松浦理英子作品のページ


1958年愛媛県松山市生、青山学院大学文学部卒。大学在学中の78年「婚儀の日」にて文学界新人賞を受賞し作家デビュー。94年「親指Pの修業時代」にて第33回女流文学賞、2008年「犬身」にて第59回読売文学賞、17年「最愛の子ども」にて第45回泉鏡花文学賞、22年「ヒカリ文集」にて第75回野間文芸賞を受賞。


1.犬身

2.奇貨


3.最愛の子ども

4.ヒカリ文集

 


   

1.

●「犬 身 kensin」● ★★☆        読売文学賞


犬身画像

2007年10月
朝日新聞社刊
(2000円+税)

2010年09月
朝日文庫化
(上下)



2008/01/25



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自分の本性は犬であると言い、性同一性障害ならぬ“種同一性障害(人と犬)”を自認する八束房恵が主人公。
天狼」という店のバーテンダー=朱尾献に魂を引き渡す契約を交わし、犬となる。可憐な陶芸家の玉石梓の愛犬となってその傍に寄り添っていたいという願いから。

なにやらゲーテ「ファウスト」の"犬版"とも思えるストーリィです。朱尾がメフィストではなく本性=狼らしいのは、いかにも犬版に似つかわしい。
人間が別の動物にされてしまうという物語は本書ならずともあるでしょうが、種同一性障害、元々犬になりたいという願望を持っていたという設定が、本書の白眉たるところ。

愛する人の愛犬=フサとなった房恵の幸せな生活あるいは冒険譚かと思うのですが、それはまるで大違い。
ストーリィは、房恵が犬となったからこそ知り得た、玉石梓の実家に巣食う醜悪な面に移っていきます。
犬であるが故に警戒されない房恵、そして千里眼のような能力をもつ朱尾は、梓の家族内の問題を覗き見る第三者という立場になります。
本書はそうした第三者が覗き見た、玉石家の崩壊ストーリィといっても過言ではないでしょう。そんなストーリィを愛犬の目から見た、という点に本作品の妙味があります。

 500頁という読み応えある長篇ですが、一気呵成にということはなく、順々と物語っていくという風。したがって、醜悪な部分あるものの、じっくり楽しめます。
それは子犬として貰われたフサの成長、飼い主である梓との繋がりが濃いものになっていく過程がじっくり描かれているため。
設定が面白いというより、じっくり読み込んでいく楽しさ(ストーリィ自体は滑稽味と陰鬱さ共にあり)を味わえる作品です。
最後は暗い結末かと覚悟したのですが、あっさりと明るいエンディングが待っていてホッ。
心ゆくまでたっぷり、堪能しました。

※八束房恵、玉石梓という2人の名前、もちろん滝沢馬琴南総里見八犬伝の八房、玉梓(怨霊)を連想させられます。

犬憧kensyo/犬暁kengyo/犬愁kensyu/犬暮kenbo/結尾ketsubi

       

2.

●「奇 貨」● ★★


奇貨画像

2012年08月
新潮社刊
(1300円+税)

2015年02月
新潮文庫化


2012/09/17


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「奇貨」は、性的欲望の少ない45歳の小説家=本田と10歳年下でビアンの女性=七島との、2DKマンションでのシェアメイト生活を描いた作品。
本田は、ビアンである七島から彼女が“半端ヘテロ”と呼ぶ会社の先輩=
寒咲に関する愚痴等々の聞き役となり、七島のなくてはならない存在でいられるこの状況が快い。
ところが七島、何時からか本田に余り話をしなくなっていた。その理由はというと、心置きなく話せる同性の友人=
ヒサちゃんができたかららしい。
嫉妬に駆られた本田、やってはならない行為につい手を出してしまい・・・。

