荒野

 「恋に目覚めた荒野はこれからどうなるのか。悠也との関係が愛へと進んでいくのか。おそらくは2年という時間を間において再び巡り合うことになる2人が、2年の間に積んだ経験とともに向かい合い、ぶつかり合う中から答えは生まれてくるのだろう。それはいったいどんな形になるのか。それが嬉しい形でも、逆に悲しい形でも、自分を持った荒野や悠也が自分で考え決めたこと。だから臆さず前を向いて、来るべき第2部の登場を待とう」

 山野内荒野という少女が主人公になった桜庭一樹の小説「荒野の恋」の第1部がエンターブレインの「ファミ通文庫」として刊行された時、こんな感想を抱いて書き記した。大人気の恋愛小説家を父親に持っていて、幼くして母親を亡くしていた荒野は、書くものにふさわしく編集者とも家政婦とも恋愛を繰り返す父親の姿を間近に見ながら、入学した中学校で同級生となった悠也という少年との間に、様々な感情を芽生えさせていた。

 好きなら好きだと言ってしまえば話は簡単だが、そうもいかない事情が荒野と悠也にはあった。荒野の父、山野内正慶が親が再婚した女性が連れてきた息子。それが悠也だったからだ。義理でも兄弟となってしまった悠也を相手に、浮かんで来た恋慕の気持ちをストレートには出せないまま、荒野の元から悠也は去ってアメリカに留学してしまう。もう重なることはないのか? 程なくファミ通文庫から刊行された「荒野の恋 第2部 bump of love」で、帰国して来た悠也との関係は一線を越えて大きくは近づくことなかった。

 悠也の母親と再婚したはずなのに、荒野の父親はかつて愛人にしていた女性編集者の部屋に転がり込んで帰ってこない火宅ぶりを貫き通す。それでも父親の子を妊娠していた義母に異変が起こると、戻って来てしばらく家に居着いてどうにかよりを戻したりと、男と女たちは紆余曲折の関係を繰り広げる。そんな中で荒野は大人たちの愛の姿、とりわけ「おんな」という存在から放たれる生々しくて艶めかしい感情を間近に見て、少しづつ大人になっていく。

 そうやって成長した荒野と、再婚した母親への異論かそれとも妹になってしまった荒野を好きだと思う感情への罪悪感に囚われてのことなのか、家を出たままの悠也と荒野との間にどうにか恋が芽生え愛が育まれていく展開が、やがて刊行される第3部で描かれるのだと信じていた。が、ファミ通文庫から第3部は出ることはなく、1部と2部を改稿し、新たに書き下ろした第3部を付け加えた形で文藝春秋から「荒野の恋」は刊行された。

 違う。「荒野」(文藝春秋、1680円)というまったく新しい小説として登場した。

 「荒野の恋」から「の恋」が取れた。だからなのか、それとも最初から予定されていたことなのかは今となっては分からない。少なくとも「荒野」という小説で描かれたのは、中学校の入学式に向かう電車で一目惚れのように知り合った荒野と悠也の恋に結末が付く、さわやかな青春ラブストーリーではない。

 女に惚れられ、女に惚れまくる恋愛小説家の父親の「おとこ」としての醜悪さ。そんな父親の周囲に現れ感情を露わにする「おんな」たちの醜態。それらが荒野という少女の目を通して描かれた、生々しくて痛々しさも滲んだ情念の物語だったりする。そんな「おんな」に身近に触れて、自信も「おんな」へと成長していく少女の物語だったりする。

 「おんな。荒野は自分に強くおののいた。でももう、十六歳(いや、今日から、だけど)。なんでも見てやる。怖く、ない」(504ページ)。自らの内からあふれ出す「とろりとろりと、あったかくて、まどろむような、でもどっか怖い」(503−504ページ)女の気配を感じながら、荒野は「おんな」を体現する義母さえ「おかえり」と受け入れるふところの広さを身につけた。

 そうなってしまった荒野にもはや、初々しさにあふれた青春の恋愛を、悠也との間に通わせることはできないだろう。甘くてちょっぴり酸っぱい青春の恋愛ストーリーに結末がつけられることもない。残念と言えば残念かもしれないが、繰り返し描かれる荒野の父親をめぐって見せる女たちのしたたかさを見るにつけ、荒野ひとりが純愛を貫き通す方がよほど珍しい光景だとも思えてくる。

 「荒野の恋」で描かれたかもしれなかったファンタジックなラブストーリーが、「荒野」の上で現実を踏まえたリアルな愛憎の物語へと転じた。リアルな現実を生きている女や、いずれ女になる少女たちにとって、相応しい物語になったのだとここは受け止める方が良いのだろう。

 「おんな」を知った荒野には、純粋な悠也など子供にしか見えない。そんな彼を手玉にとって自分の想いのままに生きる荒野の荒々しくて激しい生き様を、この続きが描かれる可能性があるとしたら読んでみたいものだ。


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