大崎善生作品のページ No.1


1957年北海道札幌市生、早稲田大学卒。82年日本将棋連盟に就職、将棋雑誌の編集者を経て、2000年「聖の青春」にて作家デビュー。同作にて第13回新潮学芸賞および将棋ペンクラブ大賞、2001年「将棋の子」にて第23回講談社ノンフィクション賞、02年「パイロットフィッシュ」にて第23回吉川英治文学新人賞を受賞。03年女流棋士の高橋和と結婚。24年08月、下咽頭がんのため死去、享年66歳。


1.聖の青春

2.将棋の子

3.パイロット・フィッシュ

4.アジアンタムブルー

5.九月の四分の一

6.ドナウよ、静かに流れよ

7.孤独か、それに等しいもの

8.別れの後の静かな午後

9.ドイツイエロー、もしくはある広場の記憶

10.タペストリーホワイト


Railway Stories、ユーラシアの双子、エンプティスター、西の果てまでシベリア鉄道で

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1.

●「聖(さとし)の青春」● ★★★     新潮学芸賞・将棋ベンクラブ大賞


聖の青春画像

2000年02月
講談社刊

(1700円+税)


2002年05月
講談社文庫化

2015年06月
角川文庫化



2002/06/01



amazon.co.jp

村山聖(さとし)、29歳。平成10年8月急性膀胱癌にて死去。
天才棋士らしく、将棋界の最高峰であるA級に在位したままでの死でした。
本書は、そんな彼の短い人生=青春の軌跡を辿ったノンフィクション。大崎さんは、当時将棋雑誌編集者として、聖とも親密に付き合っていたそうです。

本書には、冒頭から読み手を圧倒する迫力があります。それはすべて、村山聖その人の熾烈な生き方から来るものでしょう。
3歳の頃腎ネフローゼを患い、その後常に病気、身体の不調と向かい合ってきた人生。そんな聖に生きることの目標を与えたのが、将棋でした。

入院生活を繰り返す聖にとって、将棋に強くなることが生きていることの証であり、同時に病気に耐えて生きることの甲斐ともなったのです。しかし、その一方で、将棋界で上り詰めていく程、聖の精神・身体に過酷な負担を与えるものともなった。
自分の時間に限りあることを自覚し、時間のある内に名人位まで上り詰めようとする聖の生活は、“闘い”に尽きる、凄絶なものだったとしか言いようがありません。本書を読む中、何度感動に胸詰まる思いをさせられたことか。
病気と縁が切れない身体でありながら、中学生でプロ棋士に弟子入りし、親元を離れ師と共にアパート暮らし。そして中学卒業以後は、大阪の狭いアパートでずっと一人暮らし。それはまさに将棋一筋に賭けた生活でした。病気が再発し、アパートの闇の中でただ一人身動きさえせず、体力が回復するのをじっと待つ聖の姿には、想像を絶するものがあります。

村山聖その人も凄いのですが、森信雄棋士との師弟関係への感動も大きい。森棋士が聖に尽くしたこと、大崎さんが目撃した冬の公園での2人のシーン等、胸が熱くなります。
病気と闘う姿の一方、周囲の人々を魅了して止まない聖の純朴な姿もそこにはあります。

聖と同世代の羽生善治棋士らも登場し、そうした興味も尽きません。また、将棋のことを全く知らなくても、本書の面白さを味わう妨げにはなりません。
本書を読まずに済ますのはとても勿体無いこと。本書はそんな一冊です。

   

2.

●「将棋の子」● ★★         講談社ノンフィクション賞


将棋の子画像

2001年05月
講談社刊
(1700円+税)

2003年05月
講談社文庫化


2002/07/13

プロの棋士をめざすべく、奨励会に入った若者たちの、夢と挫折を描いたノンフィクション。

まず“奨励会”とはどんなものか。
奨励会は日本将棋連盟の組織の一つで、棋士になるための修業の場であると同時に、淘汰の場所でもあります。
全国から集まった将棋の天才少年たちは、奨励会に入会して、それ以後ひたすら昇級・昇段のために、凌ぎを削ることになるのです。

