第4章 労働者としての自律
はじめに
 前章では、労働権はどのようなことかを概説した。では、実際にどのように労働権主張のための行動をするべきかを論じる。
 結論から言えば、労働上の権利は与え続けられるものではなく、闘争の上、勝ち取るものである(チョムスキー〔2003〕)。それには、労働者側にちょっとした勇気と職場を良くしたいという情熱が必要になる。
 逆に言うと、「専制支配が敷かれて、職場の民主主義が確立していないところでは、会議そのものが上意下達になって形骸化している」(中井〔1998,P.243〕)。利用者への援助のあり方については管理者と議論しやすい。しかし、より民主的な話し合いの場を持つと言うことは、労働条件や環境について批判し事実の厳正が行えることであろう。

第1節 福祉労働者の連帯・団体の重要性
はじめに
 本節では、まず、労働者の権利主張の意義について述べていく。次に、権利主張のために、どのような行動をとるべきなのかについてモデルを用いながら論じていく。

第1項 権利主張をする意味について
 先にも述べたが、闘争や競争は人として成長させる大きな動機となる。闘争そのものは悪いことではなく、不公正な闘争こそが批判されるべきである。労使間の闘争は、同じルールにあるなら対等なものである。しかし、使用者と労働者「個人」の闘争は、権力を持つ者・持たざる者の関係性にあり、労働者は不利である。給与の交渉や休暇の保障のみならず、不当解雇や労働上の健康問題などは、労働者同士が団結し、話し合う場を形成しなければその問題は解決あるいは是正できない。その、たゆまない労使間の交渉が、経営者に自制を働きかける。あるいは、譲歩を引き出す。現場は我々労働者達が支えていると使用者に声を届け続けること[1]である。
 しばしば使用者は自分の理念こそが全てであると思い、労働者は理念遂行のためのコマにしか思っていない人。まだその人に理念があればよいが、理念も何もないが、自分はただ偉いと思っている人もいる[2]。そこに異議を申し立て、現場職員こそが仕事を創出することを知らしめることが必要である。労働者は利用者の生命を守ることを念頭に交渉・提言することも大事であるが、まずもって自分たちの何が「労働者として」保障されるべきかを考えた交渉が大切である。

第2項 どのように行動をするべきか
 労働条件は先に見たような一般的な基準は論文や書籍からある程度の知識を得ることができる。しかし、それがどのように適用されているのか。あるいは経営者に訴える場合はより具体的で論理的な交渉が必要になる。なぜなら、今働いている職場だけでは情報が足りないし蛸壺化してしまう。そこで、同じような職種や法人、施設などとの情報の共有や意見交換などが必要になる。こうしたことを図式化すれば以下のようになる。  団結モデル
 図 1-1 労働者の団結モデル

 労働者個人は、まず、身近な問題として、給与や有給休暇その他のことについての労働者意識を持つことである。この意識については、前章で述べているとおりである。まそ、その中に、公正な人事なのか待遇なのかなど(伊藤〔2002,P.45-47〕など)も含まれてくる。あるいは、深刻な問題として、不当解雇や健康問題(伊藤〔2002,PP.126-129:113-117〕など)などは泣き寝入りすることなく強い姿勢を持つことである。あるいは、パワーハラスメントなど著しい言葉の暴力には厳然と是正を求めていく姿勢(伊藤〔2002,P.118-122〕等)が必要である。いずれにしろ、自分が置かれている環境や待遇をあきらめるのではなく、よりよい環境を求めるためにどのようなことがあるのかを考えることである。
 しかし、個人が抱く問題意識は多様である。また、意識の持ち方も温度差がある。だからこそ、職員集団は、問題意識を持ち寄り、情報を共有し、団結することが大事である。しばしば、職員集団でもこうした労働環境に関する是正を求める職員を掣肘することがある[3]。あるいは、問題意識を持つよりも黙って与えられた仕事をすることの方が美徳な傾向にある。福祉の仕事で金勘定について騒ぎ立てる事に対する抵抗感がある。実は、聖職者意識は、使用者だけではなく、職員間相互の中にも浸透していることが多い[4]。あるいは、業務内容の改善も、管理者・使用者の許容する範囲で話し合うことが多い。しかし、結果として聖職者意識は、自分たちの労働環境を悪化させ、ひいては利用者へのサービスの低下を招く。権利は努力し続けないといとも簡単に奪われる。そうした意味でも、集団は、個人の問題意識をすくい上げ、精査しようとする態度が必要である。よって、個人の問題意識を何でも話し合える集団を形成することは、結果として、働きやすい職場を作る第一歩になる。
 また、職場内の結束だけではなく、より広い組織化は現場における多様な視点を生み、結果として職場の環境をより良くしていく。あるいは、運営に対する客観的な判断を得ることが出来る。特に、不当解雇や労働災害、健康問題など広範な問題を扱うときは、広い見地での交渉を要する。全国や地方に職業別の広域労働組合が存在する。そこに加入するかどうかは、それぞれの判断による[5]。しかし、組合への加入という手段があるということを知っているだけでも違う。たとえ、組合に加入しなくても、地域で同一種別の施設間で、雑談レベルから組織化まで様々な形で情報の共有や連携を図っていくことは大きな力になる。

