ジョン・バンヴィル作品のページ


John Banville  1945年アイルランド・ウェクスフォード生。12歳より小説を書き始め、70年短篇集“Long Lankin”にて作家デビュー。アイルランド誌で文芸記者として働きながら執筆を続け、「コペルニクス博士」(1976)にてジェイムズ・テイト・ブラック記念賞、「ケプラーの憂鬱」(1981)にてガーディアン賞ほか、受賞多数。2005年「海に帰る日」にてカズオ・イシグロの「わたしを離さないで」をおさえてブッカー賞、2011年フランス・カフカ賞を受賞。現代アイルランドを代表する作家であり批評家としても活躍。ダブリン在住。


1.海に帰る日

2.無限

3.いにしえの光

 


     

1.

●「海に帰る日」● ★★☆          ブッカー賞・フランツ・カフカ賞
 
原題:"The Sea"        訳:村松潔

  
海に帰る日画像
 
2005年発表

2007年08月
新潮社刊

(1900円+税)

 

2007/09/15

 

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60代の老美術史家マックス・モーデンは、少年の頃過ごした海辺の町へ戻ってきます。
彼は最愛の妻アンナを病気で亡くしたばかり。
そのマックスの脳裏には、少年の頃海辺で知り合ったグレース一家とのこと、死病を宣告されたアンナとの最後の日々のことが、渾然一体となって蘇ってくる。
現在と遠い過去、そして近い過去をめぐる老マックスの心中を、まるで時を超えて浮かび上がらせるように書き綴った長編作品。

人生の晩年になると、人は忘れ難い思い出を目の前に蘇らせ、再び味わおうとするものなのでしょうか。
そしてそれは、「ひょっとすると、人生はそこから立ち去るための長い準備期間にすぎないのかもしれない」という、最後における作業なのでしょうか。
本書を読んでいるとそんな思いに駆られます。立ち去るための最後の復習とでもいうような。

少年マックスがこの海辺で、ミセス・コンスタンス・グレースの豊かな太股や胸の丸みに恋焦がれたこと、次いで彼女の娘クロエとの間に芽生えた恋のこと、そして最後にクロエが双子の弟マイルスと一緒に海に消えた日のこと。
哀しいとか苦いとかいった感情を交えず、ただ忘れ難い思い出として蘇る。だからこそそれは、いっそう鮮やかに感じられます。

ふとコレット「青い麦を思い出しました。同じく海辺、年上の女性、幼馴染の少女との恋を描いた名作。
同じようでありながら全く異なるのは、片や人生の入り口たる青春記の物語として描かれたもの、一方は人生の終わりに至って過去を総決算するようなものとして描かれた作品という違いでしょうか。
それを思うと余計に、立ち去るための最後の日々という静けさを感じる気がします。

      

2.

●「無 限」● ★
 
原題:"The Infinities"          訳:村松潔

  
無限画像
 
2009年発表

2010年10月
新潮社刊

(2200円+税)

  

2010/11/12

  

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風邪を引いてボーッとした頭で読み続けた結果、頭の中でストーリィは全く繋がらず、どんなストーリィなのかも全くつかめず、そのまま読み終わってしまったという一冊。
ただでさえ集中しにくいストーリィを、集中し難い状況の中で読み進むと、こういう結果になるという典型例のような読後感。

ある真夏の一日、アイルランドの片田舎にある屋敷。
その屋敷の主である老数学者
アダムは脳卒中で倒れ、昏睡状態。屋敷には、若い妻アーシュラ、息子のアダムと女優であるその妻ヘレン、閉じこもりの娘ピートラ等々が集まっている。
そして彼らを見守る存在であると同時に、本小説の語り手であるのが、オリンポスの神々の一人、ゼウスの息子である
ヘルメスという設定。
神といってもそこはオリンポス系であるだけに、見守るというより見物しているという方が相応しい。見物だけならまだしも、父神
ゼウスは相変わらず色事好きで、アダムの振りをしてヘレンのベッドに入り込むという次第。
神が傍らにいるからといって、アダム一家に何の影響を与える訳でもありませんが、昏睡状態のアダムを初めとして、登場人物各自がいろいろな思いを繰り広げる、というストーリィ。
それも、脈略はなく、特に意味もないままに。

キリスト教世界ではどうも時々、こうして神と人間を対峙させ、神と違って人間は煩悩と無縁ではいられない存在であることを顕示せんとする作品を書かずにはいられないのではないか、と思うのです。 
 

    

3.

「いにしえの光」 ★★☆
 
原題:"Ancient Light"          訳:村松潔

  
いにしえの光画像
 
2012年発表

2013年11月
新潮社刊

(2100円+税)

  

2013/12/25

  

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引退を決意した老俳優が、15歳の頃に親友の母親と愛し合った思い出を辿るストーリィ。
その思い出と並行して老俳優の現在も語られます。主人公夫婦は娘に自殺されたという心の痛手を今も引きずっている。そんな折主人公に映画出演の話が降って湧いたように起こります。共演者は人気美人女優。ところがその美人女優が自殺騒ぎを起し、主人公は彼女を連れてイタリアへと向かいます。行き先は娘が自殺した地なのか。

過去と現在のストーリィが混然一体となって語られる中で感じられることは、残り人生をただ過ごしているだけという残滓感と、それと比較する故に一層感じられる少年時代の輝き。
年上女性との恋と言っても要は親子程の年齢の違う人妻とのただならぬ不倫関係ですから不道徳であったことは否めません。それでもその時に少年が抱えていた一途な恋の煌めきまで否定できる訳ではなく、老境に達した今だからこそより一層輝いて見えます、そう
ヘッセ春の嵐の中で言っていたように。

本書は
ツルゲーネフ「初恋」に比肩されますが、私としては海に帰る日同様にコレット「青い麦」を連想する方が強い。
本書はそれら2作品を超えて、恋する少年の心のときめき、揺らめきを、消えることない思い出として鮮明かつ詳細に描き出した逸品です。お薦め。

    



新潮クレスト・ブックス

             

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