第5章 施設論

はじめに
 本章では、まず、施設を巡る否定的な言説を論じ、その背景にある市場原理について批判をする。批判を通して、これまで施設はどのような役割を果たしてきたのかを論じる。そして、施設の役割を果たしてきた根幹に何があるのかを考察する。そのことによって、施設が歴史的な重みといまも重要な役割があることを確認し、流行遅れとか不要であるという言説を退け、施設で働くことの肯定的な根拠を明らかにする。

第1節 施設否定論を巡る言説
はじめに
 なぜ、施設は否定されるのか。それにはいくつかの要素がある。まず、ノーマライゼーションの思想による施設の閉鎖性への批判。それに関連して、誰のための施設なのかという家族への批判。さらに、社会福祉法人改革に見られる既得権への批判である。これらの批判を概説する。

第1項 施設の悪いイメージについて
 福祉施設の悪いイメージを列挙すると、以下のようなことが思い浮かばれる。

 施設の閉鎖性の象徴が、精神病院である。長期入院、患者の拘束、鉄格子、薬漬け、閉鎖病棟、隔離、保護室…これらのイメージから想起されるのは、障害者を人間として扱っていない社会の暗い側面である。
 いずれにしろ、精神障害者は病院に収容され、監護されてきた事実は、社会的に決して良いものではなかった。そして、精神病院に象徴される閉鎖的なイメージは、他の障害者福祉施設や老人福祉施設にも関連されて、想起されてきた。その結果、「施設に入る」とはどことなく、隔離され、収容されるという一般的なイメージはいまだに根強い。
 精神病院の閉鎖性に対する批判は、深刻な形で社会運動1が展開されてきている。障害者福祉施設に関しては、主としてノーマライゼーションの思想が施設の閉鎖性について批判をしている(ニィリエ〔1999〕)。ニィリェが提唱するノーマライゼーションの原理を簡単に述べると、いわゆる障害者は、普通の家庭がそうであるように個室を有し、自由に買い物に行くことができるはずである。あるいはその国の経済的生活水準を得ることができる権利があるはずである2と説く。ノーマライゼーションが国際的に定着しつつあるし、実際にその思想の下で、北欧では施設が解体されている。よって、施設否定論者は、日本においても脱施設が促進されるべきだと主張する。
 また、施設解体に向けて、入所施設による人権侵害事例3や知的障害者本人による施設での抑圧体験の告発・紹介も活発に行われる。こうして「福祉先進諸国の進んだ事例と日本の遅れた事例を対比させることで日本における脱施設化推進の世論を喚起」(塩見〔2003,P.45〕)している。
 確かに、ノーマライゼーションは、障害者などの偏見や差別の是正、具体的な福祉制度への影響など、福祉社会の推進に果たしてきた役割は大きい。また、こうした思想に後押しされる形で施設業務も発展していった。例えば、施設の地域化。施設評価の外部機関導入などでサービスの向上などである(蜂谷〔2004〕)。細かいところでは、日々の実践のおいて個々の利用者への権利擁護や自己選択・自己決定の尊重なども挙げられる。
 しかし、それでも施設否定論者は、施設は閉鎖的であり、努力が足りないといった論調である(久田〔2004〕)4。施設の良い取り組みはあっても、施設そのものが良いことにはならない。
 
第2項 だれのための施設なのか
 障害者など当事者の立場から、地域で生活をするには、家族から自立することが重要である(中西〔2003〕:蒲生〔1997〕)5ことが強調される。そして、入所希望が殺到するのは、家族の入所施設依存の気持ちや、障害者が地域で暮らすことに対する市民の無理解が原因にある。よって、新障害者基本計画は、保護者や市民に「障害者は施設」とする認識を改めるように求めている。なぜ基本計画にそうした文言が盛り込まれるか。それは、施設依存は家族個々の気持ちから派生しているとした前提がある(野田〔2003〕)6
 そのため、脱施設の実践運動は「意識改革キャンペーン」として、施設に依存をする家族や市民を批判する。このキャンペーンが広がれば、施設入所に期待を寄せる市民や家族は「遅れた意識を持つ者」「障害者の人権への配慮の薄い者」としてラベリングされる(塩見〔2003〕)。
 家族が施設に依存する一番の理由は、親亡き後への不安である。自分の子が障害者であると分かった時点で、親は子どもに想定していた一般的なライフコースからの逸脱を余儀なくされる。さらに、障害が重度であれば、介護の時間も長く7、自由な時間もなく近隣との付き合いも少なくなる(山本〔2003〕)。そのため、地域などの社会参加が制限され、孤立していく(麦倉〔2004〕:浅原〔2000〕)。最後は、地域福祉サービスの少なさから子を施設入所させ、親の責務を果たしたいと思う。
 しかし、施設否定論者は、こうした背景を了解しながらも、施設入所は家族の意思であって本人の意思ではなく、個人の尊重や本人の自己実現・自己決定を妨げていると説く。
 特に当事者の立場から、個人の尊重、自己決定について取り上げられる。いわく、「高齢者や障害者、性的少数者や患者などの社会的弱者は、「自己定義権」を奪われてきた存在だった。その人達が自分自身について語る言葉は、聞く値打ちのない言葉として専門家から耳を傾けてもらえなかった」(中西〔2003,P.16〕)。こうした自分たち(当事者)の声を届けるために、当事者達は異議を申し立て、団結し自分たちの権利を社会に広げてきた。
 例えば、身体障害者の分野では、1970年代半ばから始まった「青い芝の会」や「全国障害者解放運動連絡会議」などによる「施設解体」を求める運動。1980年代半ばから始まったアメリカのILに触発された「自立生活センター」の運動がある8。なるほど、社会的弱者に対して差別や制限を加えてきたのは社会であり、そうした制限は改善されるべきである。そして、福祉従事者・家族・市民も当事者の自己決定を尊重する意識を持つことは必要である。
 しかし「意識改革キャンペーン」として、施設は必要と思っている市民や家族は悪い人たちだと一概にラベリングすることは、「施設縮小・解体路線を、合意ではなく強権によって推進する危険性が常に内在している」(塩見〔2003,P.45〕)こともまた考えないといけない。
 とはいえ、それでもやはり施設は時代遅れで否定されるべきことの言説が流布されている。

