チャールズ・ディケンズ作品のページ No.1


Charles John Huffam Dickens  1812〜70年 イギリスの国民的作家。ポーツマス郊外の下級官吏の家に生まれる。家が貧しかったため12歳から働きに出されるが、独学で勉強し新聞記者となる。24歳の時に短篇集「ボズのスケッチ集」にて作家としてスタート。「ピクウィック・ペーバーズ」で大衆の人気を博す。


1.ボズのスケッチ−短篇小説篇

2.ピクウィック・クラブ

3.オリヴァー・トゥイスト

4.骨董屋

5.アメリカ紀行(上)アメリカ紀行(下)

6.マーティン・チャズルウィット

7.クリスマス・カロル

8.炉辺のこおろぎ

9.ディヴィッド・コパフィールド

10.荒涼館


リトル・ドリット、我らが共通の友、エドウィン・ドルードの謎

 → ディケンズ作品のページ No.2

 


 

1.

●「ボズのスケッチ−短篇小説篇」● ★☆
 原題:"SKETCHES BY BOZ"     訳:藤岡啓介




1836-7年発表

2004年01月
2004年02月
岩波文庫刊
上下
(600円+税)
(660円+税)

 

2004/04/19
2004/07/07

「ボズのスケッチ」は、若き新聞通信員だったディケンズが見聞した町の出来事をスケッチ風に描いて連載した小話集。
この作品によって作家ディケンズが世に出たのですから、本書の刊行はファンとして嬉しいこと。
1836年に第一集、翌37年に第二集が発行され、「我らが教区スケッチ」7篇、「情景スケッチ」25篇、「人物スケッチ」12篇、「短篇小説」12篇という4部構成。本書上下2冊はその「短篇小説」部分です。

デビュー作の所為か、後年のディケンズ作品と比べるとかなり大人しい印象を受けます。それでも、個性的かつ戯画的な登場人物を多く生み出した後のディケンズを予感させるところが随所にあり、ファンとしては見逃せない一冊。
総じて上巻の各篇に共通するのは、分不相応に背伸びして上流社会の人間を気取るところから起きる滑稽譚、醜態というストーリィ。一方、下巻では勘違い、取り違えを元にした滑稽譚が多い。
【上巻】の「ボーディングハウス盛衰記」に描かれるチブス夫婦のズレにはそんな傾向が感じられますし、「ラムズゲートのタッグス一家」はまさにその典型でしょう。また、「ポプラ並木通りでのディナー」は、自分の都合だけで相手の思惑を考えもしないという、これもまたディケンズらしい一篇。
「黒いヴェールの婦人」
はミステリ風味ある一篇ですが、こうした作品にもディケンズの持ち味が十分出ていて楽しい。
【下巻】では、「ワトキンス・トットル氏に降りかかった難儀」が秀逸。如何にもディケンズらしい悲喜劇です。ストーリィの中に債務者監獄が登場する点に注目したい。
また、周囲の人を嫌な気分にさせることが自分の安らぎというダンプス氏が登場する「ブルームズベリーでの洗礼命名の儀」も愉快。

【上巻】ボーディングハウス盛衰記/ポプラ並木通りでのディナー/花嫁学校感傷賦/ラムズゲートのタッグス一家/ホレイショー・スパーキンズの場合 /黒いヴェールの婦人
【下巻】蒸気船でテームズ下れば/グレート・ウィングルベリーの決闘/ミセス・ジョセフ・ポーターの出番/ワトキンス・トットル氏に降りかかった難儀/ブルームズベリーでの洗礼命名の儀/大酒飲みの死

       

2.

●「ピクウィック・クラブ」● ★★★
 
原題:“THE PICKWICK PAPERS”




1836-7年発表

1974年09月
三笠書房刊
(3800円+税)

1990年02月
ちくま文庫
(上中下)

 

