し ょ う か ど う しょいん

松花堂書院
所在地:八幡市八幡女郎花
松花堂庭園の西側にある書院は、もとは男山泉坊の客殿であって、永禄3年(1560)の建築で小早川秀秋が寄進したと伝えられている。また、玄関の車寄せは、桃山城の遺構とも伝えられ、扉についている桐の葉の彫刻は、豊臣秀吉から拝領したといわれている。
棟の破風瓦には、福、禄、壽の三文字が入っているが、これは寛永の三筆と称された近衛応山信壽、本阿弥光悦、松花堂昭乗が筆をとったもの。
玄関から奥へ進むと、梅の間、柳の間を経て奥の間へと続く。柳の間には山と浪の彫刻を施した欄間があり、これは昭乗の作といわれる。さらに進むと主室の間と控えの間に至る。主室の間は9畳敷きで上段の間には違い棚があり、折上小組格天井を張った本格的な書院造りの座敷となっている。襖には狩野山楽筆といわれる水墨山水画が描かれている。なお、主室の間は、別名「玉座の間」ともいい、後陽成天皇、孝明天皇がしばしば行幸になり、東方の宇治の山並から昇る日の出を借景とし、前庭の雄大な景色を賞されたという。
現在の書院は、昭乗在世当時のものではないが、旧記・古図などと比較しても当時のよく伝えており、桃山時代の書院建築の好例とされている。なお、書院の中庭には、江戸時代の豪商、5代目淀屋个庵(三郎右衛門、通称辰五郎)が愛用した「砧(きぬた)の手水鉢」が残っている。
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