Back                     Next

ついに念願のTR-4が我が家にやって来ました!

                                             

2000年8月某日はるばる埼玉よりトラが運ばれてきました。
すぐに陸事にてナンバーを取り付け、TR-4のオーナーに。当日は長女2人で車両の受け渡しに行きました。
写真に写っているのは、運んでくれたショップの店長とその奥様です。本当にご苦労さまでした。


さび・サビ・錆
 相場よりかなり安い価格で購入したのですが、その理由は燃料タンクの錆にありました。
 以前のオーナーさんは錆を処理できず、燃料詰まりをおこし、ほとんど走れなかったようです。
ですから最初に手がけるのは燃料タンクの錆取りです。                      

FUEL TANK REPAIR KIT
 取りあえず、一番楽な方法で、処理するためにマナテック社から出ているキットを使用しました。
・最初にマリンクリーンでタンク内の錆、スラッジ等の汚れを洗浄します。マリンクリーンとお湯を同量入れて2日間置きます。(ただし汚れた部分全部に漬けるため、時々はタンクを揺すったり逆さまにしたりします。(水による洗浄を行う。)
 ・引き続き、メタルレディー(錆除去剤)を内部の錆すべてに浸かるようタンクを揺り動かし、数時間漬けておきます。(再度、水による洗浄を行う。)
 ・タンクを良く乾燥させる
 ピンぼけですが、奥の錆が見えますか。  処理後の燃料タンクです。(うまくいって良かった!)



 


  
 娘2人のピースマーク(作業中は興味津々に見ていました)                                         

エアフィルター

左の写真は購入時の状態です。純正のエアフィルターが付いていますが、誇りまみれで、清掃してもここから空気を吸わせるのをためらい、捨ててしまいました。
右の写真(純正ではないが気に入っている)
夏休みに家内の実家(神戸)に帰ったので、丹波の篠山にドライブに行こうと言って、篠山のコベントリーガレージに行って、K&Nのエアフィルターを購入した。この時にグリーンのTR4を再生中で見せて貰ったが、どう見ても新車のような感じでした。聞いてみると、工賃なしで部品代だけで350万位掛かっているとのことでした。
オーナーは30代そこそこの銀行関係者と言っていましたが、あるところにはあるものです。


イル

左写真
納車日に撮った写真です。
ホイルがボディと同色に塗られていました。私の趣味に合わないので、ホイル塗装用のスプレーで銀色に塗り直すことにしました。
左下の写真が塗り終わった物です。
やはり、この方がしまって見えますね。
マンションの駐車場が私の作業場ですが、塗っている時に子供達が集まってきて、「おじさん何してるの?」と聞いてきました。子供達もこの方が格好良いと申しておりました。ちなみにタイヤは外さず、マスキングして塗りました。


出生証明書

    PURODUCTION DESTINATIONS

          HOME    EXPORT   CKD 

TR4
1961           10   
   2448     12
1962         964     14309     660
1963        796      9142     144
1964        819   
 10657     42
1965         3      247      0

TOTAL                    40254

TR4は表で見て貰えば分かるように、1961年から1965年の5年間で40254台製造されました。正確には、61年はTR3Aの終了がこの年の秋まで、また、65年後半からはTR4Aの製造へ移りましたので、大半は62年〜64年の3年間です。
また、イギリス国内は製造台数の10%も満たない程度で、大半は輸出、特に北米市場へ流れました。

私の車も売り出しでは、61年型と書いてありましたが、調べてみると製造されたのが62年9月、アメリカへ輸出されたのが翌月の10月になっていました。
左の表はそれを証明する証書です。今でも、調べて証明書を発行してくれるとは、日本とは車に対する姿勢が違いますね。
ボディー・シャシー・エンジン各ナンバーが一致しているので大事に乗られていたようです。
          
ちなみに製造当時の仕様は下記のようになっていました。

車色 シグナルレッド
内装 革張り(赤)
幌   ホワイト
ヒーター・白のトノカバー・ウィンドスクリーンウォッシャー
5.90-15 Goodyear tyresです。

現状は、内装は黒、幌も黒となっています。途中、何人のオーナーの手を経て私の所へ来たのかは分かりませんが、出生に関してはあきらかになりました。