長歌行 壱

 東洋史を専攻した割には、唐の王朝がどんな感じに立ち上がって、誰が最初の皇帝になったのかという記憶が、すっぽりと抜け落ちてしまっていた。というか、漢文が読めずそれならと、卒業論文にはインド史を無理矢理選んで、やっぱり読めない英語に四苦八苦したほどで、それでもやっぱり中国史を選ばなかったくらいだから、すっかり忘れてしまっていても当然か。

 それでも、興味がなければ東洋史なんて行かなかった訳で、調べ直し記憶も探って隋が楊堅から煬帝へと受け継がれ、その2代で滅びた後を、李淵という男が引き継ぎ、唐王朝を建てたんだと分かってきた。そして、その次の李世民が、基盤を築いて長く栄える大唐帝国へと発展していったのだと、理解したもののその李世民が、長男ではなかったにも関わらず、どうやって父親の後を継いだのか、といったことまでは流石に思い出せなかった。

 実のところ、それを習ったかどうかも定かではないくらい、衰えてしまっている記憶を記録によって埋めていけば、どうやら李世民は長男ではなく次男だったため、立太子はされておらず、地域の王として封じられていた模様。そこからいろいろと画策して、兄の李健成を殺し、その一族も皆殺しにして、自分が李淵の後を無理矢理に継いだというから、これぞまさしく下克上。戦国時代の日本も及ばない、壮絶な歴史がそこにはあった。

 なぜそ李世民はこまでしたのか。暗愚な兄を排除した、と書かれた史書もあるけれど、後の政権が、己を正当化するために書く史書は、ある意味で私書でもあって、すべて本当のことが書いてあるとは限らない。歴史に残っていないことも、実はいろいろあった可能性だってあって、だからこそ後世の者たちは、そこに想像の筆を及ばせて、空前の物語を引き出すことができるのだ。

 李世民はどうして兄を殺したのか。それのみならず、兄の一族を皆殺しにしてしまったのか。もしかしたらそこに、ひとりの優れた人物の存在があって、その身を脅かされかねないと考えたからかもしれない。聡明で、頑健で、そして麗しい姫君。誰もが慕い尊ぶその存在が、いずれ大勢を集めてわが身を、わが一族を滅ぼしかねないと、考え先んじて延ばした李世民の刃の下をかいくぐり、その姫君が生き延びて、父の敵、母の敵の李世民に復讐を誓う。浮かび広がる想像。それを形にしたものが、夏達の「長歌行 壱」(集英社、600円)だ。

 幼い頃から聡明な上にお転婆で、歴史に学び、軍学を修めつつ武術体術も鍛えていた永寧姫は、父親が李世民に討たれた際に、家臣によって馬車に乗せられ、都の外に落ち延びさせようと送り出されたものの、追っ手は厳しく、すぐ背後まで迫ってきた。もっとも、そこはさすがの永寧姫、馬車から馬だけを放ちまたがり、自ら駆っては谷を越え、見事に逃げ延び追っ手の将軍、かつての師を感嘆させる。

 将軍は戻り、姫は死んだと報告するものの、ただ逃げ出しただけではなかった姫は、あろうことか身を男の姿に変え、都の長安へと舞い戻っては、惨殺された母の亡骸を弔い、李建成の家臣でありながら、今は李世民に使える魏徴に生存を見せ、叔父への復讐を宣言する。その際に見せた手練れぶり。これなら李世民が恐れる可能性も皆無ではないと知れる。

 再び都を離れ、遠方にいる長官の下に、これまら驚くべき手管を使って軍師として潜り込んでは、迫る突厥を相手に華々しい戦果を上げ、その身をひとまず安泰に置こうとしたその矢先。長歌と名を変え男装した永寧姫に迫る手があって、その身への不穏が立ち上ってまずは1巻の終わり。未だ本格的な反抗へとは至っていないものの、その余りにも凄まじい生き様から、この後にいったい、どれだけ壮絶な反抗の物語が描き出されるのか、今から興味が尽きない。

 心配があるとしたら、埋もれてしまった歴史の隙間に、イフは突きつけられても、厳然としてある、李世民から続く唐の歴史は、絶対に変えられないというところ。李世民の子孫は栄え、大唐帝国をもり立て、玄宗皇帝の時代に乱に遭い、楊貴妃を失っても、その後に再び、長い治世を続ける。そんな歴史の隙間、記録に残っていない地平に、どんなイフを描き上げることができるのか。どんな存在の跡を刻んでいけるのか。

 前作「誰も知らない 〜子不語〜」では、少女を主人公に山間の伝承を端正に描いた夏達。その彼女が、一変して描く血と知の混じり合った壮絶で壮大なストーリーを刮目せよ、読み通せ。


積ん読パラダイスへ戻る