映画大好きカーナちゃん

 杉谷庄吾[人間プラモ]による「映画大好きポンポさん」のスピンオフ漫画で、オーディションになかなか合格できないでいたフランちゃんを主人公にした「映画大好きフランちゃん NYALLYWOOD STUDIOS SERIES」(KADOKAWA、880円)のストーリーに、自分から動き出さないことへの叱咤を受けているようで身を引き締めた読者も大勢いただろう。

 もっとも、そんな外側の世界から物語を受け取っていた読者よりも、全身を殴りつけられるような衝撃を受けた人がいる。女優志望のカーナちゃんだ。同じく女優を目指し、いっしょに何度もオーディションを受け、落ちるのを繰り返していたフランちゃんが、自分から動いて自分が輝ける場所を作り出し、スターへの道をかけあがっていったのを横目に、カーナちゃんは先んじて映画デビューを飾りながら、脇役に甘んじ続けていた。

 どうして自分は。そう思う心の中には、演技が硬くて応用が利かず、オーディションに落ちてばかりいるフランちゃんを見下している自分がいた。自分は何でもそつなくこなしてデビューも先に果たしたのに、どうしてスターにはなれないのかといった嫉みの感情もたぶんあった。

 だからスターにはなれないのだとは気づかずに。

 そんなカーナちゃんが自分で気づき、動き出そうとするのが、「映画大好きカーナちゃん NYALLYWOOD STUDIOS SERIES」(KADOKAWA、920円)だ。不満を抱きつつ街を歩いていたところでぶつかってしまい、その時に突っ込んできた車にはねられてしまった男を病院に訪ねたカーナちゃんは、科学考証か家として仕事をしながら脚本家を目指していたその男、デュラントに自分をヒロインとして登場させるなら、ポンポさんを紹介するといって誘い出す。

 どちらかといえば冷笑的だったカーナちゃんの目に、今までになかった炎を見たポンポさんは承諾したが、デュラントの脚本はSF好きが高じつつもSFマニアに笑われたくないという思いから、固くて難しくてわかりにくいものだと指摘して、これを直せたら改めてプロデューサーとして仕事をしても良いともちかける。

 自分はスターになるべき上手い女優だと思いたがっているカーナちゃんと、自分は高尚な科学考証を盛り込んだ歴史に残るSF映画を作れると思い込んでいるデュラント。どこか似たものどうしの2人が、映画というエンターテインメントの世界で自分自身の間違いに気づき、あるいは思いを曲げてでも這い上がろうとする姿に、世を拗ねて生きている口先ばかりの人間として、頭を叩かれたような気にさせられる。

 とはいえ、ポンポさんもポンポさんで、共同出資を持ちかけた映画プロデューサーから、SF映画は費用対効果が薄いと言われた時に、「作品内容の精査を怠り、数字という名の大衆に迎合し続けたら…」「映画は芸術ではなく退屈しのぎの効率重視な消耗品に成り下がってしまうのよ!!」と訴えて、開いてから同額の出資を見事に引き出す。理想的過ぎるというなかれ。理想を失って何がエンターテインメントだ。そんな思いを新たにさせる展開だ。

 そうして整ったお膳立ての上、アクションスターのレオン・ポールウェイドが主演と監督を務めることになって、ますます高まる期待の一方で、カーナちゃんの方に問題が起こる。演技は上手い。けれども心が乗っていない。それがだから、カーナちゃんとの差だと気づいて追いつこうとしても、才能に違いがあって追いつけない時に、それでも掴んだチャンスは逃したくないとカーナちゃんがとった戦略がすさまじい。具体的にどうかは読んで頂くとして、これもひとつの女優の在り方だと感嘆させられるだろう。

 何かをやりたいと願った時に、さしのべられる手を待つだけでなく、自分自身で気付いて何かを成し遂げようと走り出す大切さを教えられた「映画大好きフランちゃん NYALLYWOOD STUDIOS SERIES」に続いて、夢のためなら見てくれにこだわらず自分をさらけ出す必要性、それでも芯だけは失わないで夢を見続ける大切さを感じさせられる「映画大好きカーナちゃん NYALLYWOOD STUDIOS SERIES」。会わせ読むことで、映画の世界に限らず創造の世界で自分の道を拓いていくヒントを得られるだろう。

 こうなると気になるのが、「映画大好きポンポさん」シリーズの中心にいて、ニャカデミー賞監督にもなったジーン・フィニィが次に何を始めるかということ。「「映画大好きカーナちゃん NYALLYWOOD STUDIOS SERIES」の末尾で往年の名プロデューサーから話を持ちかけられたジーンはポンポさんと対決するのか。そして挫折するのか。それともいっそうの大きさを得るのか。今はその物語が紡がれる時を待ちたい。


積ん読パラダイスへ戻る