2002中国(大連→富山)

 

2003年1月3日

 大連には早着した。中国の火車は時々早着・早発があるから侮れない。早朝5:16着の列車の早着は有難くない。大連は雪。雪の早朝に宿探しは億劫なので、客引きに着いて行く事にする。この季節のこんな時間にちゃんと客引きがいるというのが、中国の不思議なところであり、安心なところでもある。おばあちゃんと交渉。100元(1,500円)だという。風呂付きで50元(750円)のはあるかと聞くと「有る有る。とりあえずついて来い」という。暫く歩き、おばあちゃんは宿の人が寝ているのを起こして中に入る。順奉旅社。100元と150元の部屋があるという。しかし、100元の部屋は8時まで空かないし、150元(2,250円)の部屋の方が条件がいいから150元の部屋にしろと言う。まけろと言うがまからない。こっちもこの極寒の早朝では多少高くても妥結する他ない。完全に足元を見られている。しかし、150元の部屋も実は8時まで空かないという。全くこのおばあちゃんは調子が良くていいかげんだ。長年客引きをやっているのだろうなぁ。格下のこっちは完全に敗北である。おまけに旅順観光に行く事になっていて、更に120元(1,800円)払えという。さすがにこれは「友達に会わなければならない」と言って断る。

その電脳はインテリアだった

 旅社最高級の部屋はVCD、空調付きで二十四時間お湯が使える部屋だった。更に、なんとパソコン付き。これは、かなり珍しい。ひょっとするとネットが出来るのかと期待したが、なんと起動しない。空調も冬には意味が無いし、VCDを見るほど暇もない。お湯だって夜に出ればよい。

 とりあえず街に出よう。犬の散歩をしている人がいる。最近では中国でも犬を飼う人が結構いるようだ。ゴールデンリトリバーのような西洋の犬が流行っている。しかし、その飼い主、なんと犬料理屋の主人だった。

犬肉屋の犬 主人は相当犬好きらしい

 風が強く、長時間外を歩けそうにない。時々超市に逃げ込みながら五一広場あたりを歩く。昼食は快餐庁(カフェテリア式中華ファーストフード)で豚肉とピーマンの辛香菜炒めと、しいたけの炒め物。ご飯を頼むと何杯かと聞かれる。一杯以外がありえるらしい。豚肉ピーマンはご飯と合ってうまい。しいたけはやたら肉厚である。

 市電で駅に戻り巨大地下商城へ。またも、台湾式喫茶店があり、今度は珍珠乳茶を頼む。ちゃんとタピオカミルクティーが出てきた。またも一人で納得しながら飲む。本屋を覗く。丹東より日本語の教科書が多い。大連はかつて日本が占領していた場所。それに対する反感は当然あるはずだが、それを横に置いておいて、とりあえずそのつながりを商売に結びつける、というのが中国人の自然な行動である。インターネットカフェへ。ここも一時間3元。なんとここは、日本語IMEが入っているので、日本語でメールが打てる。隣のお嬢さんはハングルでメールを打っている。

大連冬の夜
闇を駆ける
この街はかつて日本に占領されていた

 

一時間後 すべて胃の中に

 夕食は火鍋にしたい。前回の旅で体調を崩し食べられなかったのをまだ根に持っているのである。火鍋屋を求めて街をさまよう。日中より風が収まったので、体感温度はましになっている。中山広場に出て、柄にもなくクラシックな建物を撮影する。更に歩いて勝利橋へ。さすがに寒さにやられつつあるところへ、火鍋の看板。吸い込まれる。

歓迎光臨!

 大きな店に、沢山の客が入り、店員が忙しそうに働いていて、非常に活気がある。若いお兄さんが、メニューを指しながら注文をうまくリードしてくれる。まずスープを選ぶ。「辛いのか白湯か」辛いのでいきたいところだが、腹の調子が万全でないので白湯に。「肉は?」「羊肉!」「野菜は?」「香菜!」「それとビールを!」「銘柄は?」「青島!」「冷たいの?ぬるいの?」「冷的!!!」オーダーがテンポよく決まっていく。

 やがて、鍋が火に掛けられる。具を煮て赤いタレをつけて食べると、お兄さんが「これはこうして混ぜるんだ」とタレをかき混ぜてくれる。羊肉は鮮やかなピンク色でしゃぶしゃぶ風に煮て香菜と味噌ダレで頂く。羊肉は不思議なほど臭みもクセもない。冷えた青島の純生がうまい。とても食べきれないと思った食材を結局平らげてしまった。

 

 

2003年1月4日

 朝7時宿を出る。気温が低く、更に風が強く体温をみるみるうちに奪われる。それでも相変わらず中国の朝は活気がある。そのパワーには圧倒される。コンビニ快客(クイック)に逃げ込む。怪しい食品をゲットして市電に乗り込む。バスを乗り継ぎ机場前で下車。空港に向かって歩き出す。向かい風がフードに入り込み耳が痛い。コンビニ袋を下げた指が痛い。
 チェックインを済ませ二階に上がろうとするとエスカレーターボーイに「Too Heavy」と制せられる。たった8キロだから、持ち込めないはずはないが、こいつは怪しいと踏んだのだろう。時間がないのですべての荷物を預けて搭乗。スチュワーデスは前を歩く日本人には「オハヨゴザイマス」と言っていたのに、私には「ニイハオ」なぜだ。更に、中国人用入国カードを渡される。座席に座ると旅の疲れがどっと出てきた。というより、自分で疲れに気付かないようにしていたのかもしれない。そのまま眠りに落ちていく。
 気がつくと眼下に陸地が見えている。韓国かと思ったが、うちの近所の銭湯なんかが見えている。到着らしい。荷物を受け取るとザックはよれよれになっていて、相当手荒に扱われた事が分かる。更にザックになにやら赤い液体がべったりとついている。そしてそれはおぞましい悪臭を放っている。よれよれに悪臭。帰国だけは長期の旅に引けを取らない体裁が整ったと自負している。