私が最初にこの曲を聴いたのはLPレコードの時代、高校生の時に買ったディミトリー・ミトロプーロスがウィーン祝祭管弦楽団を振ったザルツブルク音楽祭でのライヴ録音(1960年8月28日、マーラー生誕100周年。First
time on one record
と記されたキワモノ。)。蚊の鳴くようなというか隣の部屋で鳴っている何かの騒音としか聞こえないような劣悪なものでした。巨大な作品とはいえ管弦楽部の弱音、合唱の弱音の魅力に溢れたこの曲の素晴らしさを味わうなんてとうてい無理な話で、想像力を最大限に発揮して聴かなければならないものでした。のちにリマスターされてCDになった演奏(音質は期待するほど改善されていない。オーケストラはウィーン・フィルと記されていますが、これは誤記と言うべきでしょう。)も聴きましたが、昨今の完成度の高い演奏を聴いた後ではさすがに聴き劣りするのは免れません。さすがの天才ミトロプーロスをしてもこの巨大な作品を纏め上げるのが精一杯、まだマーラー経験の乏しい混成オーケストラ相手に格闘している様が目に浮かびます。レナード・バーンスタインがその13年後にマーラーの交響曲第5番をウィーン・フィル(たぶんウィーン祝祭管弦楽団の母体だったはず)でリハーサルをしているドキュメンタリー映像を見たことがありますが、そこでもバーンスタインはウィーン・フィルのやる気のなさ、マーラー音楽の理解のなさに毒づきため息をつきながら汗だくになって振っていました。話しを8番に戻しましょう。
しかし、意図するところはワーグナーと同じで歌手の内なる感情の起伏を背景に動く弦楽器によって暗示しようとしているものと考えられます。マーラーは下降だけでなく、上降して下降するというパターンも多く書いています。その中でリズムを変えたりするため音型によってはどうしてもテンポが揺らいでしまう傾向にあるため、マーラーはわざわざ
Stets streng im Tempo (常に厳格なテンポで)や 、Sempre a tempo
(常に元のテンポで)とまでスコアに書いて、奏者が気分に乗じてテンポを動かして歌を置いてきぼりにしたり足を引っ張ったりしないようにという配慮からと思われます(第1部の独唱陣のアンサンブル)。ソリストは8人もいてさらには混声合唱まである中、弦楽器に複雑な音型を同時進行させ、そのために細かくダイナミクスの変化をつけさるという、そんなスコアを書くなんてマーラーの頭の中はどうなっているのだろうと驚くばかりです。千人とは言わなくとも数百人が乗る広い音場でどの声部も聞かせるように演奏する、しかもオーケストラには伴奏というレヴェルを超えた決して易しくない音符を、意味ありげに且つ歌をかき消さないように演奏するのは困難を極めるとこと思わざるを得ません。
例えば第2部のバリトンの独唱の箇所ではマーラーはこれでもかと速度標語Vorwärts (前に進んで)、 Poco
stringendo.(少しだけ次第に速く)、Drängend.(急き込んで)を書き加えたあげく、あらゆる強弱記号を書きなぐってダイナミクスを秒刻みで変化させた上で技術的に極めて難しいパッセージを奏者に献上しています。確かにそれによって歌詞に隠された深い感情表現を劇的な効果を加えてわかりやすく正確に聴衆の耳に届けようとしています(この箇所こそワーグナーを超えた瞬間ではないかと私は確信しています。)。しかし、初演の50年後に演奏した天才指揮者ミトロプーロスですら苦労したこの曲で、マーラーは当時の奏者達からどれだけの結果を得ることができたのでしょうか。マーラーは指揮台の上で大歓声を浴びる中、指揮者として苛立ち怒りにたけり狂い、作曲者として失望と落胆に沈む自分の姿を見つめていたのかもしれません。この8番の後に書いた2人の独唱を伴う『大地の歌』では、この8番での経験を基にマーラーはまた別のオーケストレーションのスタイルを私たちに示してくれることになります。