第3項 社会福祉法人は改革されないといけない
 「社会福祉の対象はいまや普遍化された」という言説に伴い、これまでの限定的(利用者のみ)にしかサービスを提供してこなかった社会福祉法人は批判にさらされる。この対象の普遍化9とは、社会保障政策やナショナルミニマムとの関連で「今やすべての国民が社会福祉の対象になった」(星野〔2001,P.21〕)とする広義の社会福祉サービスのことを指す。
 よって、社会福祉法人は特定の利用者のみを対象にしてサービスを提供するだけではいけない。特別公益団体としての社会福祉法人の使命は、より広く地域住民ひいては国民のために公共性の高いサービスの提供をしないといけない(北場〔2002〕)。そして、多様な供給体による多様なサービスこそが普遍性(国民のための福祉サービス)を実現できるという理由から、NPO法人や株式会社の福祉業界への参入を奨励する。特に、その傾向は、介護保険制度では顕著である10
 さらに、高齢社会の進展のもとで、利用者の幅が大幅に拡大し、そのニーズが多様化する。よって一般のサービスと同様に、「福祉サービス市場における多様な事業者間の競争を促進することがサービスの供給量を増やし、個々の企業ベースではなく、市場全体でサービスを保障する上で望ましい」(八代〔2002〕)と市場化が謳われる。
 そして、市場化にあたっては、これまで社会福祉法人の既得権(施設設備の公的負担・法人税や固定資産税の特典など)を失う(八代〔2002〕)必要があることが強調される。あるいは、この既得権が社会福祉法人の財源と法令両面で行政にコントロールされ、本来社会福祉法人が持っていたはずの民間性や独自性が衰微していった11と指摘する。その結果、従来の社会福祉法人には効率性が欠け、経営には弾力性がなかった。あるいは、社会福祉法人は、創意工夫がなく、利用者は行政のコントロールの下で対等に扱われていなかったと論じられる。
 昨今の地域福祉や居宅サービスの拡充は、こうした社会福祉法人のアンチテーゼとして取り上げられる。あるいは、従来の社会福祉法人は硬直性であると対比で、NPO法人や株式会社は、独自性ある新しいサービスや迅速性などで持ちあげられる12
 いずれにしろ、今後は株式会社と競合し、良いサービスを提供するように努力しなければ社会福祉法人は生き残れないのである。

第2節 施設否定への対抗言説について
はじめに
 このように、施設は閉鎖的で、利用者の自立を阻害し、柔軟性のない硬いイメージがある。そうした施設否定の言説にはもっともだと思わせるものもある。しかし、そうした一面だけで施設を切り捨ててよいのだろうか。

