第13章 施設職員の自律

はじめに
 第1部から3部まで、福祉施設職員(以下、施設職員)が働く上で考えるべきこと、行うべきことを述べてきた。本章では、これまでの論述をまとめた上で、それぞれの要素〜労働者意識、専門性、倫理がどのような関係にあるのかをモデルにして提示をする。その上で、施設職員にとっての自律とは何かについて論じていく。

第1節 第1部から3部までの要約
はじめに
 本節では、これまで述べたことを要約する。とはいえ、各部で述べてきた「問い」は多岐に渡り、要約しきれない面が多々ある。よって、本節では、次節のモデル化につなげていくことを念頭に要約を行うこととする。

第1項 第1部の要約(労働者意識)
第2項 第2部の要約(専門性)
第3項 第3部の要約(倫理)
 次に、労働者意識、専門性、倫理がどのような連関にあるのかをモデル化し論じる。

第2節 労働者意識・専門性・倫理の連関
はじめに
 これまで構成上、労働者意識・専門性・倫理は別個として論じた。しかし、労働者意識を論述する中にも専門性や倫理の問いは存在していた。あるいは、専門性を論じながらもかなりの部分で倫理が取り扱う問いも含まれていた。とはいえ、明確にそれぞれの要素が連関していることを示していなかった。以下、これまでの論述をもとに、それぞれの要素の連関をモデル化し、考察を加える。
表1

図4-1 労働者意識・専門性・倫理の連関

第1項 倫理と労働者意識の連関
 労働倫理の観点から、良い仕事とは仕事だけが良いことではなく、生活やその他の活動にも良いことがある。あるいは、仕事以外への配慮やバランスを保ってこそ成り立つと述べた。そのような意味で、労働者意識として、もし労働権がないがしろにされ、仕事以外の生活が犠牲となっているのであれば、職場の環境を改善しようと行動や発言を行うことは倫理に適っている。さらに、そのような行動や発言は、自分一人のためではなく、そこで働く人々のためになる。あるいは、そのように活動をしていることが知れ、働きやすい環境がたくさんの施設で生まれるのであれば、それは福祉施設全体にとって良いことである。
 また、単に労使関係の改善のみならず、生命倫理やケアの倫理で述べたように、福祉の仕事自体、他者に開かれ、それは生・倫理の根源に適っている仕事である。よって、福祉労働は単純労働だとか誰でもできる仕事であるとネガティブに語られる言説は棄却できる。福祉労働はきわめて精神性の高い価値のある仕事である。そして、仕事に価値があることは誰かに承認され、やりがいのある仕事だと他から言われることではない。言い換えると、使用者が労働者の権利をないがしろにしながら持ち出す、「福祉の心」とか「奉仕の精神」はまやかしである。仕事に喜びや誇りを見いだすのは、あくまでも自分自身の中であるし、そこで真摯に働いている具体的な個人から感化されるものである。
 福祉労働は、個よりも集団で働く労働集約型である。そこには、自分の仕事に誇りと自信を持ち、倫理に適った仕事をしようと志すには、集団内で話し合える場が保障されていないといけない。実際には、倫理と現実のジレンマ(例えば、管理と権利擁護)、施設内虐待、差別や偏見とどう向き合うのかなど考えることは多様にある。例えば、労働環境の悪さから、虐待などが誘発されることも指摘されている。逆に言えば、労働環境を改善することで虐待などを抑制することが出来ると考える。いずれにしろ、これらのことにどのように具体的に応えるかは、集団で話し合いながら確認していくことが必要である。確かに、こうした倫理を扱う実際的なサービスを提供するには、使用者の意図と労働者が実際出来る業務の範囲などの限界が存在する。しかし、現実を見据えながらも倫理を体現しようとするところに良い仕事が積み重ねられていくと考える。

第2項 労働者意識と専門性の連関
 専門性を高めるには、やはり個人の自主学習は欠かせない。しかし、自己研鑽を積み、良いサービスのあり方を模索しても、周りが理解を示さなければ、せっかく勉強しても具体化せず、結局無駄になる場合が多い。そして、周りには専門性がないとか学習する(理解できる)人がいないと諦めがちになる。
 また福祉現場には、労働者としての権利を発言し、要求をするのは好ましく思われない風潮がある。そんなこと(労働権)を言っている暇があったら、黙って仕事をしろとか専門性を高め、経験を積めとも言われる。
 専門性を高める土壌がなく、かつ労働者意識を封殺させるような福祉施設現場にはやりがいも誇りもない。かといって、専門性への指向が高い職場であっても、労働者意識が希薄であれば、サービスだけが拡大していき、そこで働く人は過重労働にさらされ、結果、バーンアウトを引き起こしかねない。あるいは、労働権が保障されているものの専門性が問われない職場には、発展性がない。
 労働者意識と専門性の連関は、一方でないがしろにされている福祉労働環境を健全にし、専門性は日々の業務を豊富にしてくれる。それには、専門性を高められることと労働環境を見つめ直せる土壌があることである。その土壌は民主的に話し合える集団の場である。言い換えると、集団で発展的な業務をしようと指向すれば、自己研鑽も意味があり、モチベーションも高まる。また、労働環境を意識した業務のあり方は、健康被害や過重労働を防ぐことが求められる。そして専門性は、働きがいのある内容の模索が求められる。その両方を実現するには、業務のあり方のビジョンが必要になる。そのビジョンは、多様な言説や理論を吟味し、取捨選択し、具体的な業務として形にしていくことが求められる。

