マイケル・オンダーチェ作品のページ


Michael Ondaatje  1943年スリランカで茶農園を営む富裕な地主階級の家に生まれる。両親ともオランダ人、タミル人、シンハラ人の混血。ロンドンのパブリック・スクールを経て、62年大学進学を機にカナダへ移住。67年第一詩集「繊細な怪物」を発表。70年「ビリー・ザ・キッド全仕事」にてカナダ総督文学賞、92年「イギリス人の患者」にてカナダ作家初のブッカー賞を受賞。また、「ディビザデロ通り」にて五度目となるカナダ総督文学賞を受賞。

 


   

●「ディビザデロ通り」● ★★☆
 
原題:"Divisadero"          訳:村松潔

  

 
2007年発表

2009年01月
新潮社刊

(2200円+税)

 

2009/02/21

 

amazon.co.jp

今までに読んだことがないような、不思議なスタイルの小説。
何故なら、始まったストーリィは途中で唐突に途切れ、そのまま宙に浮いた形で放置されてしまう。そして後半では、前半で主人公の一人が研究している作家のストーリィがいきなり語られ始める、それも断片的に、時間まで前後して積み重ねられる、といった風に。

女の子を出産した妻が死んだとき、父親は何故かやはり母親に死なれた女の子を引き取り、その直前には両親が殺害されて孤児となった隣人の息子を引き取っていた。
アンナ、クレア、クープと血の繋がらない家族が出来上がっている。それが本小説の始まり部分。
そしてこの擬似的な家族は、ある事件をきっかけに崩壊してしまう。
その後はいきなり10年近くも経った3人へと話は飛び、ストーリィ再び中途で唐突に途切れてしまうのです。
題名の「ディビザデロ通り」とは、この家族が暮らしたサンフランシスコの通りの名前で、「境界線」に由来する名前という。
短い第2章を境に、あるいはつなぎ部分として、後半はアンナが研究しているフランスの作家リュシアン・セグーラのストーリィに何故か一転してしまう。それだけでなく、小説はどんどん断片化していき、まるで長篇小説という体を成していないが如く。
それでも不思議と不満や、訳が判らないといった混乱は感じないのです。

小説=物語と今まで思い込んでいたのですが、もしかすると、それは誤りだったのかもしれない。小説って一体何なのだろう? 本書を読むとそう感じさせられます。
最初のストーリィは途中で放置されたまま、その後3人はどうなったのか、という問題がまるで気にならない。
それどころか読み終わった後は、静かな充足感が胸を浸しているといった風なのです。
前半が今も生き残っている父親によって作られた擬似家族の崩壊を語っているのと対照的に、後半は亡くなった母親の存在によって、他人同士であるリュシアンとマリ=ネージュの間に生まれた強い家族的な繋がりが描かれているからでしょうか。

決着がある物語ではありませんが、それでいて不満に感じるところは何もなく、読んでいることの気持ち良さ、読む楽しさがあります。
何と評したらいいか途方に暮れる観がありますけれど、格調高い小説であることに間違いありません。
※これから読む方にお勧めしたいことは、「あとがき」とか書評は読む前、読んでいる途中にどんどん読んで構わないこと。そして本書の感想を考えるのは、読み終わった後しばらく余韻を楽しんでからにすべきである、ということ。

1.アンナ、クレア、そしてクープ/2.荷馬車の一家/3.デミュの家

 



新潮クレスト・ブックス

    

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