第1項 脱施設のねらいとその意図について
 なぜ脱施設がなぜ唱えられるのか。端的に国の社会福祉に関する公的責任の後退と財源の縮小傾向に尽きる。全体予算が増える見込みが無いため、居宅・地域福祉を推進させるには、それまであった施設福祉予算を削減しなければいけない(塩見〔2003〕)。特に他の民間施設よりも優遇されている公立施設の財源支出削減をねらいとしている。
 しかし、財源の圧縮や効率性を求めるなら、施設は、最も効率的で安価な手段である。一ヶ所に集め、集団に食事を提供する。あるいは、最低限度のスタッフで何人もの利用者の入浴介助を持続的に行う。あるいは、大人数の利用者を職員数人で夜勤や宿直をなどで施設全体を管理することができる。これが地域であれば、例えば地域での医療サービスを受ける費用(交通費や派遣人数など)は分散する(藤井〔1997〕)。また個々に住居や食事を提供するためには、それまで施設では「利用者何人に職員一人」という換算が、地域生活では「利用者一人に職員何人」という配置が必要になる。本来、居宅などは個別に働きかける必要が生じるから、施設サービスよりもコストがかかるはずである。
 また、障害者に限って言えば、程度(種別)の差はあるが、施設入所者よりも在宅で暮らす障害者が圧倒的に多い13。身体障害者は総数(351.6万人)の94.6%、知的障害者(45.9万人)の71.6%、精神障害者(204.1万人)の83.3%が在宅で生活している(厚生労働省〔2004.P.406〕)。在宅で生活している人が圧倒的にも多いにも関わらず、なぜ施設費が削減されるのか。それは、これまであまりに居宅・地域福祉施策を軽視していたからに過ぎない。例えば身体障害に関して療護施設に支出される国の財源は、身体障害者福祉関連施策全体の85%以上を占めている(社会福祉の動向〔2002,PP.61-65〕)。
 なぜ、少数であるはずの施設入所者に圧倒的な予算配分をしてきたのか。その背景には、いかに福祉の対象は普遍化したといわれているが、実際は対象の守備範囲を狭く限定してきた(高沢〔2001〕)ことを裏付けている。言い換えれば、国は施設に入所せざるを得なくなるまで、生活保護にも満たない年金を支給して親・家庭の庇護の下で生活して欲しいのである。
 いずれにしろ、現在の居宅・地域福祉施策は整備が遅れており、十分でないことが指摘されている(塩見〔2003〕:蜂谷〔2004〕)。例えば知的障害は新障害者基本計画の中で、居宅支援施策・地域生活移行施策の2007年の数値目標で、グループホームが3.56万人、授産施設が7.37万人、ホームヘルプが6万人、ディサービスが1600ヶ所、ショートスティが5600人分である(塩見〔2003〕)。単に知的障害といっても能力が高く、就労や結婚し自立生活をしている対象者もいる。しかし、先に挙げた45.9万人という知的障害者の総数は療育手帳などを所持している人たちであり、手帳取得者=重度な傾向にある14。居宅支援に関して、ホームヘルプ、ディサービス、ショートスティの数値だけを抜き出しても、在宅にいるとされる9.4万人の知的障害者には十分に行き届かない。この傾向は、精神障害者ではさらに顕著であるし15、いまだに特別養護老人ホームへの入所待機者が多い高齢者福祉分野でも同様である。
 もし、ノーマライゼーションに従って福祉社会を形成するのであれば、国は施設中心の予算配分から、施設費同等以上の地域・在宅への財源を大幅に増やさないといけないはずである。昨今は利用者負担の割合が増えているとはいえ、それだけでは地域生活を十分に展開する財源は確保できていない。支援費制度の破たんがよい例である。
 そこには、日本においてはノーマライゼーションを目指した地域福祉施策が展開されていないという現状が見え隠れする。

第2項 家族神話について
 第1項でも述べたが、国は財源的にも政策的にも、基本的に福祉対象者は家族が一生扶養して欲しい。そのため、国は家族の無償の愛や家族ケアこそが尊いと、様々な形で一般社会に浸透させる(家族神話の推奨)16。そして、こうした家族介護は女性の献身的で、尊い自己犠牲によって支えられてきた。しかし、高齢者や障害者の介護は単に苦しいだけではなく、介護を通して充実したものが得られるという言説が用意される。
 その結果、家族神話は隅々まで行き渡り、母親は障害を持った形で産んだのは自分(母)の責任(麦倉〔2004,P.83〕)と思いこむ。障害者を産んだことは、運命的・宿命的として介護を引き受けなければならない(山本〔2002,P.143〕)と思いこむのである。そして、例えば、子どもの奇異などが地域住民に迷惑をかけるのではないかと不安に感じる。障害児を養育する困難性を分かって欲しいが、うまく説明できない。または、事実を知らせることでレッテルが貼られるのではないかといったネガティブな疎外意識が働く(浅原〔2000,P.5〕)。
 また、知的障害特に自閉症に関しては、「親を発達や障害克服のための、最も優れた「療育者」としての位置づける研究・実践」(浅原〔2000,P.2〕)も見られる。家族こそが介護者であり教育者であり、療育者である。研究や専門家は障害克服を担う親(母親)の役割遂行を補助的に行うべきである。しかし、実際には施策での家族支援は、入所施設での緊急保護やショートスティという形でしか実施されていない。最近では、ホームヘルプも拡充しているものの、まだまだ不十分なのが現状である17。そして、利用できる入所施設は自分の生活圏から離れていることが多く、利用するときには自分たちの日常生活や環境から一旦離れないといけない18。いずれにしろ、支援の重点が「療育」におかれ、障害児者の日常生活をフォローするサービスが身近な地域にない。また心理的な疎外感は、地域を生活環境と見る機会を失わせ、親亡き後の選択肢が入所施設に収斂されているといえる(浅原〔2000,P.2〕)。
 ちなみに地域福祉サービスとして急増しているグループホームや福祉ホームであるが、板原(2002,PP.227-230)によると、グループホームの対象者はほとんど援助を受けずに日常生活を送ることができる軽度の障害者に限られている。あるいは、財源的に国の設備補助の対象となっておらず、ハード面では脆弱であり、はたしてバリアフリー化が可能かという問題もある。また、運営費の少なさから世話人と呼ばれる職員を1名配置するのが精一杯であり、この世話人が常勤である必要もなく、専門性を有しなければならないとも規定されていない。よって、グループホームは、「介護や看護などの医療・福祉の専門性を持たない居住保障手段」(板原〔2002,P.230〕)でしかない。さらに障害者のみならず、行動上に強度の問題を抱える痴呆老人もまたグループホームへの入居は断れることが法令上明記されている。このことは、重度の障害を抱える人々は、家族が最後まで介護をするか施設に入所させるかの2者の選択肢しかない。
 このように、いかにノーマライゼーションや介護の社会化が叫ばれていても実態は「障害者は産んだ母親が育てて当たり前」(山本〔2003,P.345〕)という発想のもとに、障害児者の生活が組み立てられている。確かに、子供を養育するのは親の責任である。しかし、何歳になっても身体面の自立(排泄・食事・移動など)が叶わない子を大人になっても24時間ケアをし続けることもまた親の責任であろうか。施設入所に至るまでの親の苦悩や苦境を鑑みる19と、施設に依存する家族は遅れた人であるといったレッテル張りは全くの見当違いである。