第3項 専門性と倫理の連関
 援助理論あるいは専門性の構成要素を論じる場合、たいがい「倫理」が根底にあり、真ん中に「知識・理論」、そして「技術」となっている。とはいえ、学問上、理論の整理を中心に行うものがある。それは学問上の積み重ねとして、議論の明確化として有意味である。しかし、福祉施設現場では、倫理が不在なまま、理論を援用することは無意味である。なぜなら、施設現場では、専門性は利用者へ、いかに及ぼすかと求められるが故に、その専門知識は他者に開かれているのか、その行為は倫理に適っているのかと現実的に吟味することが要請される。
 言い換えると、今行われている業務が倫理に適っているのかと考えることは、自己の行為を内省し、自己批判する契機となる。もし、自分の行為が倫理に適っていることが確認できるのであれば、自分を肯定することができる。
 当然、倫理に適っていないこと(例えば、虐待や差別的発言)が業務の中に横行しているのであれば、それを是正することが求められる。その是正は、実際的に反映していかなければならないという緊急性と現実に耐えうる専門性が問われることになる。ここに専門性と倫理の連関があると考える。
 また、福祉職の行為や労働そのものが倫理に適った職業である(ケアの倫理・労働倫理の側面より)。この前提としての倫理は、専門性を深めようとする自らの根拠になる。あるいは、倫理を確かめることによって、自らの業務内の振る舞いに主体性を与える。なぜなら、良い仕事は他者を目的として、積み重ねることである。他者を目的にするとは、常に自らの業務の振る舞いを吟味し、発展的であることが求められる。発展的業務を指向することは、自らが主体性を保持することが前提になる。そして、専門性を積み重ねていこうとする行為は、誰から承認されたいとか自慢することではなく、まずもって目の前にいる利用者を目的として、自らの責任を負うものなのである。

第3節 施設職員の自律
 最後に、ではいったい施設職員の自律とは何かについて考察をする。すでに第1部から第3部の間で言及をしているが、それらを簡単にまとめると、

  1. 労働者意識において、いまの労働環境に、どこか不満や疑問を持ちながらも、考えることをやめて、現状を追認し、あきらめている人々がいる。だからこそ、まずもって自分が働く環境とは何か。その現状をひもときながら、何ができるのかを考えるのかが自律の一歩であると論じた。
  2. 専門性において、福祉現場では学習することを放棄し、流されながら仕事をしている人がいる。そこには、福祉現場の何をどう考えたらいいのか分からない。あるいは理論と実践は違うという諦めがある。しかし、はじめは幼稚な考えだと思えても、自分なりに論理を組み立て、積み上げていくことが専門性を身につけていく第一歩であり、現状に流されない〜自律性を把持することにつながる。
  3. ともすれば、倫理は形而上なものとして扱われる。しかし、倫理を自らの事として引き寄せる(自らの中にある偏見・業務内で生起する施設内虐待・ケアの意味など)ことで、他者に対して主体性と責任を持つことができる。そして、責任を持つだけではなく、そこ(倫理)へ迎えと命じられる。その声に応えようとする態度は、様々な妥協やジレンマを超えて、一施設職員に自律性を与える。
 端的に、自律性を獲得するには、まずは自らの手で今働いている現場を考えることである。そして、自律的に考えるとは、多様な言説を吟味し、批判を加えながらも、最終的には深いところで、自らも含め肯定するところまで持っていくことである。安易な自己肯定は避けなければいけないが、思考が批判や否定でとどまってしまっては、結局悲観だけが残ってしまい、自律性が損なわれると考える。本論では、他者に開かれていくことが自己肯定の原動力であることを論じてきた。他者とは、利用者、職員、施設のみならず、自己の内面など多岐にわたる。それらと対話をしていくこと、それが自律的に考えることだといえる。
 とはいえ、自らの手で考えることは、面倒くさいし、時には流されてしまった方が楽だと考えてしまう。しかし、やはり、自らの手で考えようとする中に、仕事への誇りや喜びを感じることができると考える。

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