性的雰囲気の全くない男女が、一つマンションをシェアして暮すという設定がユニークで面白いのですが、本田の七島に対する気持ちは
犬身の変形ではないか、とふと感じます。
犬だからこそ堂々とできる行為が、人であるが故に拙いことになってしまう、そんなストーリィであるように思います。判っていても止められない、それも40代半ばで孤高の身となれば、判るような気がするのですが、その辺りの展開にユーモアも感じます。

「変態月」は1985年に雑誌掲載された、思春期にある女子高生の同性に対する性的衝動を描いた篇。自覚しながらも親友の関係に抑えている主人公と、犯罪の域にまで突っ走ってしまった同級生。
ストーリィの顛末はどうあれ、そうした衝動があるということをハッキリ描いた点に新鮮さ、痛快さを感じます。

 
奇貨/変態月

                    

3.

「最愛の子ども ★☆       泉鏡花文学賞


最愛の子ども

2017年04月
文芸春秋刊

(1700円+税)

2020年05月
文春文庫



2017/05/27



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私立高校女子クラス、女の子たちが大勢たむろする中に、夫婦、そしてその子と模されている3人がいた。

舞原日夏今里真汐は夫婦のような仲の良さという2人。
そこに、
薬井空穂(くすい・うつほ)という女の子が加わった。看護師をしているシングルマザーからろくに世話をして貰えず、日夏と真汐が空穂と親を買って出る。
この3人、クラスの仲間たちにとっては
<わたしたちのファミリー>という次第。

さて本ストーリィ、どういう作品だと受け留めたら良いのでしょうか? 読みながらかなり戸惑いを覚えていた、というのが正直なところ。
子供時代を脱し、大人のちょっと手前、という時期。
3人それぞれ、現実の家族に問題があったからこそ作り上げようとした理想的な疑似家族、そして同時に一種の実験だったのでしょうか。

「家族」と言いつつも、それはそれ、年頃だけに性的な好奇心も入り混じり始めます。その結果、安穏だったファミリー関係は、そのままではいられなくなってしまいます。
でもいずれ、それぞれ旅立っていかなくてはならないのは必然的なこと。その時期の到来が少し早まったからといって、どうということはない、と言うべきでしょう。
親に自分の行動を左右されず、自分で物事を決めることができるようになる時期まで、あともう少しなのですから。

女子高生たちが手探りする家族の姿と、彼女たちの群像劇。

1.主な登場人物/2.ロマンスの原形/3.ロマンスの変容/4.ロマンス混淆/5.ロマンスの途絶

                        

4.
「ヒカリ文集 ★★           野間文芸賞


ヒカリ文集

2022年02月
講談社

(1700円+税)



2022/03/22



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かつての劇団仲間6人が、今は音信不通となっている劇団仲間だった一人の女性=ヒカリについて順番に語っていく、という連作もの。
名付けて
「ヒカリ文集」と。

そのヒカリという女性、誰に対しても優しく、親しみ易かったという以上に、彼らにとっては忘れ難い特別な存在。
というのも、劇団仲間一人一人と付き合っていた(女性も含め)という経緯があるから。
だからといって、別れた後に彼らがヒカリと険悪な関係になるということはありません。むしろ、劇団内でヒカリが居心地悪くならないよう互いに気遣っていたという風。

ただ、冒頭の破月悠高が遺した戯曲台本の続きという形で書かれた各篇、全て事実どおりであったかというと、それは分りません。あくまでフィクションという位置づけなのですから。

結局、一人の相手と長きに亘って親密な関係を保てないヒカリ、果たして彼女はどういう女性だったのか。

各人が語るヒカリの人物像をさておき、各篇を読んで読者自ら彼女の人物像それを考えてみる・・・そこに本作の面白味があるのではないかと思います。

序に代えて−鷹野裕/破月悠高 hazuki yukou/鷹野裕 takano hiroshi/飛方雪実 hikata yukimi/小滝朝奈 kotaki aasna/真岡久代 maoka hisayo/秋谷優也 akitani yuya/結びに代えて−鷹野裕

        


   

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