坂東眞砂子作品のページ


1958高知県生。奈良女子大学住居学科卒業後、ミラノに2年間留学、建築とデザインを学ぶ。帰国後フリーランスライターとして児童小説を書き、童話4冊を出版。93年「死国」、その後「狗神」「蟲」「桃色浄土」「蛇鏡」等、土俗的伝奇小説を相次いで発表。96年「桜雨」にて島清次郎恋愛文学賞、97年「山妣」にて直木賞、2002年「曼荼羅道」にて柴田錬三郎賞を受賞。98年03月よりタヒチ、その後は高知居住。2014年01月死去、享年55歳。

  
1.
山妣

2.春夜二十六話・岐かれ路

3.春夜二十六話・月待ちの恋

4.南洋の島語り

5.ブギウギ

6.やっちゃれ、やっちゃれ!

 


   

1.

●「山 妣」● ★★     直木賞




1996年11月
新潮社刊

2000年01月
新潮文庫

(上下)

 
2001/04/28

 

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明治末期、越後の奥深い山里を舞台に、長年に亘る因業の結果生じた悲劇を濃密に描いた力作。
どろどろした愛憎関係から生じた悲劇というのは、これまでも数多く書かれてきた題材ですが、本書を一段と特徴づけているのは、題名ともなっている“山
というモチーフです。
辞書を引くと、「山姥(やまんば)」とは、深山に住む鬼女(怪物)のこと。本書に出てくる山
妣はそれと異なりますが、少女のは、伝承の鬼女と思い込んでいます。しかし、妣とはいったいどんな人間だったのか、何故妣になるに至ったのか、それを考えると、人間の因業の深さに思い当たらざるを得ません。雪に閉ざされた奥深い山里は、如何にもそれに似つかわしい舞台です。そんなことが起きても不思議ない、という気持ちになります。
悲劇のストーリィは、山神への奉納芝居の稽古に、役者2人が地主に招かれて東京からやって来たことから始まります。若い役者・涼之助は、女と見間違うばかりの美貌。地主の息子である鍵蔵の嫁・てるは、妖しげな雰囲気を漂わせる若い女。その2人が出会い、密通に至った時、それまで維持されていた均衡は崩れ、隠されていた愛憎の念が暴かれ出されます。
第三部に至ると、愛憎劇は雪山を舞台とした凄絶な悲劇へと一転します。最早誰にも止めようがない、といった具合。
妣という存在は、人間の業の深さの象徴であり、またその罰でもあったのか、というのが最後に感じたこと。

第一部 雪舞台/第二部 金華銀龍/第三部 獅子山

 

2.

●「春話二十六夜 岐かれ路」● ★★




2004年08月
新潮社刊

(1600円+税)

2007年08月
新潮文庫化

  
 
2004/09/05

 
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春画に合わせて書かれた官能短篇集。前半の第1夜〜第13夜を収録。
春画というとつい禁断の画のように思ってしまいがちですが、それは明治に入ってからの欧米キリスト教道徳観によるものでしょう。江戸時代は性についてもっと大らかだったのではないか。
浮世絵の春画は世相を巧みに表し、不自然な体勢、誇張された性器が時に可笑しい。退屈姫君伝にて老女が春画の姿態を真似し、「あ痛たたた」とやっている場面をつい思い出します。

官能短篇集といっても、明るい大らかさが本書の魅力。市井の女たちの逞しさが目立ちます。むしろ男たちの方が女たちに手玉にとられているという構図が多い。
例えば第1夜「震える記憶」。好色な若君に村の初心な娘が弄ばれる話かと思えば、まるで予想外の展開。自分の上で一人夢中になっている若君を「女がその気になっていないこともわからない、馬鹿な男だ」と冷ややかに見る一方で、村の若者と野で交わった時を思い出しているという按配。決しておぼこではない。
女の方が上手とつい笑ってしまうのですが、そんな開けっぴろげな笑いが諸処にあるのも本書の楽しさのひとつです。

さすがに通勤電車内読書には不向きと思い、休日の間に読了。

震える記憶/極楽蜻蛉/白の陶酔/粽の味/吉原夢枕/小袖貝/蚊帳の中/湯の華/爪痕/ふたつの契り/若紫の影/踊らへんかえ/雪の焔

 

3.

