中村彰彦作品のページ


1949年栃木県生、東北大学文学部卒。出版社勤務を経て執筆活動入り。87年「明治新選組」にて第10回エンタテインメント小説大賞、93年「五左衛門坂の敵討」にて第1回中山義秀文学賞、94年「二つの山河」にて 第111回直木賞、2005年「落花は枝に還らずとも」にて第24回新田次郎文学賞を受賞。


1.
われに千里の思いあり(上)

2.われに千里の思いあり(中)

3.われに千里の思いあり(下)

4.跡を濁さず

  


   

1.

●「われに千里の思いあり(上)−風雲児・前田利常−」● ★★


われに千里の思いあり(上)画像

2008年09月
文芸春秋刊
(1800円+税)

2011年05月
文春文庫化

   

2008/10/16

 

amazon.co.jp

久々の武将もの歴史時代小説。
最近は時代小説というと市井ものばかりだったのですが、市井ものと比べると武将ものはやはり歯応えが違います。久々にがっぷり組み合った、という感じの読書が楽しい。

本書は“加賀百万石”の前田家藩主、利常・光高・綱紀の3代を描く長篇歴史小説。
最近読んだ武将ものというと宮本昌孝「ふたり道三」、佐藤賢一「女信長辺りとなるのですが、その2作品が大胆な仮定を土台にしたストーリィだったのに対し、本書は加賀百万石・前田家を歴史に沿って描いたストーリィですが、歴史を紐解くという面白さが味わえます。
なお、本作品は上中下の3巻予定で、上巻である本書はでは利家の4男で利家・利長に次ぐ3代目藩主となった利常を描いた巻。
利常誕生した時は既に秀吉の天下が成立しており、その後関ヶ原の戦い、豊臣・徳川の最終決戦というドラマはあるものの、もう戦国武将という時代ではない。それでも家康はまだ健在、また錚々たる群雄たちの名前が数多く登場し、戦国の余韻はまだまだ残っていると感じられます。
信長−秀吉−家康ラインに連なる歴史小説は、やはりいくら読んでも面白いものです。

上巻の主役となる利常、軽輩の家から奥仕えし結果的に利家側室となった千世保を生母として生まれたにもかかわらず、運に恵まれて3代目藩主となった経緯は、ちと8代将軍吉宗を思わせるところがあります。
また、前田家といえば思い出すのは、隆慶一郎「一夢庵風流記前田利益。残念ながら本書には全く登場しませんが。

    

2.

●「われに千里の思いあり(中)−怪男児・前田光高−」● ★★


われに千里の思いあり(中)画像

2008年11月
文芸春秋刊
(1800円+税)

2011年05月
文春文庫化

 

2008/12/15

 

amazon.co.jp

加賀前田藩・3代の藩主を描いた長篇歴史小説の中巻。
副題には「快男児・前田光高」とありますが、利光改め利常の長子である光高がそれらしく活躍するのは、本書の中でも後半のごく一部。殆どは利常が主役となってのストーリィです。

藩祖=利家、2代目=利長を押し退けて何故3〜5代藩主が歴史小説の主役になるのか、その理由が本巻で明らかにされます。
本巻の前半で豊臣と徳川の最終決戦が行なわれ、徳川が盤石の支配体制を築き上げるのですが、そこに至って前田藩の微妙な位置が浮かび上がってくるという次第。
将軍家に継ぐ大藩、しかし外様大名、藩祖の利家が秀吉の信頼篤い同朋であったという経緯、そして利常・光高と智勇に優れ家臣の信望も篤い藩主の存在。
その結果として、将軍家は加賀前田藩を危険視し、大藩だからこそ道を少しでも踏み違えると廃藩の憂き目に会わないとも限らない。
太平の世では、大藩であること、藩主が英明であることが、かえって危険であるとは、何と皮肉なことか。
そのため利常の腐心は、将軍家から疑念をもたれない、良好な関係を維持することに尽くされます。

歴史が変転する難しい時期に直面する第3代藩主の利常、本巻の妙味はそこにあります。
徳川の世は秀忠から家光へ。そして利常も、家光に愛されている光高へと藩主の座を譲りますが、予期しない悲劇が前田家を襲います。
最後に興味を再びかき立て、続きは下巻へ。

     

3.

