曇りのちWindows

〜1995年〜



魔法使い来たる
この年、Windows95というソフトがリリースされた。このWindowsというソフト、実は 80年代からあったソフトなのだが、80年代の後半にリリースされたWindows2.0 などは、「けっ、こんなもの使い物になるかい」と思ったものだった。 この時代のパソコンはスペック的にWindows2.0をまともに動かすのは不可能に近く、 リッチなお遊びソフトにしか思えなかった。 しかし時代は変化を続け、メモリを代表とする半導体価格が大幅に下落して ハードディスクの容量も格段に進化し、Windowsが快適に動作する環境、 いわゆるDOS/Vパソコンが普及し始めたのだった。満を持したかのように リリースされたのがWindows3.1。このバージョンでMS−DOSは 表の世界から消える事になった。Windows2.0からのあっという間の変化。 この時ほど情報産業の変わり映えを肌身に感じた事はなかった。

そしてWindows95のリリース。それまでパソコンに縁のなかった人達も 自宅でパソコンを操るようになってきた。情報産業に関わる者としては、自宅でパソコンを 触るなどというのは休みの日に背広とネクタイをつけて家にいるようなもの。 考えてもみなかった事である。まさに黒船か魔法使い来たるの感覚だった。

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Yahooはヤッホー?
この年初めて電子メールを使った。感動以外のなにものでもなかった。 そしてウェブ。これもこの年に初めて使った。 インターネットは自分が生まれる前からあるものなのだが、軍需目的から 学術に公開、そして一般に公開され我々もその恩恵を受けられるようになった。 やっぱりスケールが違うね、アメリカさんは。 この年の秋頃までYahooの事を私の仕事仲間は「ヤッホー」と読んでいた。 検索してもたいしたコンテンツはなかったが、「ヤッホーで検索してみれば?」、 なんて会話が日常になりつつあった。しかしそれもつかの間、気がつけばいつの間にか 「ヤフー」と呼ぶようになっていた。いやはや情報産業の時代の変化にはほんとに驚きだ。

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脳ミソをマルチタスクへ
MS−DOSの時代のパソコンのワークは、例えばワープロなら一太郎が定番だった。 絵を描くなら花子。ソフトを切り替える時は今使っているソフトを一旦終わらせて ファイルを保存し、別のソフトを起動していた。 ワープロを打ってる時はワープロだけ。仕事の邪魔をするツールは電話ぐらいなもので、 自分のペースで、しかもとっても集中できた時代だった。 ところがWindowsが普及してからはそうはいかない。文書を作っていても 何をやっててもメールが飛んできてご丁寧にメッセージが画面に出る。 今やってるワークを一旦止めてメールを読む。ふむふむ・・・なるほど・・・なんて 感じでメールを読み、さっきまでやっていたワークとメールに書かれた対応とどちらが 優先順位が高いか判断する。そして元のワークに戻ってさっきの続きから始める。 いつしか人間の脳ミソはこのようにマルチタスクのスイッチングのような働きをする 必要が出てきた。この切り替えが遅いと「生産性が低い人」などと呼ばれる。 集中力タイプで切り替えが苦手な人にとってはWindowsはさぞ悩ましい ツールに違いないだろう。

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実は晴れのち?
90年代の前半に長渕剛の「JAPAN」という歌があった。 ”俺たちこの先どこへ流れていくんだろう”、という歌詞が当時からとっても 気にかかっていたが、情報産業の流れや変化もこの歌のテーマの一つのような気がして ならない。

バブルの崩壊後にWindowsが時代を変えた。つまり曇りのちWindows。
いや、もしかしたら晴れのちWindowsだったりしてね。



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