双色の瞳
ヘルズガルド戦史

 「目から鱗が落ちるのと目に鱗が入るのとどう違うんだ」と言ったのは、不世出のショート・ショート作家にしてジョークの名手だった星新一だったかどうか、実のところははっきりとは記憶していないが、瞬間を切り取った時の前後を見ずして、状況をどう理解すれば良いのかを考えさせるものとして、確かに「目から鱗が落ちる」言葉だと言えるだろう。発言時にそういった含蓄があったかどうかもやっぱり知らないのだが。

 「目から鱗が落ちる」と聞いて、そういったジョークを思いつける人の思考回路の凄さは認めるに吝かではない。が、これがともすればインテリの皮肉にした思えないくらいに、とてつもない発想を持った作家がいたことを、作家の感性のビッグバンと喜ぶべきだろうか、それとも作家の知性の程度を懸念して嘆くべきなのだろうか。

 「目から鱗が落ちる話が読みたい」−漏れ伝わってくる状況によれば、編集にそう言われて書いたのが、デビュー作「高天原なリアル」の爆発する文体で多くの読書人を圧倒せしめた霜越かほるの「双色の瞳 ヘルズガルド戦史」(集英社スーパーダッシュ文庫、495円)だ。

 内容を説明すれば、文明が衰退した未来を描いたSF作品で、舞台となっているのは、ダイオキシンに類するような人間によって生み出された大量の毒素が、人類の遺伝子に重大な影響をもたらして様々なミュータントたちを生み出すようになった時代。その時代に大きな勢力として存在しているヘルズガルド公国では、現在の通念を延長した「人間」として完全な形態を持ったものだけが、選ばれた民として帝都へと上がり、王族や貴族に連なることが出来た。

 王国でも比較的汚染の厳しかった東部の地域では、物語の通念で言う「選ばれし子=完全な人間」が生まれる確立は低いらしく、本編の主人公となる少女デフィも、体躯は普通ながらも瞳が赤と緑の双色で、そのままでは「選ばれし子」とはならず、徴用され軍役に就いた果てに戦史するか、一生を工房で過ごすかしか道はなかった。だが、7歳までを変化なく育って来たデフィを母親は「選ばれし子」として安心して暮らせるようにするために、レンズ職人の腕を活かして瞳を灰色に見せる一種のコンタクトレンズを、淡水魚の鱗に着色して作って娘に与えていた。

 その甲斐あってデフィは、「選ばれし子」として帝都へと上がり、貴族に連なるライツ家の娘となって名前もウナ・ライツと変えて暮らし始めることが出来た。ただ、ウナにはコンタクトレンズがなくなった瞬間に、「俗民」に落とされるならまだしも身分を偽った咎で断罪される恐れがつきまとっていた。その為ウナは、貴族の暮らしにとけ込む他の「選ばれし子」たちとは違って、コンタクトレンズを自分で作る為に光学技術を扱える軍人となった。

 やがてウナは、伴に帝都に上がった少女で技術者出身のエレクトラ・ベンツィンが作り上げた内燃機関搭載の戦車を駆って、敵を相手に勇猛果敢に戦うことになる。だが、活躍を認められ身分が上がるに従って、つきまとうのはウナが本当は「選ばれし子」とはなりえない、身体的な特徴をもっていることだ。

 現在の社会通念上、あらゆる身体的な差異を差別の理由にすることは許されない。ウナのいる世界にそんな現代の理屈が通じるかどうかは分からないが、身体に特徴を持ちながらも活躍し続けるウナの未来を明るいものとするためにも、また読み手の釈然としない気持ちをスッキリさせるためにも、ウナが目にはまった鱗を落として、双色の瞳をありのままの見せつけても、許され認められる世界の到来が望ましい。その意味で「双色の瞳」は、まさしく「目から鱗が落ちる話」となるべきなのだ。

 と、聞いて「違うだろう」と思った人は日本語に当たり前な人たちだ。「目から鱗が落ちる話」とは、吃驚仰天させてくれる物語と読むのが普通で、決して物理的に「目から鱗が落ちる話」である必要はない。従って物理的に「目から鱗が落ちる話」となるだろう「双色の瞳」の設定が、単なる作家の知識的な狭隘さが生んだ誤解と見られても仕方がない。

 しかし、たとえ最初の誤解でも、はたまた事態を面白くするための作り話だったとしても、物理的に「目から鱗が落ちる物語」が、人間が文明の名の下に犯して来た罪の大きさ、人間が必死に生き延びようとする懸命さ、人間にいつの時代も付きまとう他者を認めない傲慢さ、人間のいつの時代も変わらない近親者への愛情……といった深淵にして重厚なテーマを語る物語に昇華している事実を目の当たりにする時に、読み手はまさしく「目から鱗」を落とす。それはもうボロボロと。

 いつか明るみに出てしまうだろう秘密を抱え、敵将に秘密が知られてしまうリスクも背負いつつ、戦いの場へと身を投じたウナ・ライツ。一段とシビアさを増す情勢を受けて、果たしてどんな物語が繰り広げられていくのか。重厚な寺田克也のイラストとともに、遠からず登場する第2巻が物理的にも、心情的にも「目から鱗」を落とししてくれることを期待したい。


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