行。両極端の旅がここに交わる。同室のもう一人の中国人は、「隣にいますから、大丈夫です」と日本語で言って出ていった。
車掌が怪しい紫外線ライト付きキーホルダーを売りにくる。中国のお札は紫外線を当てると透かしが出るようになっていて、これで偽札を見分けられるようになっている。車掌が100元札にライトを当てると100の数字が浮かび上がる。なるほどこれは面白い。
夕食はカップラーメン。海外旅行でわざわざカップラーメンを食べなくてもと思うが、火車が夕方発で、夕食を食べてこなかったから仕方がない。例によって蓋を開けるとフォークが中から出てくる。3つの袋をちぎって中に投入し、お湯を入れ4分。開けてみると袋が1つ泳いでいた。食べ終えて、スープを捨てに行くと、厠所は使用中。しかし、車掌が捨てといてくれるという。信じられない。有り得ない。さすが軟臥である。
久しぶりに日本語を話す。Gさんが丹東のホテルの服務員と話していて、奥さんはいるのかと聞かれ、「いないから紹介してください」と冗談で言ったら、本当に女性が紹介されてきたという話。「日本の中年男性は独身が多いのですか」と聞かれ、「なぜ?」と聞き返すと「丹東に日本の中年男性がお嫁さんを探しに来ます」と言われたという話。日本と中国の別の関係が垣間見える。
明日の朝が早いので、すぐに就寝。しかし、同室の中国人のいびきがすごい。時々呼吸が止まるのでやたら気になる。部屋は暖かく静かで快適が故にいっそう際立つ。これは、常に騒々しい硬臥や寝台バスの方が眠れるかもしれない。