第3項 普遍性・社会福祉法人改革について
 社会福祉法人改革の意図は、新自由主義による市場主義の推進にある。市場主義は、これまでの措置制度から契約制度に変わり、それぞれの施設・法人が独立採算のもとで運営することが奨励される。それは、自己決定や自己選択の名の下で、社会福祉が内包するそもそもの社会問題を自己責任と言う名で法人内や個人に押し込め、矮小化する。
 地域・居宅サービスの拡充は、利用者一人一人にサービスを振り分け、個別性が尊重されているかのように見える。しかし、これらの地域・居宅サービスはいまだ十分ではないし、予算配分からもサービス供給は脆弱である。結果として家族や利用者の困難性を集合(施設)から分散へ働きかけ、社会問題を隠蔽しようとする。
 さらに、社会福祉法人改革について既得権の放棄が強調される。しかしもし、対等に民間企業や営利団体と競争するのなら、官のコントロールをかなり軽減させる必要がある20。また、措置制度は、行政に一方的にサービスが決定されて利用者に選択の余地がなかった。公的サービスを中心にしており、柔軟性に欠けている。あるいは、行政処分であり、利用者は従属的な立場におかれている(伊藤〔2003,PP.22-23〕)といった制度批判がある。しかし、措置制度であっても利用者の権利性を認めていたし、利用者からの申請に基づいて入所やサービスの提供がなされていた。しかも、措置制度は、利用者の負担能力に関わりなく、全国共通の福祉水準を確保し、保障してきた(伊藤〔2003,PP.18-22〕)。よって、契約制度との対比で措置制度は行政処分であり、利用者に選択の余地はないと決めつけ、単純化され、否定された。措置制度の良い面が語られないまま、これまで社会福祉施策が有していた公の責任や公平性が損なわれてしまった。
 最後に、市場主義とともに社会福祉法人改革では、普遍主義がキーワードとなっている。次章の対象論でも述べるが、社会福祉サービスの対象になるには、何らかの要件が必要(岩田〔2001〕)であり、社会福祉は本質的に国民全体に関わるサービスではない。確かに、広義の意味での社会保障全般は国民全体に係る政策である。しかし、その事を持って社会福祉法人が国民全体へ公益性を持って運営することにはあたらない。まず、社会福祉法人は第一義的に福祉対象者たる利用者の安全と人権・発達保障を守るために存在している。よって、市場主義による社会福祉法人改革は、利用者の保障の基盤を著しく損なう内容であることから否定しなければならない。

