地方政府政策研究会
市役所 まちづくりは、一人ひとりがキラキラと輝くことから・・。地方分権は、自らの足で立ち、まちづくりを進めていくための方策であり、これまでの国・府への依存型地方自治が終わりを告げ、これからは地方が試される時代が到来するのです。まさに「地方政府」の時代といえます。地方政府政策研究会は、市職員や市議会議員、まちづくりなどの学識経験者でつくる政策研究グループです。

提案1 三川合流部に「川の灯台」を

提案2 人が楽しく歩くための歩道を

提案3 まちづくり関係者は街を歩け

提案4 こんなにもある素材を活かせ

提案5 すべて事象には訳があるのだ



地方政府政策研究会

提案1】 三川合流部に「川の灯台」を

木津川、宇治川、桂川の三大河川が合流し、淀川になる「淀川三川合流部」は、日本でも希な巨大自然風景を創っています。周囲に目を移せば、南に歴史的自然環境保全地域に指定された男山、北西に天王山の緑が対峙しています。この地域はも古くから陸上交通はもとより水上交通の要衝の地として栄え、南北朝の乱、山崎の合戦、鳥羽伏見の戦いなどの歴史の舞台ともなりました。  また一方で、美しい自然の恵みや経済活動を支えてきてくれた木津川ですが、それは川の付け替えや背割り堤の築堤など、デ・レーケなど世界の知恵を借りながらの「水と人との知恵比べ」の場でもありました。今は、多くの野鳥や魚たちがここに住む巨大な自然空間となっており、京阪沿線上のにおいても、唯一の緑の固まりで、そこに漂う空気の質さえ変えています。いまここを交流拠点として、いろんな人が交わる公園化の動きがあります。そこで、どんな公園をめざすのか、そのシンボルづくりに一つの提案をするものです。

★タワーの考察

1.シンボル施設の考え方

(1)シンプルであること
 巨大な自然空間に作られる施設は、近代的なものほど、その情景を台無しにするものです。機能的でシンプルな形の中にこそ「美しさ」があり、愛される形ではないでしょうか。シンプル・イズ・ベストです。それは奇抜な施設が多くの維持管理費を要するのに比べて、シンプルは 最小限の維持管理費 で済むと効果があります。
(2)郷土とのつながり
 永く施設が愛されるには、一つに希少性や世界の有名施設の名声にあやかるという方法があります。しかし、それには、そこにあって不思議でないもの、つまり、郷土の歴史や伝説といったものとの深いつながりなど、その施設の存在理由を明確にできることが不可欠といえます。また、そこを訪れる人々の心の旅情をくすぐることが必要です。
(3) 人が集うところ
 人が集うところとは、どんなところでしょうか。一つに 火のあるところ(焚き火・光)、二つに 水のあるところ(小川・噴水)があげられます。水に関わりを持ち、光 をコンセプトに することを提案します。

2.光のタワー

 なぜ「光」なのかでしょうか。1 8 8 0年、発明王エジソンは八幡の竹を白熱電球のフィラメントに使って実用化に成功しました。「光」は八幡から生まれたのです。 光のタワー「灯台」のあるまちが、これから提案する三川合流部におけるシンボル施設です。
(1)なぜ「灯台」なのか
 灯台は、光そのもの 。エジソンが八幡の竹を使って世界に灯した光。八幡市は光と切っても切れない深い縁がある。灯台はその光そのものです。
(2)私たちの未来を指し示す光
 灯台は、船の航路を指し示す光。それは私たちの未来を指し示す光でもあります。
(3)人の心の旅情をかき立てる
 「喜びも悲しみも幾年月」の映画化等にみられるように、人の心を揺さぶるものが「灯台」にあります。
(4)めざすは川の灯台
 岬には灯台があります。ここで作るのは「河川の灯台」です。河川灯台の例は、それほど多くはありません。ましてや、岬に立つ灯台と同規模の河川灯台の例は、日本では皆無でしょう。海外には、ライン川に河川灯台が存在するとのことです。日本唯一の河川灯台というのはどうでしょうか。

3.灯台だからできること

 次に灯台だからできることを掲げてみました。
(1)光ページェント
 レーザー光線による光のページェント。光の芸術祭の開催 ができます
(2)スポットライトによるコンサート
 灯台からのスポットライトで、夜のコンサートを演出 することができます
(3)展望台
 三川合流点を 3 6 0度みられます

4.こんな灯台がほしい

 シンプル・イズ・ベスト。灯台の材料は花崗岩で作ります。メンテナンスを最小限にするためです。 灯台は下からライトアップ をしましょう。京都タワーのようにライトアップによって、白く生える灯台・・・想像しただけで、とても楽しいではありませんか。「あなたはどこにお住まいですか?」「八幡市です」「八幡市って灯台のあるまちですか 」「そうですよ。日本唯一のね」というような会話ができるまちにしたいものです。


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提案2】 歩道は「人が歩くための道」

歩道はだれの(ための)ものなのか。最近のまち作りを見てそう思う。明らかに「車」のための歩道になっている。車道から乗り入れやすいように、勾配が付けられているが、この間口が広ければ、勾配がついた歩道が延々と続く。歩道を歩く人は、体を傾けて歩くことを強いられる。そして車に配慮した歩道は、でこぼこ道の様相を呈している。そのような歩道は、「歩道」といえるだろうか。語り合いながら、肩を組みながら、ベビーカーを押しながら、車椅子を押して・・このような機能をこれらの歩道は私たちに提供してくれるのだろうか。歩道は車道ではない。車には少し不便を強いいても歩道は歩道の機能を十分引き出すべきだと思うのだが。

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提案3】 まち作りの関係者は街を歩け

提案2と関連する。「まち作り関係者は街を歩け」ということだ。車で街を巡回して分かることは、ほんのわずかだ。そこに住む生活者は、自らの足で生活している。まち作り関係者も自らの足でそこに立ち、その生活者の生活を感じ取らなければ、生きたまち作りはできない。歩道の段差、電柱、はみ出した広告看板は言うに及ばず、道端の四季折々の草花にも心を寄せてもらいたい。

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提案4】 こんなにもある素材を活かせ

全国のまちは、「まちおこし」と称して自らのまちを売り出すためにしのぎを削っている。そのため、街の歴史の掘り起こしをはじめ、売り出すための素材探しに苦労している。ひるがえって八幡市はどうだろう。こんなにも素材がいっぱいのまちは珍しいのではないか。生かし切れていないのである。魚を釣るには、餌が必要だが、素材はさしずめ「餌」。しかし、これだけでは釣れない。針と糸、おもり、浮き・・そうだ。仕掛けが必要なのだ。竿があれば、もう少し遠いポイントも狙える。素材、仕掛けについて、広く市民からアイデアを募るのも一手だろう。既成の概念にとらわれないというのも、アイデアを生む方法でもあるからだ。

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提案5】 すべて事象には訳があるのだ

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