岩手県の玩具 |
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青森県をひとまず終え、隣県の岩手に移ろう。南部藩の昔から馬の産地として知られる岩手県には数々の馬玩(馬の郷土玩具)がある。写真は「忍び駒」と呼ばれる藁馬で、説明書には「縁結びの祈願には、人に知られぬよう神前に藁馬を供えて帰り、成就の際は供えた藁馬を持ち帰りて各色の布を飾り付け、夜再び神前に忍んでこれを供える」とある。高さ23cm。(H16.3.16)

この地方には毎年旧暦の端午の節句に馬の無病息災を祈る祭りがある。その日は馬も仕事を休み、色とりどりの布や織物できらびやかに飾られ、首にはたくさんの鈴を付けられて、岩手山麓滝沢村の鬼越蒼前神社(旧駒形神社)から盛岡八幡宮まで4時間の道のりを行列する。盛装させられた馬達もどこか誇らしげに見える。馬が歩くたびに首の鈴がチャグチャグと音を立てることから、この祭りは「チャグチャグ馬コ」と呼ばれる。これに因んで作られた馬玩には数種類あるが、馬に跨った子供が土製である外は全て木製である。黒馬(左奥)の高さ23cm。(H16.3.16)

「板駒」(前列左)は水を渡る馬をかたどっており、板の四隅に描かれた模様は波紋である。「波乗り馬」(同右)は「先陣駒」とも呼ばれ、宇治川の先陣争いで佐々木四郎高綱の跨った名馬“生?(いけずき)”を表わしている。前後に揺らすといかにも川を渡っているように見える。「古代駒」(後列左)は奥州に落延びて来た源義経に藤原秀衡が贈った名馬“太夫黒(たゆうぐろ)”の面影を表わすという。「桐馬」(同右)は南部桐を荒削りにして木馬に組立てたもので、チャグチャグ馬コ風に装飾されている。桐馬の高さ14cm。
(H16.3.18)

花巻人形の馬(高さ12cm)。花巻人形は堤(仙台)、相良(米沢)と並んで東北三大土人形にあげられる優品である。題材として馬に関するものが多いのも馬産地南部ならではのことであろう。作品は彫りが深く、色彩も赤を主とする華やかなもので、題材の自由な発想、大胆なデフォルメも特徴である。胴体部の空洞に小粒の砂を一つまみ入れてから和紙で底を封じてあるので、花巻人形を振ってみるとカラカラ、サラサラと心地よい音がする。幼児をあやす人形として製造した人達の心配りであるという(1)。多くの土人形と同じく、花巻人形も雛飾り用として需要が多かった。(H16.3.19)

花巻人形は最後の作者が昭和34年に亡くなって一旦は廃絶した。しかし、昭和45年に平賀孫左エ門・章一親子が旧い型を貰い受けて復活した。それから5、6年してからだろうか、宮沢賢治の詩碑にほど近い工房をお訪ねし、復活の苦労話を聞かせていただいた。その時に入手したのがこの騎馬武者(高さ11cm)である。新花巻人形のその後の人気は上々で2年先まで予約が埋まるほどであったが、平成11年に章一氏が59歳の若さで急逝されて惜しくも途絶えてしまった。再度の復活を願うばかりである。(H16.3.20)

馬は古代日本において乗用・軍馬として貴重な動物であったが、同時に神霊は馬に乗って人界に降臨するものと考えられた。そこから献馬をもって祈願を立てる風習が生まれ、これが民間に伝承されて、絵馬をもってこれに代えるようになった(2)。岩手県では今でも藁馬を農神に供えるが、農神はこの藁馬に乗って出雲の国に行き、一年中の農事の相談をしてくるのだと言い伝えている。上段左は遠野の絵馬、右は盛岡のチャグチャグ馬コ絵馬。下段左は花巻の鳴子絵馬、右は盛岡の絵馬(高さ15cm)。(H16.3.30)

左は六原張子(金ヶ崎町)の“笛吹き太一”(高さ15cm)。この人形については柳田國男の「遠野物語拾遺」第二話(3)に悲しい謂れがある。短いのでそのまま記す。「昔青笹村に一人の少年があって継子であった。馬放しにその子をやって、四方から火をつけて焼き殺してしまった。その子は常々笛を愛していたが、この火の中で笛を吹きつつ死んだ処が、今の笛吹峠であるという。」笛吹峠は遠野から釜石へ抜ける途中の峠。付近は蓮台野、猿ヶ石川、仙人峠、貞任山、六角牛山など、地名の一つ一つが民話や昔話のふるさとを思わせるところである。右は花巻張子の馬。この作者にはほかにも伝統の鹿踊り、量感のあるホルスタイン牛、銀河鉄道をあしらった黒猫などがある。(H16.4.4)