第3節 施設の範囲とその根幹について
 これまで脱施設賛成・反対のその理由について述べてきた。では、そもそも施設の持つ役割とはなにかについて考察する。

第1項 歴史や制度としての施設
 福祉施設は、高度成長期、昭和53年の施設への設備投資、特に老人ホームの建設が積極的に進められ発展した21。それは、「施設の社会化など処遇等の問題もさることながら、老人ホームの供給が需要に追いつかず、施設の量的不足の問題があった」(吉田〔1990,P.375〕)。
昭和50年代は高度成長期−パイ(財源)の拡大が福祉施設の建設を容易にしていた。児童福祉や障害者福祉に関しても施設は急増している。例えば、精神薄弱者更生施設は、社会福祉施設緊急整備計画5カ年計画(1970〜1975年)のもと施設は増え続け、75年までの15年間に「施設数で25倍、定員で40倍という著しい増加を辿っている」(蒲生〔1997〕)。
 その後、低成長時代(オイルショックなど)による「福祉見直し論」の台頭により、ハード面からソフト面の重視−援助の内実を高める方向で政策誘導され、「日本型福祉社会論」22が80年代初頭にもてはやされる。日本型福祉社会は端的に、自助努力、家庭における福祉の重視、地域社会における相互扶助、企業福祉や市場主義の重視をし、政策的には家庭福祉が機能しない場合の補完と位置づけている(吉田〔1990,P.418〕)。
 低成長期において、社会福祉問題とニーズの多様化・高度化が進行し、社会福祉問題=生活不安を担う人間類型も複雑化し、もはや福祉対象者を部分的に見るのではなく、生活者型=利用者を全体として把握しなければならなくなる。換言すれば「政策や実践主体から把握された社会事業対象が、今や社会福祉ニーズの普遍化・一般化傾向に応じて、対象中心に性格転換した」(吉田〔1990,P.420〕)。
 社会福祉の普遍主義的一般化傾向は、在宅福祉が重視となり、施設福祉が再検討される。福祉サービスは多元化、多様化、対象者中心と発展したかに見えたが、その一方で、安上がりの政策が展開されるようになる。それでも、福祉サービスはそれなりに増加し、特に在宅福祉サービスのマンパワーの拡充が図られた。
 バブルの崩壊から現在にかけて、「80年代のバブル経済で膨らんだバブル福祉を既成事実化し、その膨張基盤であったバブル経済が崩壊し長期低迷に転じたにもかかわらず、近い将来また一定の経済成長軌道に戻り、バブル福祉は存続すると楽観視」(星野〔2001,P.21〕)してきた。そのため、福祉サービスの効率化や体系化を放棄し、雑多に積み上げられてきた。この放置の期間は「失われた10年」と言われる(星野〔2001〕)。
 しかし、現在の基礎構造改革は、バルブ福祉路線はもはや棄却され、国家の強力な統制のもとで社会福祉は再編化が進んでいる23。施設整備抑制や脱施設論はこの国家による統制と新自由主義路線下で、かつて必要とされた福祉施設は、再編もしくは解体へと移行している。つまり、このような歴史的背景を述べていくと、福祉施設は「政策主体・国の政策的意図に絡め取られている側面」(加藤〔2002,P.30〕)があることが分かる。

第2項 人権と生存権保障について
 施設福祉に限らず、社会福祉は民主性(註:ここで言う民主性とは、管理する民主性ではなく、誰もが対等な関係を求めての要求や主張ができるという意味で使用されている)を根幹とし、生存権と発達権の保障を行っている。この民主性や生存権保障はすでに明治維新や大正デモクラシーにかなりの深まりを見せていた(吉田〔1990,P.351〕)。
 福祉施設はその当時(明治・大正)、篤志家による慈善事業であり、保護・収容によって行われ、科学的でも民主的ではないと現在、否定されがちである。しかし、慈善活動が生まれた契機は、近代化と軌を一にした社会問題や下層社会が発生した(吉田〔1990,P.9-10〕)ためである。資本の形成と共に、大正デモクラシーなどの民主性に基づいた社会連帯活動へと発展し、様々な改善要求運動が行われた。そしてボランタリーから社会連帯運動へ、そして社会事業が生まれたといえる。そこには、一個人の篤志家を超えて、大衆によって生存権と人権の社会的責任への訴えが大正期に既に生まれていた。
 社会福祉と言えば、戦後アメリカ主導により軍国主義を打破するために新しく作られたと考えられがちである。しかし、「現在の社会福祉の持つ諸特徴は大正後期の資本主義的危機の開始期にすでに発芽し、戦後に多くの点を付け加え、内容的にも深化しているという事実を見失ってはいけない」(吉田〔1990,P.12〕)。
 このような戦前からあった民主的な思想の背景もあって、戦後、社会福祉法人が設立される。一般に社会福祉法人は、アメリカ(GHQ)主導で行われたと捉えられている。しかし、これまで存在していた民間社会事業者の自主性を育て、事業が衰微しないように働きかけたのは日本によるものであった24。そこには、大正時代に生まれた社会連帯が戦後、国家の責任が明記され、公益性や国民の最低限の生活保障へと結びついた。その後の高度成長期における施設の急増は、粗製濫造という批判もあるものの、それでも社会福祉が顕著な発展を見せた事実でもある(吉田〔1990,P.12〕)。その背景には、資本主義や高度成長期が生み出す、公害、貧困、など放置できない社会問題が先鋭化し、民主主義の名の下で人権運動や社会福祉運動の機運が盛り上がった。
 つまり、社会福祉は政策的に規定される側面を持ちながらも、本来的には、「利用者の人間らしい安心・安全を求める「生存権保障要求運動」という相対立・矛盾する関係に規定された、その結節点に位置する」(加藤〔2002,P.30〕)。つまり、社会福祉の根底には人権と民主主義の思想と理念に貫かれて来たのである。