1975/04/29
1979/01/04

この作品は、単にユーモラスというだけでなく、当時の社会風俗をよく描写しているという点からも、楽しめる小説です。
ストーリィは、
ピクウッィク・クラブの会長ピクウィック氏と3人のメンバーが旅に出て、彼らの見聞・冒険の数々をクラブに報告するというもの。
風刺という傾向は多分にあるとしても、当時の宿屋の様子、債務者監獄の話が、とてもリアルに描かれています。ディケンズ自身の体験に基づいているというのは周知のことですが、事実ということにとどまらず、そこに住む人々のみじめさへの親近感というか、何か親しみを感じさせる雰囲気があります。それは、ディケンズ独自のユーモア感覚によるものだろうと思います。
普通に善い人である
ピクウィック氏の人物像は、そうしたユーモア感覚と結びつくことによって初めて「愛すべき、善良な...と成り得ていると思います。そんなピクウィック氏に対して、後半その従僕として登場するサム・ウェラーは、庶民の代表格であり、たくましさと機知、活力に溢れた青年です。彼ら2人の結びつきによって、初めてこの物語は魅力に富むものとなっています。
もうひとつ、この物語では、
ジングル氏の悪役ぶりがとても印象的。 悪役とはこうあるものか、と思うほど。
その一方で
ディヴィット・コパフィールドのような後期の作品に比べると、ちょっと軽すぎるきらいがないでもありません。しかし、イギリス的なユーモア、風情を表した滑稽譚としては、 これ以上の傑作はないと思います。
改めて、ゆっくりと本書を読み直してみたいと思うのです。

※なお、この作品はイギリスにおいて初めて毎月分冊刊行の小説として出版され、一般大衆でも気軽に小説を買って読むことができるようになったという、革新的な役割を果たしています。最初はあまり売れませんでしたが、サム・ウェラーの登場以降突然人気が出て、猛烈な勢いで売れ始めたということです。

   

3.

●「オリヴァー・トゥイスト」● ★★
 
原題:OLIVER TWIST”


1837-8年発表


1971年10月
講談社文庫刊

1990年12月
ちくま文庫
(上下)

2005年12月
新潮文庫・復刊
(上下)

  

1975/06/01
1979/12/02

ロンドンの暗黒街を舞台に、孤児オリヴァーの成長を描くストーリィ。
養育院で虐待を受け、ロンドンに出た後では強盗窃盗団の仲間に引き入れられますが、オリバーは悪に染まることがない。最後は父親の友人の養子となってハッピーエンドに終わるストーリィです。純粋な少年オリヴァーの姿が健気であって、 ミュージカルにもなった作品。
ただ、ディケンズ作品にしては登場人物にあまり魅力がありません。その性格付けにディケンズらしい独特なものが少ないからでしょう。強いて言えばフェギンぐらいか。
しかしその一方では、当時のイギリスの下層社会を克明に描いているという特色があります。これほど具体的に下層社会を描けるというのも、ディケンズ自身がそうした社会で育ち、その社会の中で苦労したからであると言えます。

本作品の人物像は単純です。つまり、善人と悪人。
善人とはディケンズのような立場の人間であり、つまりは貧しい者、社会の下層にいる者達です。
一方の悪はというと、人間というよりむしろ社会制度であり、貧富の差を許容している社会そのものであると、ディケンズは主張しているようです。
この作品は、登場人物各々の善悪を問題にするのではなく、社会の在り様について孤児オリヴァーを通じて批判を加えるといった内容なのです。
ただ、主人公オリヴァーに主体性がなく、魅力が感じられません。ただ流されているだけで積極的な行動が見られません。結末にしても、やけに呆気ないという気がします。

※映画化 → オリバー・ツイスト

  

4.

●「骨董屋」● ★★
 
原題:“THE OLD CURIOSITY SHOP”




1840-1年発表

1974年07月
三笠書房刊
(3800円+税)

1989年09月
ちくま文庫
(上下)

1975/04/29

主人公のネルは、ロンドンの場末で骨董店を開いている老人トレントの孫娘。
そのトレント老人は、孤児であるネルに充分な財産を残してやりたいという一心から、高利の借金をして賭博に手を出し、破産。店は悪役
クウィルプに差し押さえられ、14歳のネルは祖父を連れてあてどもない放浪の旅に出る、というストーリィ。
クウィルプは更にネルと祖父を迫害しようと跡を追い、一方でトレント老人の弟が金持ちのなって外国から帰国し、やはりこれも2人の跡を追うのです。しかし、老人の弟が漸くネルたちの元に駆けつけたときは既に遅く、ネルは眠るように死んだ後、という結末。
日本でも受けそうなストーリィです。
本作品について、とくに印象に残る部分はないのですが、お涙頂戴ものの小説としてはこれ以上のものはない、と言えるでしょう。

当時はネルの悲劇にイギリス中の人々が涙し、アメリカにおいては、イギリスからの船が入港すると埠頭に集まった群衆が声を張り上げてネルの安否を尋ねたという。連載当時それくらい人気があったらしい。

   

5−1.