岩手には馬同様、牛(べこっこ)を題材とした玩具も多い。昔、陸前高田付近の玉、雪沢、茂の倉では金を産出していた。採掘した金を平泉(藤原秀衡建立の金色堂で有名)まで運ぶときに、途中の盗難を恐れて金鉱石を俵に入れて米の運搬に見せ掛けた、との伝説から生まれたのが左の俵牛(張子、高さ15cm)である。一方、花巻地方では古くから豊作の年に牛の背中に錦の鞍を置き、三俵の米俵を積んで時の帝に献上する習俗があった。これに倣い、毎年秋の刈入れ前に藁で牛を作り神に供えて豊作を祈るようになったのが右の俵牛の由来である(4)。土地では“藁べこ”とも呼んでいる。(H16.4.4)

牛の素材には張子や藁のほか、木、土、練り物などがあり多彩である。写真はいずれも花巻温泉入り口の玩具店で手に入れたもの。手前左から時計回りに2点が木製、続いて土製(一部木)、練り物製(一部土と木)、張子製の、いずれも千両箱を背負った“べこっこ”達である。手前右の金べこは、昭和36年の年賀切手図案に採用された。高さ7cm。(H16.4.4)

岩手県の民族芸能には鬼剣舞、早池峰神楽、田植え踊り、虎舞など多数あるが、最も有名なものは鹿の面を着けて群舞する“鹿(しし)踊り”であろう。県内全域で伝承されているが、南部(太鼓踊り系)と北部(幕踊り系)とで様式が異なる。前者ではお囃子が無く太鼓中心で、1〜3mの長いササラ竹を背負い、腹に下げた太鼓を打ち鳴らしながら踊る。鹿面が大きいのも特徴である。一方、後者は両手に幕を下げて、別に付いた横笛や大太鼓のお囃子に合わせて踊る。鹿面も遠野以外では比較的小さい。いずれも奈良春日大社の神事芸能に由来し、村の平安と悪霊退散を祈願する行事を舞踊化したものだという(5)。写真は左から張子、木彫、土人形の鹿踊り。土人形の高さ20cm。(H16.4.4)

鹿踊りの縁起には他にも諸説あり、南部に庵を結んだ空也上人が、可愛がっていた野鹿が狩人に殺されたのを哀れんで、村人に鹿の皮を着せ、戯れに遊ぶ様を踊らせて冥福を祈ったのが由来であるともいう(6)。鬼剣舞(けんばい)は役(えん)の行者が苦行の末の大願成就を期して始めた念仏踊りが起源とされる。また、安倍貞任が部下の将兵に舞わせた凱旋踊りが広く伝わったものともいう。鬼剣舞には念仏を唱えながらの輪踊りのほか、武技を思わせる勇壮なもの、曲芸の要素を取り入れたものなどがあり多彩である。左は木彫の鹿踊り、右は土人形の鬼剣舞(高さ9cm)。鬼剣舞人形では鬼の面を外すと、踊り手の顔が見えるようになっている。(H16.4.4)

緯度観測所で有名な水沢には2つの特色ある祭がある。旧正月7日夜に行われる黒石寺の蘇民祭では裸の男達が蘇民袋を奪い合う。護摩木の入った袋を取ったものの地方が五穀豊穣を約束されるといわれ、近郷近在から大勢の若衆が集まる。左は蘇民祭に境内で売られている蘇民塔柱(高さ18cm)。六面に“蘇民将来子孫門戸”の字が書かれている。もう一つが京都の祇園祭を模したといわれる日高ばやしで、4月22日(現在は29日)に行われる。藩政時代に3度大火に見舞われたことから生まれた火伏祭で、各町内から町印(ちょうじるし)を先頭に打ち囃・囃屋台が繰り出し、氏神の日高神社に火伏を祈願したのち町内を練り歩く。右は町印のミニチュアで高さ13cm。(H16.4.8)

1月19日に行われる湯田町白木野部落の奇習。1mほどの藁人形を作り、腕には銭をかけ、背には餅を負わせる。厄男がそれを肩車して行列の先頭に立ち、太鼓を打ち鳴らしながら練り歩いたのち、村はずれの木に部落の外に向けて縛りつける。人々はその木の前で酒を酌み交わしてその年の厄除けを願う。厄払い人形はちょんまげ、裃、刀を腰に差した侍姿だが、巨大な男根がなんとも珍妙である。県北の安代町では虫送り人形と呼んで、やはり性器を強調した男女一対の人形が作られている。また、前述した五所川原の虫送りなどとの関連性も指摘されている(7)。写真のミニチュアは高さ15cm。(H16.4.8)

