コルム・トビーン作品のページ


Colm Toibin  1955年アイルランド東部ウェックスフォード州生れ。祖父はアイルランド独立運動の活動家。ユニバーシティ・カレッジ・ダブリンで歴史と英文学を学び、ジャーナリストとして活躍後、90年代から小説を発表。アメリカ各地の大学で創作を教え、現在はコロンビア大学で教鞭を執る。


1.
マリアが語り遺したこと

2.
ノーラ・ウェブスター

 


                

1.

「マリアが語り遺したこと」 ★★★
 原題:
"The Testament of Mary"  
    訳:栩木伸明


マリアが語り遺したこと画像

2012年発表

2014年11月
新潮社刊

(1600円+税)



2014/12/22



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イエスが処刑された後、その母マリアは小アジアのエフェソに逃れ、老境に達した今、静謐な日々を送っている。
そこを訪れてきた2人の男、2人はマリアから数々の話を聞きだし、それらを綴り合わせて「福音書」を書き上げようとしているらしい。しかし、男たちが望むような話をマリアが語ることはない。

イエスの母=マリアを主人公にした類稀な小説作品。
その着想の見事さ、鋭さには、あっと驚かされる思いです。

母マリアから見ると、息子の行動は理解不能。おまけに息子の周りにははぐれ者たちが大勢集まり、やたら訳の分からぬ気勢を上げている、といった風。そんな息子の行動を、マリアは理解しようとも思わない。彼女にとっては安息日の様な平穏で落ち着いた一日こそが大切なのである。
それでもマリアは、自分が腹を痛めた息子の、その身のことを心配して止みません。
まるで昭和の時代、闘争に熱を上げた全学連の息子をもった母親のようではありませんか。まさに普遍的で永遠の母親像を見る思いです。

そんなマリアにとっては、後日“聖母マリア”と称えたりすることは、思いも寄らぬことであったし、きっと望むことでもなかったことでしょう。
イエスが何を考えているかなどは関係なく、その身に迫る危険を案じ、処刑の場で息子が受ける苦痛に自らもさいなまれ、そして自らの安全を図るためにその場から逃走する。
本書に描かれるマリアは、聖母マリアなどという抽象的な存在ではなく、生々しい声をもった、極めて普通の母親でしかないマリアです。
そんな彼女にどんなに親近感を覚えることか。

あまり語られることのないマリアを生身の母親として描くという着想の見事さと、その筆力の素晴らしさに脱帽です。
約 130頁とごく短い作品。是非お薦め!

                    

2.

「ノーラ・ウェブスター ★★☆
 原題:"Nora Webster"         訳:栩木伸明


ノーラ・ウェブスター

2014年発表

2017年11月
新潮社刊

(2400円+税)



2018/01/06



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教師だった愛する夫モーリスを突然に喪った専業主婦、ノーラ・ウェブスター46歳の、その後の奮闘、そしてそれまで持っていなかった生きがいを見出す迄の、3年間を描いたストーリィ。

舞台はアイルランド南東部にあるエニスコーシーという田舎町。
小さな田舎町だから、弔問客は引きも切らず、ノーラを支援しようと働き場所を提供してくれる人もいる、という次第。
ノーラの子供は5人。娘2人は進学して別に暮らしており、現在一緒に暮らしているのは2人の息子。
貯金はなくもらえる年金も僅かとあって、当然ながら働かないと生活できないという状況。
結婚前に働いていた町の有力者ジブニーの会社で再び働き始めますが、現在そこで実権を振るっているのは、働いていた当時ノーラが除け者扱いしたフランシー・カヴァナーとあって、再就職仕事も決して順調とは言えません。
さらに、息子や娘のことでいろいろな問題も生じて・・・。

本作に特別なドラマはありません。また、主人公であるノーラにしてもごく普通の専業主婦に過ぎません。
ノーラの前に起きるいろいろな出来事、トラブルもごく日常的なものに過ぎません。
だからこそ印象強く感じられるのは、ノーラの懸命に奮闘する姿です。今まで夫に任せていれば済んでいたことも、今は全てノーラが決断しなくてはならない、息子たちのことも守らなければならない。引き下がることをせず、戦うことも覚えます。
親である一方、旅行先で初めて伸び伸びとした気分に浸ったノーラ、音楽という新たな喜びを見出したノーラの姿が愛おしい。

強く生きる女性の普遍的な物語。ひとつひとつに胸打たれます。

     



新潮クレスト・ブックス

      

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