●「アメリカ紀行(上)」● ★☆
 
原題:“AMERICAN NOTES”     訳:伊藤弘之・下笠徳次・隈本貞広




1842年発表

2005年10月
岩波文庫刊


(900円+税)

 

2005/12/01

本書は、ディケンズが29歳の時に夫人連れでアメリカ訪問をしたときの覚書。
骨董屋がアメリカでも大人気を博しただけに、ディケンズのアメリカ訪問は当初大歓迎を受けたらしいのですが、その後は誤解もあったりして批判を受けることもあったようです。それでもディケンズにとっては有益な訪問だったらしい。

題名に「紀行」という名がついていると“旅行の思い出”的なものとつい想像してしまうのですが、本書はそうしたものとはかなり違う。確かにそういう部分はありますが、アメリカ社会の観察記といった方が遥かに相応しい。
本書で印象に残るのは、アメリカでディケンズが訪れた視覚障害者の施設、精神障害者のための州立病院、州立の矯正院(監獄)等について語った部分。とくに視覚障害者施設では、ヘレン・ケラー並みの障害に加えて味覚までダメ、唯一の感覚は触覚だけという少女
ローラ・ブリッジマン(1829年生)の愛らしさが謳われており、まさにディケンズらしい賞賛。
また、監獄での収容者に対する待遇のひどさについては、ディケンズもかなり衝撃を受けたらしい。いずれの施設もディケンズ作品の世界では馴染み深い場所と言っていいもので、この辺りに深い関心をもって訪れたというところが如何にもディケンズらしい。
要は、アメリカ社会を理想化して称える風潮に対して、良いところも悪いところも事実どおりに伝えようとしたのが本書の趣旨のようです。
その他では、イギリスからアメリカへ向かう途中嵐に見舞われた際の船中での様子、アメリカで乗った駅馬車のこと。かなり誇張がありとは思うのですが、それでも当時の様子が窺えて面白い。
このように書くといかにも面白そうな本と思えるかもしれませんが、実のところ本書の読書には苦労しました。集中しにくかったうえに、ちょっと集中心を欠くと何が書かれているのか判らなくなってしまい途方に暮れる、という具合。
集中して読めていたら、本書はもっと面白く読めていたかもしれません。反省するところです。

旅立ち→船旅→ボストン→鉄道・工場システム→ハートフォード→ニューヨーク→フィラデルフィア→ワシントン→ポトマック川→ボルティモア→ピッツバーグ→シンシナティ→セント・ルイス

   

5−2.

●「アメリカ紀行(下)」● ★☆
 
原題:“AMERICAN NOTES”     訳:伊藤弘之・下笠徳次・隈本貞広




1842年発表

2005年11月
岩波文庫刊


(900円+税)

 

2005/12/13

下巻のうち「アメリカ紀行」の続きは 150頁程度。正直に言ってヤレヤレというところです、これでやっと解放されると思って、ホッ。
その短い部分で印象的なのは、カナダに入って安らかな気分になっているらしいこと。そして“ナイアガラの滝”見物では、その地の現在と変わることのない雰囲気は感じられ、観光した時のことが思い出されました。
特筆すべきは、ディケンズによるアメリカ人の国民性評、そして奴隷制度への批判。
前者は現代アメリカの問題点にも通じる特徴であって、ディケンズの慧眼には恐れ入ります。極めて興味深い指摘。
読むのに苦労した本書ですけれど、そこはやはりディケンズ。部分部分をとってみれば読み応えは十分あります。

残る 200頁余は、ジョン・フォースター「チャールズ・ディケンズの生涯」第3章「アメリカ 1841-1842(29〜30歳)」
アメリカからのディケンズの手紙を引用しつつディケンズのアメリカ旅行を客観的に書き綴っていて、ディケンズ自身の「紀行」よりずっとよく状況が判ります。
とくに「国際著作権」問題をめぐって、アメリカの国民と感情的な行き違いが生じた事実の重さが感じられます。
この付録部分を先に読んでいたら、ディケンズの「紀行」も余っ程読みやすかったかもしれません。
それにしても、ところ構わず始終つばを吐き散らすアメリカ人の様子には、相当辟易したらしい。

→シンシナティ→コロンバス→サンダスキー→ナイアガラ→トロント・キングストン・モントリオール・ケベック→レバノン→ウェスト・ポイント→帰路/奴隷制度/結びの言葉
※ジョン・フォースター「チャールズ・ディケンズの生涯」より

 

6.