第3項 まとめ
 使用者がおそれるのは、こうした労働者達の団結である。ところが、長い歴史の中で労働組合は力を持ってこなかった。雇用者や企業が能力主義や成果主義を導入する過程で、労働組合活動をする者への弾圧があり、組織内においても活動家達を内部告発させるなど制約を加えてきた(山下〔2005〕)。また、昨今では、労働を「自己実現」とか「社会活動」という言説で個人化させ、労働というカテゴリーを用済みにしていこうとする流れがある(渋谷〔2003〕)。しかし、社会福祉にあって、社会運動・団結によって利用者の権利が拡大・進歩してきたという歴史がある。さらに、働きやすい環境を得るために団結した人達。賃金交渉をする労働者達。あるいは不当解雇を戦う人達。運営方針に異議を申し立てて、よりよいありかたをめざして運動をした人達など少ないながらも事例がある(真田〔1992〕:植田〔2002〕)。
 こうした団結は、それぞれ個人が労働者としての自覚が必要である。しかし、職場内で話し合える環境がないことには自覚は育たない。逆に言えば、個人として自覚があっても、そうした環境がないと労働者意識はいつしか消え、あきらめや惰性、あるいは愚痴だけに変わってしまう(久田〔2004〕)。団結は容易ではない。職場内で話し合える場を作るには、そこにもまた主義主張を戦わせたり葛藤したりという困難性や面倒くささがつきまとう。しかし、そうした面倒くささを引き受け、議論を尽くしていくという姿勢こそが自律につながるといえる[6]

第2節 民主的な場の創出について
はじめに
 前節では、連携の重要性、権利主張によってしか自己の労働権は保障されないことを論じてきた。しかし、権利主張は民主的なものであるが、交渉もまた民主的に行われないといけない。でなければ、一方通行であり、話しあう余地はないであろう。お互いの利害の一致を巡り、妥当な成果を探るのが民主制である。
 本節では、これまでの論述をまとめながら、交渉という視点でモデルを提示し、説明を加える。

第1項 民主性について
 労働者同士の団結によって、労働権保障の意識が形成されると、今度は使用者との民主的なプロセスに移っていく。
 ところで、民主的と言う言葉をどういう意味で用いてみるかについてチョムスキー(2003)の概念を簡単に述べる。まず民主主義社会とはなんであろうか。民主主義に関する一つの概念は、「一般の人々が、自分たちの問題を考え、その決定にそれなりの影響力を及ぼせる手段を持っていて、情報へのアクセスが開かれている環境にある社会」(P.11)である。もう一つは「一般の人々を彼ら自身の問題に決して関わらせてはならず、情報へのアクセスは一部の人間の間だけで厳重に管理しておかなければならない」(P.11)。そして、チョムスキーは、歴史的に、あるいは現在においても、後者〜一部の人間が操作する民主主義が大勢を占めていると結論づける。なぜ、コントロールされるのが民主主義なのか。端的に言って一般市民には必要以上に知恵などはいらない。世論を操作し、利益を得るのは権力を握ったあるいはその資格のある者であるというコントロールが働いている。
 福祉業界でも労働環境の劣悪さや低賃金が隠蔽され、やりがいや聖職者意識の高揚などで管理され、コントロールされている。その他、様々な意味で「知る」という行為が封じられている。または、団結しようとする労働者同士を私用車は解体し、形骸化してきた。
 しかし、それでも、建前であっても、少なくても私たちは自分たちで問題を考え、解決していくことが保証されている。また、かなりのアクセスの規制があるもの情報をコントロールしたくてもできないのが現状である。だからこそ、我々は「より正確な情報を探し当て、判断材料を頭の中で反芻すれば、既成の常識から離れ、独立した認識へ辿り着くことができる」(チョムスキー〔2005,P.83〕)という言葉に勇気づけられる。また、先にも述べたが、団結をし、様々な業務上のことや施設内外の労働上の権利を守っている職場も散見される。自己主張し、議論を闘わせることでしか、自己の権利は獲得できないのである。

