荒野の
第一部 catch the tail

 恋の始まりは唐突で、それはある日ある時ある瞬間に訪れる。スーパーに買い物に行ってお金を払いお釣りをもらおうとして、アルバイトの少女の手に手が触れた瞬間かもしれないし、書店に行ってやっと見つけた縄文土器の解説書に手を伸ばそうとして、横から出てきた手の持ち主の輝く瞳に自分の目が合った瞬間かもしれない。

 学校の廊下を歩いて、曲がろうとした角で向こうから走ってきた少女にぶつかり跳ねとばされ、大の字に寝転がった頭上に短いスカートの下にある、白い沃野が広がっていた瞬間などは極めて高い確率で恋が生まれる。もっともそれは一方向的なもので、相手からは怨嗟のストンピングが顔面へと落とされ、残る卒業までの期間を疎まれ続ける確率がこれも極めて高いのだが。

 だったら荒野の場合はどうか。荒野といっても男ではなく中学生の少女で名字も入れれば山野内荒野。桜庭一樹の「荒野の恋 第一部 catch the tail」(ファミ通文庫、640円)という物語の主人公。父親は山野内正慶という小説家で恋愛小説ではちょっとした存在で、実際の恋愛でもあちらこちらで浮き名を流して文壇では評判になっている。

 それで荒野の母がよく怒らないものだと疑念も浮かぶが、実は荒野の母は既になく、築100年の家には父と荒野ともう1人、奈々子という名で170センチの長身で煙草をくわえながら競馬新聞を読むような、姉御風味の家政婦が住み込んでいて山野内父娘の身の回りの世話をしていた。

 そんな家で我が儘でもなく引っ込み思案でもなく、割に普通に育った荒野は春から鎌倉にある中学校へと進学することになり、入学式の日も電車に乗って学校へと向かおうとしていた。その時。閉まった扉にセーラー服のひるがえった襟の裾を挟まれてしまい扉のまで立ち往生してしまう。動こうにも動けず、無理をしたらリボンがほどけてしまって更に悲惨な状態に。そんな困っていた荒野を、助けてくれた少年がいた。

 眼鏡をかけたその少年は、挟まれた荒野の制服の襟をあっさりとはずし、礼も聞かずにスタスタと歩いて荒野がこれから通う学校へと行ってしまった。いずれ再会の時もある。そう思ったのもつかの間、入ったクラスにさっき見た電車の少年もいたから驚いた。なおかつ同じクラス委員にペアで指名され、2人の間に甘い香りが立ち上る……ことはなかった。教師が荒野を指名した時に言った名前を聞いた瞬間から、神無月悠也というその少年の態度が一変。荒野を慕うどころか逆に無視するようになってしまった。

 どうして嫌われるんだろう? どうしていじめられるんだろう? 親切にされたお礼を言いたかっただけだったのかもしれない気持ちが、悠也の頑なな態度で逆に強いものになっていく。それは恋? それとも単なる”吊り橋効果”? 恋も愛もよくは知らない12歳の荒野に浮かび上がった感情は、やがて悠也が訳あってごくごく身近な存在になってしまったことでさらに混乱し、激しさを増して吹き上がる。そして訪れる決断の場面に1つの想いとなって実を結ぶ。

 そして気づく。入学式のあの日。あの電車でのあの瞬間に荒野の恋が生まれたのだということに。

 荒野の父親の正慶が恋愛小説を地でいく、というより地を恋愛小説の形に直して書いているだけという男で、出入りしている編集者との関係を持ち、再婚をしても遠方に若い愛人を作る体たらく。そんな大人の熱くたぎった愛の形が描かれる一方で、12歳の少年と少女の純真でそれだけに複雑な恋の形が描かれていて、同じ人間と人間とか惹かれ合う感情でも、間には大きな違いが横たわっているんだということを思わせられる。

 姉と、あるいは母と慕い信頼していた相手が、愛に溺れる女だと知らされる少年や少女の戸惑う心のいたいけさ。少女はやがて女となり、少年も遠からず男となって恋を卒業して愛へと至ることは間違いない。

 間違いないけれども、そこへと到達する上で越えていかなくてはならない恋というハードルを、目の前にしておそるおそると近づき足をかけた少女と少年の、戸惑い怖れつつも惹かれ手を結ぶ姿に、誰しもが微笑みを浮かべることだろう。

 小説家の娘で引っ込み思案の眼鏡っ娘という、読み手を先入観に溺れさせて止まない記号でいっぱいの荒野が、内心にさまざまな葛藤を抱え悩みながらも、相手のことを思い遣る気持ちも失わないで日々を送っているという、心の奥底までもがしっかりと描かれたキャラクターとして造型されているところが嬉しい。母親を想い、訳あって身近な存在となった荒野を想いながらも反発する気持ちを埋めきれず、五木寛之の「青年は荒野をめざす」を読んで荒野をめざそうともがく悠也のキャラクターも力強い。

 再婚した正慶の結婚式に呼ばれてトイレで泣く女性編集者。その編集者が訪れた書斎を遠くから見つめる住み込み家政婦の奈々子。入学式の時に荒野に声をかけ、友達になったはずなのにある日突然荒野を避けるようになった江里華。物語の都合によって流されがちな、記号として配置されがちなキャラクターの少なくない中を、「荒野の恋」に出てくるキャラクターは誰もが自分を持っていて、自分で考え自分で行動し決断する。

 だからこそ読む人はそれぞれのキャラクターの心に触れ、自分と近い想いを抱いた心に触れて時に涙し、時に胸をときめかせながら話に浸ることができる。愛に膿んだ大人は正慶とその周りに集まる女性たちに、恋に憧れる子供は荒野や悠也や江里華たちに、身を重ねて今の自分をみつめ、これからの自分を考えることができる。

 恋に目覚めた荒野はこれからどうなるのか。悠也との関係が愛へと進んでいくのか。おそらくは2年という時間を間において再び巡り合うことになる2人が、2年の間に積んだ経験とともに向かい合い、ぶつかり合う中から答えは生まれてくるのだろう。それはいったいどんな形になるのか。それが嬉しい形でも、逆に悲しい形でも、自分を持った荒野や悠也が自分で考え決めたこと。だから臆さず前を向いて、来るべき第二部の登場を待とう


積ん読パラダイスへ戻る