第3項 発達権保障と生活の質の向上について
 第2項と密接な関係にあるが、施設は様々な社会運動や要求の中で必要とされて拡大していった。それは、社会福祉の考え方(主に人権保障の思想・理論)が深まるにつれ、社会福祉対象者の発達権保障など、生活の質向上が重要視される。
 昨今のコロニーへの批判的は周知の通りであるが、そもそもコロニーは、「…精神遅滞をはじめとする心身障害について、総合的な施策を推進」(蜂谷〔2004,P.27〕)するためにあった。高度成長期における施設の急増は何より、生活を守るセーフティ・ネットとして整備されてきた。また、それにとどまらず、蜂谷(2004,P.28)は糸賀一雄の思想を引きながら、施設の持つ役割を明らかにする。
どんな心身障害者でも間違いなく人と生まれ、誰もが歩んできた同じ発達の道を歩んでいくのである。これほど確かなことはない。そのために総合的に体系的な施策が立てられ、それが実施されなければならないとする。コロニーがこうした発達保障の一環として位置づけられたことはいわゆる差別感からの近代的な脱皮が試みられていることの証左としたい。
 京極(2003,P.55-56)も糸賀の思想を紹介し、利用者の知的レベルの発達は非常にゆっくりでも場合によっては止まってしまっても、人間関係や生活習慣を持つとか横の発達が施設によって非常に拡がってくることを実感できると述べる。また、それにかかわる人たちもまた、利用者から学ぶという面で発達すること。地域にこうした福祉施設があることは、まわりの偏見や差別に対する是正をもたらす効果など三層構造として発達が保障されることを述べる。
 施設では、発達保障のための取り組みが具体的に行われてきた。例えば、単に利用者の生活の安全や安心のみを提供するだけではなく、居住空間の工夫やレクレーションなど社会参加の機会を設けている。あるいは、決して多いとはいえない職員数の中でも個別性を尊重したプログラムが行われてきた。それは、コロニーといえども小舎制にする、グループホームなど事業を併設し、個別性を尊重する。あるいは就労的支援を行ってきた(荒芝〔2004〕)。
 また、取り組みが十分ではないと言う指摘もある25が、地域との交流を進め、施設を社会化してきた。地域交流行事のみならず、地域の障害児・者、家族との交流(療育)キャンプ、ボランティアなどの導入など、閉鎖的とされる施設を開放しようとする働きがあった(荒芝〔2004〕)。
 こうした福祉サービスなどの拡大は制度が率先して行ってきたのではない。家族や福祉対象者、運動家など多様な要求運動によってなされてきた。また、要求運動の中にも、一番利用者の近くにいる施設職員へのよりよい援助へ期待や願い、あるいは提言が込められている。これらの願いを施設職員は受け止めてきたからこそ福祉対象者の生活の質が守られてきたと言える。
 いずれにしろ、「生活を通じて利用者と職員とが直接触れあう、その積み上げを土台に「独立生活」に向けた「指導・訓練」という営みの中で行われて来た実践の流れが確かに存在してきたし、また今も存在していることを否定することもできない」(蒲生〔1997,P.253〕)。
 施設はいくつもの時や場面での辛苦を吸い上げながら、時代にまみれ続けてこれまできた26。こうした歴史の上に立って、施設職員が歩んできたのである。

第4節 まとめ
 脱施設と現在の社会福祉への批判的な言説の両面から福祉施設のおかれている状況について述べてきた。それぞれに言い分はあるが、一つ分けて考える必要がある。それは、脱施設の施策的側面と理論的な側面である。脱施設は、施策的には社会福祉費の削減を意図しており、理論は一つのプロパガンダとして使われている。しかし、理論面そのものは、例えば、ノーマライゼーションなどは利用者の生活の質向上や社会的偏見や差別の解消を目指している。これはこれで評価されるべきである。
 理論を社会の中で形にしていく中で、政策的に利用され、矮小化される面も現実としてあるが、これは致し方ない面もあろう。例えば、ノーマライゼーションなどの理論に後押しされる形で、施設であっても、個室化、小規模化、労働権の保障が行えるように努力してきている。こうした努力は、理論から常に問い直され、批判されながら模索している。
 さらに福祉施設は政策的に必要とされて生まれたように、現在、福祉施設が縮小の傾向にあることもまた政策である。今後ますます、地域福祉や居宅サービスがもてはやされ、施設福祉の存在はその対比で語られることになろう。しかしその反面、それまで施設が培ってきたノウハウや利用者の生活の質を挙げてきた努力をより磨き上げていくことが時代的にも要請されている。
 よって、我々施設職員は、セミナーなどで唱えられる脱施設賛成・反対といった言説を鵜呑みにしてはいけない。それぞれの立場に目配せし、バランスを取ることが必要である。そして、いま自分が施設で働いていることのそのものを否定し、自虐的になる必要もない。
 大切なのは、施設で働くことを通して利用者とどのように関わるべきなのかを自らの中に問い、深めるなかで、専門職として自律することである。そういう意味で、理論面における利用者の捉え方は示唆に富んでいるし、方向性として施設が縮小していっても自信を持ってその時代に対応していくことである。