●「春話二十六夜 月待ちの恋」● 




2004年10月
新潮社刊

(1600円+税)

2007年08月
新潮文庫化

  
2004/10/24

 
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春画に合わせて書かれた官能短篇集。本書は後半の第14夜〜第26夜を収録。

前巻と同じような面白さを期待していたのですが、それは得られずがっかり。
同じ「春話二十六夜」であっても、本書にはボッカチオ「デカメロン」的な明るさ、開放的な笑いはありません。むしろ、淫楽により結びつく男女の因果な関係、というのがテーマのように感じられます。
女は恋情のもたらす悦楽に酔おうとするが、男は必ずしもそうではない。本書では、男の思いと女の思いがすれ違っている、というパターンが多い。また、話の展開がもうひとつ理解できない、という篇も幾つかあります。
まずは、第14夜「夏の鯨」。最後に茫然とお互いを見合ってしまう男女の姿は、前巻にはない展開でちょっと忘れ難い。
女の歓びに疑惑を感じて女を遊女に追いやってしまう顛末を描いた第23夜「落花愛惜」は美しくももの哀しい。
表題作「月待ちの恋」も「落花愛惜」に似たもの哀しさあり。

夏の鯨/せきぞろ、めでたい/悦楽の夢/びいどろに棲む女/鹿威し/夢幻の浮世なれば/木の精、川の精/川底の足音/羽化/落花哀惜/まどろむ猫女/善光寺聖/月待ちの恋

   

4.

●「南洋の島語り タヒチからの手紙」● ★★




2006年07月
毎日新聞社刊

(1800円+税)

 

2006/08/15

 

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毎日新聞日曜版連載のエッセイの単行本化。
坂東さんが暮らすタヒチと言えば、私にとってはモーム「月と六ペンス」の舞台。すなわち、画家ゴーギャンが暮らし絵を描いた南太平洋の島である。

文明の毒にまみれていない南洋の楽園、でもゴーギャンが渡ってきたということからいつまでそれが守られるのかという危惧も感じさせられた「月と六ペンス」ですが、坂東さんのエッセイはその答えを語っているようです。
果物や野菜は近くに生えているものをそのまま食べても良し、何もかもお金に置き換えていた暮らしを思うと、お金に束縛されない暮らしという居心地良さがあるらしい。自然に近い生活がそこにはあるということです。
その分、あくせくしなくても食べていけるということは、明日も今日と同じという気分にもなるし、先の見通しを立てることができないという島人気質にも繋がっていると言う。
また、折角学校を出てもタヒチでは仕事が無い、その分怠惰に過ごす若者も出てくるし、犯罪にも繋がる。小学校低学年でマリファナを吸う子供もいるというのですから、文明社会はなんとタヒチを穢してしまったことかとがっくりきてしまう。
もはやこの地球上、楽園などはありえず、一見楽園にみえてもその背後には文明社会の毒が蔓延しているということなのでしょうか。
本書はその両面をありのままに語っており、南太平洋の島暮らしの快適さ・開放感を味える気持ち良い一冊である一方で、現代社会としての課題を考えさせられる一冊です。
タヒチ暮らしの最大の幸福は「数の呪縛、時の概念から解き放たれた世界に触れたこと」という坂東さんの一言はまさに至言。

夏休みの読書に相応しいエッセイ本。その分仕事をする気がなくなる、という問題点もありますが。

  

5.