第2項 モデルの説明
 第1項の民主性をもとに、以下のようなモデルを提示し、説明を加える。
民主的交渉モデル
図 1-2 労使間のプロセス

・管理機能
使用者は、福祉施設の持つ制度的な役割にまず規定される。このことは、第2部で詳しく述べるが、利用者の生存権・発達保障を第一に運営される(加藤〔2002〕)ことを念頭に置く。そのためには、労働者の権利保障を行うことが結果として利用者の保障に繋がる。
 使用者(施設長)には様々な機能があるが[7]、現場職員が管理者に求める姿勢に限って述べると、現場が働きやすい環境を整えるマネイジメント機能[8]である。そのためには、労働者の待遇や権利を守り、公平な基準での昇進や正職員採用などを行う。あるいは、さらに、質の向上のために人材育成を行い、働きがいを演出する。要するに、現場を尊重し、時には就業規則の遵守(ポストに適した業務範囲についての明確な基準)を示しながら質の高いサービスを利用者に提供する姿勢が使用者に求められる。また、これまで述べてこなかったが、労使間のみならず、利用者と労働者の間にある利害や損害に関わる調整も使用者の大きな役割である。例えば、昨今では、ヘルパーの利用者からのセクシャルハラスメント(性的な嫌がらせ・強要)が社会問題化されている(伊藤〔2002,PP.118-121〕など)。これなどは、単に労働者側の意識の問題として片づけるのではなく、労使・利用者の立場で、業務の範囲の遵守などを通して是正していくことが求められる。

・労働者個人・集団
 労働者個人・団体・他の組織については第1項で述べたとおりである。交渉のプロセスでは、自分たちの要求や主張が全部通ることはない。しかし、たゆみない交渉・話し合いの中で、譲り合い、妥協しあい、徐々に進んでいく。しかも、すべてにおいて管理機能との闘う訳でもない。中には、使用者の理念が崇高で妥当な場合もある。また現場に対し理解を示し、施設運営をしっかり行っている使用者もいる。しかし、使用者一人の理念遂行や方針に盲目的に従う、あるいは独善を許してはいけない[9]。その理念を精査し、話し合いの中で深めるだけの力量を労働者側も得ることが大切である。

・他の組織などの横の連携
 図1-1で述べたが、民主的な話し合いの場が確保されている職場は少ない。さらに、上述のような求められる姿勢を示している使用者も少ない。労働者個人の権利意識は、他の団体や労働組合との情報交換や情報の共有は民主的な場の創出の一翼を担う。

・外部機関
 そして、最後の手段として、不当解雇や労働の劣悪さによって生じた労働災害の是正を求めていく手段として、裁判所がある。または、労働基準監督署に訴える。弁護士に相談するといった手段がある。いずれにしろ、労働者個人では裁判所に訴えることはかなりの勇気が必要である。だからこそ、労働者同士で結束し、問題を皆で解決していこうとすることが大切なのである。

・民主的な話し合いの場
 このように、トータルの意味でのプロセスが目指すのは、民主的な場を作り出すことである。それは、自分たちの問題を誰かに解決してもらうのではなく、自分で解決するために声を挙げることである。職員間の団結のプロセスにおいても、様々な問題提起や意見を職員間で話し合う。そして、交渉するときも労使間で意見を闘わせる。交渉は、できるだけ理性を持って、自己批判を伴いながら論理的に行うことが重要である。そのためには、問題をめぐる情報をたぐり寄せ、検証し、開かれた形で分かりやすく提示できるだけの学習と研鑽が必要である。
 本章と前章では、労働者の権利とその内実について述べてきた。そして何をどう考えたらよいのかも簡単ながら提示した。それらを糸口にして自分が今働いている職場の現状を考えていくことが求められている。そこから福祉労働者としての自立が始まると言える。