1 例えば、岡上ら(1993)、秋元(1999)等を参照。精神保健福祉のテキストでは大概精神障害者の取り扱いや人権運動などについて章が割かれている。
2 ニィリェ(1999,PP.15)によると、「ノーマライゼーションの原理」ということで8つの項目を挙げてる。それによると障害者も一般に考えられるライフサイクルを体験する権利に集約されている。あるいは、性的生活も含めて社会生活の権利を尊重するべきであると述べている。
3 稲垣(2001)において、1995年1月〜2000年8月までに新聞記事に掲載された知的障害を持つ人に関わる人権侵害の事件をまとめている。
4 久田(2004)は、施設そのものを否定しているわけではない。しかし、施設の取り組みは一般企業のような厳しさがなく、現状維持という緩やかな中で利用者のことを考えた支援をしていないと断じる。
5 蒲生(1997,P.251)において、当事者の声を拾っている。「親を否定せにゃ、あかん。親の愛情に取り込まれていたら、何もできへん。」「日本の今の状況の中でさ、ほんとに変えなきゃダメだと思うのはさ、やっぱり親との決裂だね」など
6 養育困難に陥る前に、地域サービスがないことなどに言及している。親が障害者の養育にボロボロになってからはじめて福祉サービスが親の前に現れなかったことを批判している。さらに、親と障害者本人が利害で最も対立するのは、入所施設を巡る問題であると述べる。その上で、福祉の内側だけでは地域生活を推進するのは難しい。福祉の外側、司法や警察、などの治安も含めて考えていくことが重要であると説く。
7 山本(2002)は「重度知的障害児者介護の社会化は緊急の課題−「重度知的障害児者の家庭度の介護支援についての実態調査」結果報告に基づき、いずれの年齢においても介護は限界に達しているという結果を述べている。
8 障害者団体の運動について、実際は、「自己主張の「力」と「場」と「機会」を得たごく一部の障害者だけを念頭に置いた偏狭な議論に終始している」(塩見〔2002,P.87〕)と述べ、こうした機会に恵まれない人たちが切り捨てられるおそれがあることを危惧している。
9 普遍化については、一つに対象そのものを巡るカテゴリーの喪失(岩田〔2001〕)、一つに政策範囲の膨大な拡散(高沢〔2001〕)が問題視されている。また、サービスという名称からそもそもの社会問題が矮小化しまっている。さらに、社会問題にしろ対象にしろ、それらに社会福祉が実際に働きかけるには、選別と排除が不可欠であるとされる(高沢〔2001〕)。
10 北場(2002)参照。北海道のいわゆる痴呆老人のグループホーム、訪問介護事業者の法人格についての調査が行われている。それによると、訪問介護事業者は、株式会社20.6%、社会福祉協議会20%、有限会社10.6%、社会福祉法人は11.6%である。グループホームでは、有限会社30.9%、医療法人23%、社会福祉法人19.4%、株式会社12.9%である。このことから、サービスの類型にもよるが、今や福祉業界は社会福祉法人だけが主流ではないことが分かる。
11 小笠原(2002)参照。社会福祉法人などは行政の計画前置主義のもとでコントロールされる。例えば老人福祉法は、都道府県計画の達成という観点から数値目標を上回る養護老人ホームなどの認可を抑制する傾向があった。そして、今日、介護保険制度の下で供給体制強化が課題になっていても、広域単位での数値目標を上回る新規認可には慎重である。あるいは、施設は法令や通知によって様々な指導が施され、規制されている。
12 例えば、椋野(2003 ,P.34)では「株式会社やNPOは、社会福祉法人と違って参入するにも認可の必要がなく届け出できるので、弾力的に迅速に事業開始ができます。そういう意味では、迅速性、弾力性のメリットは社会福祉法人よりは高い」と述べ、今までは社会福祉法人が比較される相手は公立施設であったが、今や事業主体として優劣を比較される相手は株式会社であることを十分認識していただきたいと力説している。
13 無論、施設入所している高齢者の割合は、在宅に比べるとごく少数であり、論評にも値しないだろう
14 療育手帳の所持は、ある一定の知能検査などで行われる。昨今の知能が高い高次機能の自閉症などは取得ができないことがある。また、軽度である場合は手帳所持をすることに抵抗感を感じて取得しないケースも多数存在すると言われる(伊藤〔2003〕)。精神障害者の場合は特に手帳取得率は低く、204.1万人いるとされる精神障害者のうち手帳を所持しているのは平成14年度で25.56万人であり(厚生統計協会〔2004〕)、実に12.5%に過ぎない。