●「ブギウギ Boogie Woogie」● ★★




2010年03月
角川書店刊

(2100円+税)

 

2010/07/24

 

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敗戦間近の箱根・芦之湯で、Uボート艦長のドイツ人が変死体となって発見される。自殺か他殺か。
死体を発見したのは、宿の若い女中=安西リツ。大学でドイツ語を教えている法城恭輔は、捜査を行う海軍法務科に依頼され、通訳として夜須中尉に同行し現地へ向かう。
「敗戦前夜」「敗戦」「戦後」という3章構成で、敗戦前後を舞台にしてドイツ人艦長の変死の謎、その秘密に関わる抗争を描くミステリ&サスペンス・ストーリィ。

まず、当時箱根に在日のドイツ人、Uボートを撃沈され海軍に収容されたUボート乗組員たちが集められていた背景から語り起こされます。そんな中での艦長ネッツバントの変死。事件の謎解きが容易でないことはすぐ推察されます。「敗戦前夜」はミステリというべき章。
安西リツと法城恭輔が交互に主人公となり、2人の視点からこのドラマが描かれます。
ただし、「敗戦」のみ宿の女将が主人公となり、米国にも長く暮らし苦労多い人生を送った先人として、達観的にリツとドイツ人水兵の恋愛関係を見るという章。この章も中々味わい深い。
「戦後」は、東京に出たリツ、東京に戻った法城が、各々ネッツバントが抱えていた秘密情報をめぐるGHQ諸々の抗争に巻き込まれるというサスペンス。

ストーリィの主軸は上記のとおりなのですが、読後の感想としては、戦後日本が諸外国に翻弄される姿と、そんな中でも希望を抱いて前に進もうという若いエネルギーを描いた作品という印象が強い。
ドイツや米国、ソ連の思惑に翻弄されて「負けた」という思いを強くする男性=法城の一方、婚家を出奔して東京で歌手になり、生まれ変わって新しい道を目指そうとする女性=リツの姿が対照的、この点にこそ本作品の真骨頂がある、と思います。

敗戦前後を舞台にしたミステリ・サスペンスの面白さに加え、女性の力強さの源泉とは?を描き出した、読み応えある一冊。
その点では、途中登場するドイツ人女性=オルガの存在感も見逃せません。 

序章/1.敗戦前夜/2.敗戦/3.戦後/終章

  

6.

●「やっちゃれ、やっちゃれ!−独立・土佐黒潮共和国−」● ★★


やっちゃれ、やっちゃれ画像

2010年07月
文芸春秋刊

(1648円+税)

 

2010/08/03

 

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住民投票で圧倒的多数が独立を支持、その結果を受けて高知県は日本国からの独立を宣言!というのが本ストーリィの出だし。
一地方が日本から独立、となればすぐ思い出すのは、井上ひさし「吉里吉里人」
しかし、井上作品が奇想天外な発想という点でユーモラス、かつ“SF”の範疇で受け止められたのに対し、時代・状況の違いもあるのでしょうけれど、本作品は無視できないリアリティを持っている点に我々は注目すべき。

第一部「独立」は、独立の経緯と独立後の苦労が描かれます。独立といっても良いことばかりではありません。むしろ当面は経済的に困窮し苦労することばかり多かりし、という状況。社会的、経済的、商業的に、そしてその延長として個人の家庭生活も。
狩りに独立したらどんな課題が生じるのか。ありとあらゆる問題が殺到するのです。その意味で、第一部は一地方が独立した場合のシュミレーション、というべきストーリィです。
第二部「騒乱」は、日本国=実質は政治家が仕切る日本政府による逆襲、その結果引き起こされる混乱を描くストーリィ。

本作品、今後日本が歩むべき道を示唆する仮想ストーリィと思います。
現在の日本は中央集権経済といった姿。中央が利益を稼ぎ出し、それを地方に分け前として分配するといった構造です。景気が右上がりの時代であればそれで良かった。しかし、もはやそんな利益を稼ぎだせなくなったにもかかわらず、引き続き分配をし続けようとして赤字国債は増大するばかり、経済破綻国家という未来図もあながち絵空事とは思えません。
それを避けるためには各地域の経済的自立も必要な訳で、そうした理由から、絵空事ではなく十分リアリティを備えた近未来仮想ストーリィと感じる次第です。 お薦め!

    


   

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