柳田國男の「遠野物語」(3)には“おしらさま”の由来譚がいくつも採集されている。共通する筋書きは@娘と馬との婚姻を怒った父親が馬を殺し、Aそれを悲しんだ娘も死んでしまうが、B馬(または娘)の亡がらから湧き出した白い虫が蚕になって人々の暮らしを支える、というもの。故におしらさまは養蚕の神として祭られるが、土地によっては眼の神として、女の病を祈る神として、さらには子供の神として信仰される重宝な神様である。おしらさま人形は、こうした里の伝説から創作された。高さ24cm。(H16.4.13)

左は花巻首人形で花巻人形の一種。右は花巻で創作された首人形“五人かしら”(高さ12cm)。人形遊び(姉様遊び)では首人形に紙や布の衣装を着せて遊ぶ。人形遊び用の首人形は、花巻のほかに下川原や仙台、松山などでわずかにみられるのみである。一方、様々な風俗を題材とした首人形は各地で作られており、なかには縁起、俗信祈願に関するものもある。変り種としては、人形浄瑠璃の盛んな鳴門(徳島)や佐渡(新潟)で作られる、芝居人形を玩具化した首人形がある。また香川、鳥取、熊本などには、紐を引くと首が合点したり目が仰天したりする繰り仕掛けの首人形もあって楽しい。(H16.4.17)

花巻人形最後の作リ手である照井トシの死後しばらく廃絶となっていたが、平賀父子の尽力により復活した経緯は前に述べたとおりである。写真はいずれも章一氏の作で、唐辛子ねずみ、犬乗り童子、子供三番叟(高さ9cm)。(H16.4.18)

各地博物館の収蔵品や個人所蔵の優品を目にすると、花巻人形の優雅さ、色彩の美しさに魅せられるばかりでなく、職人の自由な発想、創意工夫、先見性には感心させられる。こうした旧い作品は美術品、骨董品の類いであって、到底私の手にできるものではない。しかし、たまに仙台の骨董市などに足を運ぶと、思いがけず花巻人形が手ごろな値段で出品されていることがあって嬉しくなる。写真はそんなふうにして手に入れただるま2種。特に、大きいだるまの長閑やかな表情が気に入っている(高さ17cm)。(H16.4.18)

以前に紹介の馬や前回のだるまと同様、仙台で手に入れた花巻人形(高さ26cm)。鮮やかな色彩が気に入って購入した。骨董趣味はないので年代などは分からないが、そう旧いものではないのだろう。(H16.4.18)

岩手県で作られているこけしは主に南部系とよばれるもので、嵌め込みを緩くして頭部がグラグラと動くようになっており、キナキナ型とも呼ばれる。無彩色で頭の動くおしゃぶり玩具(後列右端のこけしが最も近い)から発達したといわれている。したがって南部系のこけしは描彩も全体的に簡素である。一方、前列左端のこけしのように鳴子や遠刈田(ともに宮城県)で修行した工人が南部に移って作風を変化させた例もみられる。写真は前列左より小林定雄(湯田町)、高橋金三(花巻市)、安保一(盛岡市)、後列左より佐々木覚平(北上市)、坂下隆男(宮古市)、佐藤一夫(花巻市)、高橋金三(高さ5寸)のこけし。(H16.4.18)

こけしと似ているが、いっぷう変わった郷土色をたたえた人形。「木の表皮を残してそれを巧みにマント風の角巻きに仕立て、内側の白木の部分に顔かたちとチャンチャンコ、もんぺを描き、さらに藁ぐつを履かせたように彫り上げてある。冷たい風に吹かれて頬を真っ赤にした北国の子供の風情が十分に表わされた人形である」(8)。高さ15cm。(H16.4.18)

「ツキモウシ」と読む。地元では「ツギモシズンゾ」と呼ぶ。“ズンゾ”とは人像、すなわち人形のこと。附馬牛人形は土に和紙を混ぜて型取りし、焼かずに天日で乾燥させて彩色しているので、軽くて衝撃に強いのが特徴である。明治の初めに廃絶したままであったが、近年佐々木孝和氏がその技法を復活させた。形や模様には花巻人形の影響が強くみられる。この写真は復活品で高さ11cm。(H16.5.17)

もともと我が国には居ない動物なのに、馬、猿、犬などとならんで郷土玩具の題材として人気の高いのが虎である。張子製の虎は各地にみられるが、藁細工の虎は珍しい。藁で芯を作ってから井草で形を仕上げ、最後に虎模様の布を胴に巻きつけて出来上がり。なお
“まつよ(松代)”は作者の名前である。高さ11cm。(H16.5.17)
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