![]() アンネ |
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![]() アンネの日記 |
1944年8月、第二次世界大戦でナチスに捕らえられ、ベルゲン・ベルセン強制収容所で15歳の短い命を落としたけなげな少女、アンネ・フランク(1929〜1945)が苦悩の隠れ家生活で綴ったアンネの日記。そこには「もし、神様が私を長生きさせてくださるなら、私は世界と人類のために働きます。戦争が何の役に立つのでしょう。なぜ人間は仲良く暮らせないのでしょう」と訴えています。 「アンネのバラ」は、ベルギーのバラ育種家デル・フォルグ氏が育成した新品種で、アンネの遺志を伝えるために活動していた父、オットー・フランク氏に「アンネの形見のバラ」として贈られ、世界に広められました。 |
その後、オットー・フランク氏から綾部市在住のバラ育苗家にこのバラが託されたものを、同氏のご厚意により八幡市非核平和都市推進協議会が譲り受けたものです。バラの花は、つぼみ期は赤く、続いて黄色くなり最後はピンクに染まります。さながらアンネが愛と平和を語りかけてくるようです。 ここで、オットー・フランク氏の言葉を紹介しましょう。「私のところには、何千通という手紙がやってきます。特に子どもたちからは、このような悲惨な出来事がいったいなぜ起こったのかという問いかけが寄せられています。これに対して、私はできる限り一生懸命答えることにしていますが、最後はこういうふうに結びます。『アンネが書いたものによって、あなたが今後の人生を通じてできる範囲でいいですから、平和と和合のため努力してくださればと祈ります』と。」八幡市非核平和都市推進協議会の活動も、この一言に尽きるのかもしれません。
アンネのバラを植樹
アンネのバラをみなさんに
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八幡市役所 非核平和都市宣言板前 |
1993年3月 |
八幡市八幡園内75番地 |
男山第三中学校 |
1999年2月 |
八幡市男山笹谷3番地 |
月愛自治会コミュニティーセンター |
1999年2月 |
八幡市八幡月夜田 |
八幡市立生涯学習センター |
2000年2月 |
八幡市男山竹園2番地 |
橋本小学校 |
2001年2月 |
八幡市橋本中ノ池尻15 |
八幡第二小学校 |
2001年3月 |
八幡市男山金振9番地 |
八幡第四小学校 |
2001年3月 |
八幡市男山松里1番地 |
商工・福祉会館前 |
2001年3月 |
八幡市八幡三本橋59番地9 |