●「マーティン・チャズルウィット」● ★★☆
 
原題:“MARTIN CHUZZLEWIT”




1843-4年発表

1974年08月
三笠書房刊
(3800円+税)

1993年10月
ちくま文庫
(上中下)

 

1975/04/29
1980/01/03

本書は、チャズルウィット家の遺産相続をめぐり、人間の利己心と、偽善をとことん描いた作品。ストーリィとしては、老マーティンの信用を失った青年マーティンが、家を追い出され、恋にも絶望し、試練の旅を重ねるという内容。巡り巡って、マーティンはアメリカにまで行って辛苦を味わうのですが、その際ディケンズはアメリカをひどく悪く描き、アメリカ国民から猛烈な反撥をくらったとのことです。
本書で注目されるのは、主人公マーティン・チャズルウィットより、むしろ脇役の人物達です。マーティンの従僕となる
マーク・タップリー、友人トム・ピンチ、そして偽善的利己主義者の典型といえるペックスニフ。彼ら以上に独創的な人物を、ディケンズ以外の誰が生み出すことができるでしょうか。中でも、ペックスニフはディヴィッド・コパフィールドの悪役ユライア・ヒープに優るとも劣らずという傑作です。
改めて整理すると、
マーティン・チャズルウィット、老人の方も青年の方もひどい利己主義の塊。ペックスニフ、偽善という点においてこれ以上の人物はいないでしょう。マーク・タップリー、いつも陽気で庶民的な活力に溢れた若者。ピクウィック・クラブサム・ウェラー同様、世間の人気者です。そして、トム・ピンチ、善良、ただそれだけの人物。
いずれの登場人物も、個性豊かで面白く、離れがたい魅力を備えています。最後には、彼らが集まってペックスニフを糾弾する、そして大団円というストーリィ。
ディケンズ作品の典型的面白さを供えた作品だと思いますが、ただ長ったらしいのが難点です。

   

7.

●「クリスマス・カロル」● ★★★
 
原題:“A CHRISTMAS CAROL”




1843年発表

1952年11月
新潮文庫刊
1999年06月
第91刷
(286円+税)

 

1999/12/24

 

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クリスマスにふさわしい本と言えば、この作品の右にでるものはないでしょう。クリスマスの度、繰り返し読んで喜びを新たにしたくなる、そんな名作です。
主人公のスクルージは、孤独で頑迷な守銭奴と言ってよいような老人。クリスマスだというのに、スクルージは少しも祝おうとせず、甥や書記のお祝いの言葉にも冷ややかに応えるだけです。
そんなスクルージの元に、イヴの夜中、彼の仕事仲間だったマーレイの幽霊が現れ、今のうちに悔い改めないと悲惨なことになると警告をします。そして、マーレイの幽霊の予告どおり、スクルージの元を、過去のクリスマスの幽霊、現在のクリスマスの幽霊、未来のクリスマスの幽霊が訪れます。
自分自身の過去の姿、現在の甥や書記のボブ・クラチット一家の楽しそうな家庭の様子、自分が死んだ時のみじめな状況、スクルージは幽霊と共に様々なクリスマスの姿を目にします。
三人の幽霊が去った後目を覚ますと、それはまだクリスマスの朝でした。そこで、スクルージは.....。
キリスト教にしろ仏教にしろ、人のために尽くすという行為は、相手を幸せにするものではなく、自分自身を幸せにするものであると教えています。スクルージもまた、人のためにつくすことによって自分自身が幸福になれることを知ったのです。その意味で、クリスマスの精神をこれ以上見事に描き出したストーリィは他にないように思います。
ディケンズは、ロンドンの貧民層、癖の強い人物を描き出すのにすこぶる長けた作家です。長篇作品となるととかく冗長な傾向があるのですが、本作品は短編だけにディケンズの長所が見事に生きています。
キリスト教徒でなくてもクリスマスを心から祝いたくなる、そんな幸せを感じる一冊です。

マーレイの亡霊/第一の幽霊/第二の幽霊/最後の幽霊/事の終り

   

8.

●「炉辺(ろばた)のこおろぎ」● ★☆
 
原題:“The Cricket on the Hearth”    訳:伊藤廣里




1845年発表

2004年12月
近代文芸社刊

(2500円+税)

 
2006/12/29

 
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ディケンズの“クリスマスの本”には5作品があり、本書はその中の一作。
(ちなみに他の作品は
クリスマス・カロル」「鐘の音」「人生の戦い」「憑かれた人」の4作)
出版当時は「クリスマス・カロル」より本作品の方がずっと評判が良かったということですが、率直に言って「クリスマス・カロル」に優るとはとても思えない。 

一方に貧しいけれど幸せな家族があり、一方に金持ちだけど性格が悪く孤独な男がいる。貧しい者たちを散々馬鹿にしてきた金持ち男ですが、貧しいけれど幸せそうな家庭風景をみて心を入れ替えるというストーリィ。基本的なところでは「クリスマス・カロル」と共通しています。
ただし、「カロル」が吝嗇な老人を主人公にしてその改心の過程を描いているのと対照的に、本作品は貧しいけれど幸せな人々を主体に、偽り・疑いが原因で彼らの間に一時不安が兆すものの、こおろぎの精のおかげで再び幸せを取り戻すというストーリィ。

本作品の“こおろぎ”は善良な人々の家庭を守る妖精のような存在として描かれており、「リリーン、リリーン」という鳴き声は随所随所で象徴的に響き渡ります。

第一の鳴き声/第二の鳴き声/第三の鳴き声

 

9.

