シェイクスピア劇の映画化。
この「ヴェニスの商人」、初めて読んだのは少年少女向け世界文学全集で児童向けに抄訳されたもの。それだけポピュラーな作品ですけれど、長じるに従いこの作品、実はあまり好きではなくなってきたのです。
ひとつには、あまり人間ドラマを感じられないストーリィだからということ。
金持ちの美貌の相続人ポーシャを嫁取るための箱(金・銀・鉛)選び、アントーニオとシャイロックをめぐる人肉裁判、印象度はそれより低いけれど結婚の誓いとなっている指輪の問題と、その劇的場面に引っ張られすぎている面があるのです。
おまけに主要な部分で納得できないところがあります。美しく聡明な女性であるポーシャが、何故浪費家で経済破綻者のバッサーニオになど恋するのか。また、優れた商人であるのなら、何故自分の肉1ポンドなどという愚かな契約を結ぶのか、そんな非人道的な契約がまかりとおるのか。
といっても、今更この有名な喜劇がどうなるものでもありませんが。
この喜劇は本来主人公である筈のアントーニオやバッサーニオは重要ではなく、シャイロックとポーシャという脇役となる人物の方が実は重要。
アル・パチーノの演じるシャイロックは、一見して悪役と判るような人物ではなく、噛み締め噛み締めて初めて味が出て来るようなところが、お見事。
そして予想外だったのが、ポーシャを演じるリン・コリンズが素晴らしかったこと。ベテラン女優のような雰囲気がありますが、1979年生まれと意外に若い女優さん。登場人物中最もいろいろな感情を味わう女性ポーシャを溌剌と見事に演じていて余りある、という印象です。裁判の場で最後の最後まで緊張を引き付けるところを始め、見応えがありました。
この作品が好きでなくなったもうひとつの理由は、ユダヤ人への偏見に度が過ぎるのではないかと感じるようになったこと。
金に困っている以外の時にあっては金貸しは嫌われるもの、というのはユダヤ人に限らず普遍的な真理ですけれど、シャイロックへの報復はあまりに過酷なのではないかと思う。
結果的に犯罪性を認めて財産を没収するという処罰はともかく、キリスト教への改宗を強制するとは、何たる傲慢か。財産は物的な問題ですけれど、信仰とは心の問題でしょう。それにもかかわらず信仰を強制しようとするところに、キリスト教徒の傲慢さを感じて止まないのです。
また、キリスト教徒の恋人と駆け落ちして父親シャイロックを捨てたとはいえ、父親が没収された財産の半分をもらって娘ジェシカが喜ぶものだろうか。その点もこの作品の鈍感というか信用できないところです。
最後、閉じられていく門の外に佇むシャイロックの姿に、ユダヤ教世界からも押し出され、かといってキリスト教世界にも入るができずに、信仰世界の中で放浪者同然となったシャイロックの深い絶望を感じ取るのは、私だけでしょうか。
2006.07.30
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