●「われに千里の思いあり(下)−名君・前田綱紀−」● ★★


われに千里の思いあり(下)画像

2009年02月
文芸春秋刊
(1700円+税)

2011年05月
文春文庫化

 

2009/03/17

 

amazon.co.jp

加賀前田藩・3代の藩主を描いた長篇歴史小説の下巻。
本巻の主人公は、父・光高が31歳の若さで早世したため、僅か3歳にして第5代藩主の座に付いた綱紀

綱紀は江戸時代前期における名君の一人に数えられる人物とのことですが、上巻・中巻に比べると物語としての面白さは残念ながら減っています。
それは綱紀の生きた時代が、徳川幕府発足当時の未だ安定せず各藩主が自らの領地保存が最優先だった時代から、いかに藩政を司っていくかという安定政権の時代へと変わっているため。
幼少の綱紀に代わって再度加賀藩の先頭に立っていた利常は前半部分で死去。その後は、利常がその人物を見込んで綱紀の後見を託した岳父=保科正之(将軍家光の実弟・会津藩初代藩主)という人物と、その薫陶を受けて綱紀が名君へと成長していく姿が下巻の中心となります。
第4代将軍家綱を輔弼した保科正之という人物は、それまでの武断政治から“文治政治”への転換を象徴する人物。
その保科正之に学んで綱紀が加賀藩でも実践したのは、殉死の厳禁、酷刑の禁止、領地の防戦より領民の利便を優先した架橋、貧民や離民の救済施策、等々。

つまり、上巻・中巻が幸運を得て加賀藩主の座についた利常の運命的な人間ドラマの面白さであったのに対し、下巻の面白さは文治政治の下で行なわれた藩政改革への興味にあります。
その綱紀をして、性急に物事を進めるのではなく、長い時間をかけて時宜を得て進めていく“調和型”と評しているところが興味つきないところ。
ある意味で本書は、難しい舵取りを背負わされた時代における、名リーダーの資質を描いている巻ともいえます。
その点ではこの前田綱紀、塩野七生さんがローマ人の物語で描いたところの、ローマ帝国発展の礎を築いたアウグストゥスに比肩していい人物かもしれません。
現に著者も、“パクス・ロマーナ”ならぬ“パクス・金沢”と評しています。
江戸時代初期の政治という面において、読み甲斐ある一冊。

      

4.

●「跡を濁さず−家老列伝−」● ★☆


跡を濁さず画像

2011年08月
文芸春秋刊
(1500円+税)

2014年02月
文春文庫化

  

2011/09/08

  

amazon.co.jp

6人の名家老の足跡を語った歴史もの短篇集というところですが、6人全員が終生名家老だったとは必ずしも言えないようです。
最初の主君が死去した後、家督を継いだ次の主に逆らってかえって藩に仇した、というケース(堀主水)もあったようですから。

主君に問題はあったけれど家老として見事だったというケースが「雷を斬った男」立花道雪。後に大友家は滅んだが、道雪が養子とした立花宗茂によって立花家は興隆し、柳河藩として明治の廃藩置県まで残ったと聞けば、史実がそれを裏付けていると言えるのでしょう。

本書で最も面白かったのは、表題作の「跡を濁さず」
福島正則といえば、豊臣恩顧大名でありながら徳川方についたのもつかの間、不行跡を理由に取り潰しになった愚かしい大名の典型例と思っていましたが、主=正則とその家臣共々、それはそれで見事な出処進退だったと認識を新たにしました。
主・家臣共々見事だったというケースであれば、読み応えあり、というものです。
なお、後に赤穂城明け渡しに際して大石内蔵助が
福島丹波の作法を手本にしたという点でも、注目したい一篇です。

主君に対してというより、単に立場が家老職だったというに過ぎないと思えるのが「行けば十六里」「入城戦ふたたび」。前者は司馬遼太郎「竜馬がゆく」でお馴染みの後藤象二郎を描いた篇ですが、されどお調子者という印象であるのが楽しい。

・雷を斬った男−−−−−立花伯耆守道雪(主君=大友宗麟)
・夢路はかなき−−−−−柴田修理亮勝家(主君=織田信長)
・跡を濁さず−−−−−−福島丹波守治重(主君=福島正則)
・主君、何するものぞ−−堀主水一積  (主君=加藤嘉明)
・行けば十六里−−−−−後藤象二郎元曄(主君=山内容堂)
・入城戦ふたたび−−−−男爵山川浩  (主君=松平容保)

    


  

to Top Page     to 国内作家 Index