第3節 おわりに
 第1部では、社会福祉を巡る言説を整理し、批判を加えていった。福祉労働を学説的に語る際、労働環境の劣悪さを述べる文献は多いが、それからどうするのかと言うことについて書かれているものは少ない。さらに、どうするかの部分で、個人の責任に還元しているものが多かった。しかし、現場を見渡すと、目の前の業務に忙殺され、体を壊し、悩んでいる人が多い。悩みを同僚に打ち明けることはあっても、何かアクションを起こして環境を改善するという勇気ある人は少ない。あるいは、仕事の内容を決めていくのは管理者・使用者であると考え、盲目的に仕事をしている人が多い。さらには、現状を批判しても仕方がないし、動かしがたいことであるとあきらめている人が多い。
 自分たちの職場は自分たちで作り上げる。それは簡単なようで実は非常に難しい。こうした現場から声を挙げていく努力は、風当たりが強く、損なことである。時には、集中砲火を浴びてやりこめられることも再三だろう。しかし、こうした努力を続けていくことは、結局、使用者に自制を働きかけ、まわりで働く、労働者意識のない人たちにとってもよりよい環境を作り出していく。もし、仲間がいて、問題意識を共有したら、勇気を持って発言していく。こうしたことが福祉労働者としての自律の一歩になっていくと考える。
 第2部では、業務内容をいかに決めていくか。対象把握の視点など、実際に利用者へアプローチをする際に必要な事は何かなどを述べていく。


[1] 橋本(2004,PP.145-154)では、組織とは、上から下に吹く風〜命令系統と下から上に吹く風があると述べる。その中で、「現場からの声がちゃんと上がってきて、「目の前の現実に対処する」のが当たり前に行われる組織である」ことを現場が認識するところからはじめることが大事であり、民主制を取り戻すことが大事であると説く。
[2] 久田(2005,PP.92-107)で、ダメな上司のタイプとして、超ワンマンタイプ、ポリシー不在タイプ、問題先送りタイプ、責任転嫁タイプ、能力剥奪型上司など類型化し、共通して言えることは、部下の意見や要望に過剰に反応する、人の話を聞かない、相手の気持ちをくみ取れない、研修の大切さを認めない、腹心の部下に任せきりでまる投げするなどを挙げている。
[3] 久田(2004,PP.128-151)では、施設のマイナス体質、陰の批判者による足の引っ張り合いなどについて言及している。マイナス体質とは、施設の持つ閉鎖性により、業務の当たり前が疑うことができない。職員相互で批判し合えない、無批判体質などを指す。陰の批判者とは、会議では何も話さないが、裏に回って皆で決めたことを平気で破ったりする人のこと。プライドが高いがコンプレックスも強く、さらに怠惰な人間を指す。
[4] 秋山(2005,P.193)では、福祉労働者、社会福祉専門職、福祉事業従事者というカテゴリーを設け、労働者は「従来の社会事業従事者や、ましてや聖職者のイメージからはっきりと訣別した、労働者としての権利とに目覚めた用語」であり、ただ単に、内発的動機、愛と奉仕に意味を見いだしている者を福祉事業従事者と区別している。
[5] 労働組合もへの加入もただ単にメリットとなるわけではない。それに付随して組合以外の政治的な意味での雑務(党内活動)などが義務化される、あるいは、組合の中での様々な人間関係や信条の違いで葛藤するなどのリスクもある。それも含めて加入するかどうかはやはりそれぞれの判断だろう。
[6] 集団内でも意見の衝突は避けられない。しかし、内部においても力関係が存在し、発言がしにくい環境を生み出すこともある。久田(2004,PP.128-161)参照。中間管理職の人たちがしっかりしないとこうしたことを一掃するのは困難である。
[7] 秋山(2005,156-168)では、社会福祉施設長論と一章を設けている。詳細は本論の範囲を大きく超えるので述べることはできないが、その中で、施設利用者・家族、職員、理事会、行政、地域社会、種別業種専門機関と多岐に渡っている。
[8] (久田〔2004,PP.113-114〕)参照。ただ優しく接するだけではなく、厳しく接するときも必要である。成果に対して公平な態度が必要である。
[9] ある施設外研修で、とある施設長が、利用者の権利を守るためにという講演を行った。その一例として、ある職員が利用者を車に乗せて外出した際、スピードを出しすぎてタイヤがはずれ、民家に車をつっこませたという話をした。その施設長は、利用者を乗せてスピード違反をするとは何事か。即刻、その職員は辞めさせました。と自慢げに話していた。その施設長は、利用者の生命の大切さとそれを守らなかった職員という対比で話していた。一見正論に聞こえる。しかし、タイヤがはずれたのは整備不良のはずであり、仮にスピード違反をしていなくてもタイヤがはずれればコントロールを失う。これは、解雇されるほどの事例ではない。整備不良こそが問題であるはずである。これはその施設長に異議申し立てをせず、ただ一方的に施設長の言い分をのんでいる現場が見え隠れする。

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