■おんぼろアパートにて
昭和58年の春、東京の学校に進学した私は蒲田のとあるアパートで一人暮らしを始めた。
アパートの名前は「K山荘」。今はすでに取り壊されて存在していない。このアパート、家賃が1万5千円で四畳半一間。
もちろん風呂など付いていない。台所は一応付いているが、申し訳程度の広さでせいぜいお湯を沸かす事ぐらでしか使えない。
トイレは共同で男女兼用の個室が2つ。用を足す時は老若男女にかかわらず誰もドアに鍵を掛けない。
私が借りた部屋は一階の角部屋だった。窓を開けると小さな庭があり、そこにはドクダミがびっしりと生い
茂っていた。正に本物のドクダミ荘なのである。押し入れを開けるとカビの匂いが充満しており、
その匂いで一瞬めまいがする。そして壁と柱の間には隙間があり、そこから隣の部屋の灯りが見えたりする。
見えると言えば鍵穴もそうである。鍵が旧式なのでドアにポッカリ鍵穴が空けられており、外から覗くと部屋の
中が丸見え。しかし私はさほど気にならず、「これなら死んでもすぐ見つかるな」と、素直に思えた。
そんなアパートだが、私はこのアパートが大変気に入っていた。この部屋でごろんと横になり、草模様の緑色の天井を
眺めていると妙に気分が落ち着く。かくして月虎はこのアパートで人生最後の学生生活を送る事になったのである。
◇ ◇ ◇
■K山荘の住人達
隣は何をする人ぞ、とは都会のアパートで良く言われる事である。しかしK山荘に限っては例外だった。
アパートの住人を紹介すると、まず隣の部屋は千葉出身の太った男子学生。ヤツとは同じ学校だったが校内で顔を合わせた
事は一度もない。私は金がなくなると迷わず彼に借りていた。「2000円程貸してくれねぇか?」なんて気軽に言うと、
彼はいつも気前良く貸してくれた。今考えるとなかなか話の分かるヤツだった。
もちろん踏み倒した事などなく、数日のうちにきっちり返していた。
その隣には5人家族が住んでいた。と言っても四畳半一間に5人が住んでる訳はなく、その家族は部屋を2つ借りていた。
ここの奥さんからは良く自転車を借りた。私が自転車を借りにいくと奥さんは貸してくれようとするが、奥の方で旦那の声が
聞こえる。「貸すなよ。戻ってこなかったらどうすんだ」。これが元で夫婦喧嘩に発展した事もあったようなので、
それからは借りない事にした。
その奥の部屋には近所の居酒屋に勤めてる30過ぎの男が住んでいた。ほとんど口を聞いた事はなかったが、
その居酒屋に行くといつも寂しそうに仕事をしていた。この男に鍵穴から部屋の中を覗かれた事がある。
それは私が夏休みに帰省している間、女友達数人に部屋を貸していた時の事である。奥の部屋の奥さんがそれを目撃し、
後で私に教えてくれた。これは黙っている訳にはいかない。そう思った私はその男に文句を言いに行った。
「あんたこの前俺の部屋覗いただろ」。そう聞くと「覗いてない」と言う。見た人がいると言っても「知らない」の
一点張りだった。それ以来この男とは口を聞く事はなかった。
さらにその奥の部屋には大工が住んでいた。この大工からは時々カナズチを借りた。いつもニコニコしながら貸して
くれたが、数ヶ月後に頭が狂ってしまい、暴力事件の末に警察に逮捕されてそのまま精神病院送りとなった。
逮捕されるしばらく前、夜中にトイレに行くとその大工が共同の手洗い場でノミを研いでいるところを何度も目撃した。
不気味な感じはしたもののその時はあまり気にしてなかったが、今考えるととても恐ろしい話である。
そして向かいの部屋がOさんの部屋である。Oさんは40ぐらいの独身男で非常に体格はいいが、噂によると
結構病弱らしい。私は慣れない一人暮らしで分からない事があるとすぐにOさんに聞きに行き、何度も助けられた。
何故かOさんは私に優しくしてくれて、何度か寿司をご馳走になった事もある。東京のアパートで赤の他人が
寿司をご馳走してくれるのは変な話である。もしかしたら少々ヤバイ人だったのかもしれない・・・。
そんな訳で一階の住人とは何らかの接触があった。東京もなかなか捨てたもんじゃないな。
これが18歳の私が感じた印象だった。
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