奨励会の厳しさは、競争より、年齢制限にあると言って過言ではありません。つまり、定められた年齢までに定められた昇段を果たさないと、退会=プロ棋士の道を絶たれるのです。
人数制限がありますから、昇段できるのは勝ち抜いた一部の人間のみ。それ以外の人間は、否応なく退会させられるのです。
しかし、彼らは中学、高校生の頃から、将棋を総てとして成長してきたのです。そんな彼らにとって奨励会退会は、社会で生きて行くための何の準備もしてこなかったまま、いきなり丸裸で社会に放り出されるようなことなのです。

それでもなお、奨励会で彼らが刻苦勉励したきたことは意味があるのか、それとも彼らにとって不幸なことだったのか。
それを知るには、彼らの軌跡を辿ってみるほかありません。
本書は、そんな“将棋の子”らを描いたノンフィクションです。

   

3.

●「パイロット・フィッシュ」● ★★     吉川英治文学新人賞


パイロット・フィッシュ画像

2001年10月
角川書店刊
(1400円+税)

2004年03月
角川文庫化


2002/04/06

透明感のある、さらりとしたラブ・ストーリィ。
読後は、風が吹き抜けていった後のような、すっきりとした気分が残ります。
その分、印象度は弱いかもしれません。一旦読了後、何度か噛み締め直すことによって、漸くその味わいが広がってくる、そんなラヴ・ストーリィと言えるでしょう。

主人公・の元に、19年前に別れた恋人・由希子から電話がかかってきます。プリクラを一緒に撮ろう、と。いつも自分で決断することができない僕にとって、由希子は大切な恋人だった。
由希子と恋愛関係にあった頃への回想と、現在の生活を交互に一人称で語っていくストーリィ。
未だに忘れ得ない恋人、恋愛とは、自分にとって何だったのか。過ぎ去ってしまった恋愛とは、ただそのまま消えうせてしまうものなのか。
「一度出会った人間は二度と別れることはできない」
という文章は、そんな2人の自問への答えですが、同時にはるかな広がりをもつ言葉でもあります。

由希子以外に、風俗嬢の可奈、コンビニでバイトしている七海の人物印象も爽快。
時間が経つほどに、愛おしさが増してくる作品です。

    

4.

●「アジアンタムブルー」● ★★


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2002年09月
角川書店刊
(1500円+税)

2005年06月
角川文庫化


2002/10/04

愛する人を失っていく過程を描いたラブ・ストーリィ。

冒頭は、恋人を失った後の、主人公の呆然とした状況から。
主人公が自分の気持ちを整理しようとするのに並行して、新たに知り合う境遇の似た女性のこと、高校時代の上級生への回想が、語られます。この辺り、ストーリィが何処へ向かうのか見当がつかず、ちょっと戸惑いを覚える部分。
そこを抜け出して後半に至ると、漸く主人公と彼の恋人・葉子との、出会いから終局までのストーリィが描かれていきます。
熱愛する恋人を、若くして病気で奪われてしまうといったストーリィは、これまで数多く繰り返されてきたものでしょう。私の古く記憶に残る作品では、E・シーガル「ラブ・ストーリィ」。この作品は、恋愛における悲劇、それでも愛は永遠だという、まさに映画受けするような奇麗事のストーリィでした。
それに対して本書は、間近と宣告された死期を2人でどう受け止めるか、2人の愛をどう消化していくか(とくに残された主人公において)、ということが静かに語られていきます。

ことさら感動を盛り上げるという作為はありません。しかし、そこには静かな健やかさ(そう表現するのは変かもしれません)が感じられ、気持ち良さがあります。その辺りが本作品の魅力。

     

5.

●「九月の四分の一」● ★★


九月の四分の一画像

2003年04月
新潮社刊
(1300円+税)

2006年03月
新潮文庫化


2003/07/06

著者初の短篇集。読み終えた後に快い余韻が残る、ラブ・ストーリィ4篇です。

必ずしも実る恋愛ではありません。といって、失ってしまう恋愛でもない。
恋愛中のストーリィではなく、むしろ時間が経ってからその恋を振り返り、その恋に愛おしさを感じると共に、自分の人生に貴重な価値を与えてくれたことを実感する、そんな回想を主体としたラブ・ストーリィ4篇です。
軽くあっさりとし過ぎているくらい、また上品過ぎるかもしれません。所詮ラブ・ストーリィは、読む人の好み次第と言うほかありませんが、その軽やかさ、静かな余韻が私好みです。
たまには、こんなすっきりした、大人っぽいラブ・ストーリィを読むのも快い、そんな短篇集です。

報われざるエリシオのために/ケンジントンに捧げる花束/悲しくて翼もなくて/九月の四分の一

   

6.