●「デイヴィッド・コパフィールド」● ★★★
 
原題:“DAVID COPPERFIELD”

 

1849-50年発表

 

1967年02月
新潮文庫刊
(全4冊)

 

 

1970/09/30
1977/10/30

この作品はディケンズの自伝的な小説と言われ、ディケンズの中では一番まとまりの良い作品です。S・モーム世界の十大小説のひとつに選んでいます。
登場する人物の多彩さという面でも、随一。でも、主人公
ディヴィッド自身は、あまり積極的役割を果たしているとは言えません。
少年時代、母と再婚した
マードストン姉弟から虐待を受け、クリークル学校・徒弟時代と辛酸を舐め、ボロボロになって伯母の家まで辿り着くという冒頭部分では、それなりに自らがストーリィを切り開いていると言えます。ところが、それ以降となるとだらしがない。冒頭部分では子供というにはあまりに大人の感覚を備えていたのに対して、それ以降では大人というには余りに子供っぽい。こんな人物がよく小説家になれたなと思程なのです。
ディケンズは、どうも主人公を善良だけれども平均的な人物に仕立て過ぎたらしい。ディケンズ作品においては、クセのある人物の方がはるかに魅力に富んでいるのです。
エミリーの駆け落ち、ハムペゴティーの苦悩についても、ディヴィッドは単なる傍観者に終始し、ユライア・ヒープの野望阻止に際しても、ミコーバー、トラドルズが活躍するのに対してディヴィッドは 何の役割も果たしていないのです。
しかし、主人公以外の登場人物たちと言えば、生き生きとしていて、実に楽しい。善良なる貧者
ウィルキンズ・ミコーバー、トミー・トラドルズ、ベッチー・トロットウッド伯母、ミスター・ディック、ペゴティー兄妹等々。そして、何と言ってもユライア・ヒープも欠かせません。彼らは、余りに典型的人物過ぎるという傾向もありますが、まるで実在の人物と思えるほど、生命力に溢れています。その反対に、ディヴィッドが拘る女性たち、エミリー、ドーラ、アグネスは、絵に描いた存在で、 あまり人物像が浮かび上がってきません。
この作品は、コミカルな面も多分にありますが、人が生き、その終わりに自分の人生を振り返って、かくも満足気に語ることができたら幸せに違いない、と思わせるものをその中に含んでいます。ディケンズ作品の中では、第一にお薦めしたい作品です。

 

10.

●「荒涼館」● ★☆
 
原題:“BLEAK HOUSE”

 

1852-3年発表

 

1989年02月
ちくま文庫

(全4巻)

 

 

1989/08/21

イギリスにおける訴訟制度を辛辣に風刺した作品。
本ストーリィは、ロンドンの大法官裁判所で40年間も延々と続いている、
ジャーンディス対ジャーンディス事件を中心としています。何の訴訟であるのか、 どこに解決の目処があるのか、最早誰にも判らない、という状態。
作中人物エスタの手記と、作者の視点から書かれた章が交互するため、ちょっと複雑な構成になっています。
作品全体の印象は、とても暗い。また、ジャーンディス事件の中身がよく理解できなかったため、余計に読みにくかったように思います。
ディケンズの場合、どこか欠点のある或いは滑稽さのある人物の描写は上手ですが、善人を書こうとすると余りに“善人だ、善人だ”と言い過ぎて、かえって白々としてしまいます。本作品では、主人公エスタがそう。その為に説得力を欠き、具体性のない人物となっています。エスタは、その行動面においても、歯切れが悪い。最後はアレヨアレヨと思う間に、結婚してしまいます。良く判らないストーリィでした。
後期のディケンズ作品は、時代世相を描こうとすることによって、その良さである単純明快さを欠いてしまった気がします。もっとも、本作品でもディケンズらしい面白みのある人物は何人か登場しますし、貧乏アパートの人々の生活ぶりを描いた部分は、やはりディケンズならではのもの。

    

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