15 詳細に述べることは本論の範囲を大きく超えるが、一例を挙げると、新障害者基本計画の中で30万人いる長期入院者のうち7.2万人を退院させるという数値目標があるが、社会復帰施策の整備数だけを挙げてもホームヘルパー3300人、グループホーム1.2万人、福祉ホーム4000人、生活訓練施設6700人、通所授産施設が7200人である。総数だけでも3.32万人にしか整備されない。さらに、在宅で暮らしている170万人に対してまったく不十分なことは明らかである。
16 メディアでは、家族ケアの大変さを取り上げることがある。しかし、だからといって積極的に施設に預けた方が家族にとって良いこともあるという選択肢には到らない。あくまでも部分的に家族をサポートするサービスとか専門家として関わることで家族ケアが充実していくという提言が多い。施設の登場は、家族ケアの努力の結果、それでも施設に預けざるをえないと言う最後の選択、やるせなさとして表現することが多い。
17 板原(2002,PP230-231)によると、確保されるヘルパーは高齢者介護をかねており、仮に4万人以上確保されても実効性の薄いものである。あるいは、主に家族に介助されている障害者を対象としており、内容もきわめて限られているため、自立して生活しようとしている障害者の対象になりにくいとの指摘がある。
18 私の勤める知的障害児施設でもショートスティやディサービスとして在宅の障害児を預かる。が、そもそも知的障害児を預かる入所型の施設は中核市でも2ヶ所しかない。郡部では広域に1ヶ所あるかないかである。さらに、強度行動障害の自閉症などは、入所者の関係もあり、せいぜい多くて3人までが限度である。また、預けに来る保護者は市内が多いとはいえ、場合によってはわざわざ郡部から預かれないかという依頼もある。
19 筆者の勤める施設でも入所理由として、離婚による母親の経済的な困窮と養育困難。あるいは、障害児の養育疲れによるノイローゼ、虐待などを要件とした入所が多い。社会的なサポートが不十分であるという理由だけではなく、むしろ、地域など周りの環境から疎外されていく心理的な圧力が強いと考える。
20 小笠原(2002)参照。特に、個人の分権化について、市場主義では、消費者としての利用者と自立としての利用者という2層で捉え、これまでの措置制度においては、こうした主権化が十分果たされなかったこと。行政のコントロールのもと施設が独自性を持ちにくかったことを考察している。
21 吉田(1990,P.375)参照。正確には「老人ホームのあり方」(昭和47年)に関する中間報告を受け、その具体化のために「今後の老人ホームのあり方について」の意見を発表とされる。
22 日本型福祉社会論については、加藤(2002,PP.16-18)や永山(2005)を参照。いずれも、それまで福祉国家−先進国家特にイギリスの社会保障政策の「ゆりかごから墓場まで」というキャッチフレーズが、ポジティブなものからネガティブなものへ転換し、「先進国病」としてレッテルが貼られたのが契機とされる。物質的に豊かになり、社会福祉制度の充実した欧米社会に共通に発生している先進国病と断じている。
23 星野(2001,P.26)によると、社会福祉事業法は、そもそも公私分離の理念のもと、「公の支配」に属さない豊かな社会福祉の存在を想定し、「公の支配に属する」社会福祉事業を限定してきた。にもかかわらず、基礎構造改革下で制定された、社会福祉法では、福祉サービスという包括的概念を基本理念としている。これは、社会福祉における公私分離を守ってきた自由主義路線への挑戦であり、こっかのしゃかいふくしに対する関与の可能性を一挙に前面に押し出している。
24 北場(2002,p.35)では「「シャウプ勧告」が従来非課税であった公益法人の収益事業に課税することを勧告したことから、社会福祉法人は公益法人の収益事業に対する課税を回避するために生まれたのではないか」と述べる。この社会福祉法人に係る措置について、小笠原(2002,P.29)では、「政策的には係る民間社会事業の独自の使命が社会的信用や財源の不足によって衰微することの無いように支援策を講じることが必要であった」とし、GHQと厚生省は「公の支配」を強調する際に、対立の構図として捉えられているが、社会福祉法人を巡る公の立場に関しては、共有していた共通認識だったのではないかと推測している。
25 李(2001,P.189)では、施設社会化論として地域と施設の関係を捉えた場合、確かに施設は地域に開かれたものとなったと述べた上で、しかし、地域と施設は対等な関係ではなく、施設社会化論はあくまでも施設中心主義の考え方であり、消極的な議論であると述べている。
26 蒲生(1997.P.253)では、障害者関連に限って言えば、この業界には「愛護」という用語がある。これは、社会に愛される障害児という、社会的な文脈を持っている。愛護という精神の中で積み上げてきた施設の取り組みを否定してはならないと述べる。

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