●「ドナウよ、静かに流れよ」● ★★


ドナウよ、静かに流れよ画像


2003年06月
文芸春秋刊
(1700円+税)

2006年06月
文春文庫化

  

2003/07/21

2001年 8月新聞紙上に見つけた「邦人男女、ドナウで心中。33歳指揮者と19歳女子大生 ウィーン」という見出し。
留学中の19歳の少女が自殺により伝えようとしたメッセージは何だったのか、大崎さんはその記事から衝撃を受けたと言います。
本書は、少女がドナウ川に身を投じるまでの軌跡を追った、衝撃的なノンフィクション。読了後、暫し呆然とするままでした。

少女の名は渡辺日実(かみ)。日本の高校を卒業後、母親の母国であるルーマニアのクルージュ・ナポカに留学中の出来事。そして相手となった自称「指揮者」の名は千葉師久。元々精神的に不安定な人物だったと言います。
本書を読みながら、何度も思ったことは、彼女の両親はあまりに19歳の少女を過信していたのではないか、ということ。
富裕な家庭の一人娘として育った日実にとって、自分から望んだものでもない留学先として、ルーマニアはあまりに過酷な場所でだった筈です。成功者として海外にもまたがり活躍する父親、ルーマニア人である母親は、国際人として育って欲しい、自分の母国であるという期待と楽観の故、娘の心中を理解していなかったと思わざるを得ません。そして何故、両親は娘に及んだ危機に対して、もっと直截的な行動を取らなかったのか。
また、父親と母親の結婚経緯、父親の浮気に端を発した両親への不信感が、初めての恋愛へ忠実過ぎる迄に少女を追い詰めてしまったと感じます。
現地に渡って彼女のことを取材した大崎さんは、最後少女は自らの意思で相手に尽くす道を選んだ、そこには彼女の成長した姿が見られると語り、救われるものを感じます。
本書題名は、彼女へ捧げる鎮魂歌と言って良いでしょう。

   

7.

●「孤独か、それに等しいもの」● ★☆


孤独か、それに等しいもの画像


2004年05月
文芸春秋刊

(1400円+税)

2006年09月
角川文庫化


2004/08/26

大崎さん初の短篇集。5篇のいずれも、誰かに焦がれる思いを描いたストーリィです。
率直に言って、感傷的に過ぎるという印象を受けます。そのことはこれまでの長篇小説でも感じていたこと。ただ、長篇小説ではそれなりに深くストーリィ中に入り込むので、あまり気にしませんでしたが、短篇小説となるとちと異なります。

5篇の中では、表題作の「孤独か、それに等しいもの」と最後の「ソウルケージ」に特に心が残ります。
いずれも、大切に思う相手に一方的に置き去りにされ、その傷を深く抱えたまま生きてきた若い女性が主人公。長い時間を経て、彼女たちが漸く癒されていく過程を描いたストーリィです。
「孤独か」の主人公は、双子の妹に死なれた姉の。「ソウルケージ」は、小6の時母親に心中死されて以降、すべての思いを籠の中に封じ込めて生きてきた及川美緒。2人が再生の道へ踏み出るためには、温かい心に触れることが必要でした。
漸くにして癒された2人の姿からは、すっきりとした気持ち良さを感じます。その辺りは、大崎さんの長篇小説の読後感にも通じる味わいです。

八月の傾斜/だらだらとこの坂道を下っていこう/孤独か、それに等しいもの/シンパシー/ソウルケージ

  

8.

●「別れの後の静かな午後」● 


別れの後の静かな午後画像


2004年10月
中央公論新社

(1300円+税)

 

2004/12/08

各篇に漂うノスタルジーが印象的な恋愛短篇集。
本書では過去の恋愛関係を振り返るストーリィが多く、それもあって静かな雰囲気に全体が浸されています。
その代表的な篇が「球運、北へ」と、表題作である「別れの後の静かな午後」。

「球運、北へ」は、放埓な学生時代と、別れた3年後の再会の時が描かれます。再会した時の2人の姿がとても鮮明で、雰囲気が好い。柏木理沙という元恋人は、ちょっと忘れたくない女性像です。
「別れの後の静かな午後」は、感傷に流れがちなストーリィをノスタルジーがどうにか押し留めているという印象を受けます。

本書は表題名から感じられるとおり、静かな雰囲気が快い短篇集です。総じてやや感傷的なところがありますが、それが大崎さんの恋愛小説の特徴であり、魅力と言うべきところ。
ただ、登場人物の職業がいつも雑誌編集者だったり、いつも感傷的なストーリィであることに、大崎さんの世界の狭さを予感してしまうのです。
そう感じるのは、私だけでしょうか。

※なお、「ディスカスの記憶」はミステリー・タッチで、大崎さんにしては珍しい作品。

サッポロの光/球運、北へ/別れの後の静かな午後/空っぽのバケツ/ディスカスの記憶/悲しまない時計

      

9.

●「ドイツイエロー、もしくはある広場の記憶」● 
 
JAUNE D'ALLEMAGNE,OU LES MEMOIRES D'UNE PLACE


ドイツイエロー、もしくはある広場の記憶画像

2005年06月
新潮社刊

(1300円+税)

2008年01月
新潮文庫化

  

2005/07/27

九月の四分の一が男性を主人公にして描いたラブ・ストーリィ4篇であったのに対し、本書は女性を主人公に描いたラブ・ストーリィ4篇。
本書は「九月の四分の一」と対になる短篇集だそうです。

「九月の四分の一」が時間を経た後に振り返って愛おしさを感じるラブ・ストーリィを描いていたのに対し、本書は束の間のような恋だったにもかかわらずいつまでも切なさの消えることがないというラブ・ストーリィ。
女性が主人公だからとは思いませんが、かなり感傷的なストーリィばかり。
恋が終わった後いつまでもその恋人を忘れることができないという風で、私はこういうストーリィが好きではないのです。いつまでも悔いをひきずっているように思えて。

なお、冒頭の「キャトルセプタンブル」「九月の四分の一」における主人公・村川健二がパリで出会った女性が、主人公・理沙の母親として登場します。「キャトルセプタンブル」という題名は、彼女が村川に書いた手紙で示した再会場所となるパリ地下鉄の駅名。本来の理沙のストーリィより、「九月の四分の一」の女性側の思いを描いた部分に惹きつけられます。

キャトルセプタンブル/容認できない海に、やがて君は沈む/ドイツイエロー/いつか、マヨール広場で

     

10.

●「タペストリーホワイト」● ★★

 
タペストリーホワイト画像


2006年10月
文芸春秋刊

(1286円+税)

2009年10月
文春文庫化

   

2007/05/24

 

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地元の進学校でずっと首席を通し自慢だった姉、希枝子
その4歳上の姉は東京の国立大学の学生だった時に、深夜アパートを何者かによって襲撃され、鉄パイプで滅多打ちにされ頭蓋骨粉砕骨折で突然に死んでしまう。
何故姉は殺されなければならなかったのか、姉を死に至らしめたものは何だったのか。その答えと、姉が唯一人心を通わせたらしい相手を探し出すため、妹の洋子は姉と同じ大学に進学します。そしてまた洋子を襲った思いがけぬ悲劇・・・・。
そう語るとミステリのようですが、本書はかつての大学闘争の意味を今改めて問いかけるストーリィと言って良いでしょう。

希枝子はちょうど私と同年代のようです。私の高校・大学生活も学生運動の余波を多少受けています。
高校時代にはハンストを行った同学年生もいたし、卒業式はヘルメットと角棒スタイルの一人のために数分で終わりになってしまいました。大学に入ると学生運動後の収拾のため、最初の半年間は授業が不正規に行われました。
しかし、私の通った高校も大学ももうひとつノンビリしていた所為か、学生運動はどこか他所事でした。大学に入った頃にはもうそんな出来事は一掃して、皆きれいに忘れ去ろうとしていた時期だったと思います。

主人公の洋子があぶり出していくあの運動の不条理、不毛さは一体なんだったのか。彼らは一体何をしようとし、そして結局何をしたのか。
本書によってあの頃の記憶が呼び起こされたような気がします。
結局何ももたらさなかった、のではなかったか。
そしてそれは、中国などの学生運動をみても、大学生という生態が一度は越えなければならなかった歴史だったのではないかと思うのです。

     

大崎善生作品のページ No.2

  


  

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