2007.10
制度創立100周年に向けた民生委員・児童委員活動

小松理佐子「地域福祉の時代の民生員制度」
 1917年に創設された岡山県の済世顧制度に端を発している。民生委員は三度の転換点があった。一つが1929年の救護法によって当時は方面委員であるが、補助機関として位置付けられたこと(公的性格の付与)。次に、1950年の生活保護制度成立時に行政とのパイプ役として協力機関となった。3度目は2000年の民生委員法の改正で、住民側へと大きくシフトし、住民サイドに立って実施機関に働きかけるようになる。また、名誉職からボランティアであるという認識になった。それに伴って、地域の関係機関とのネットワークや自主的な活動が活発化していることを紹介されている。
 その一方で、要援護者に対する個別援助活動は減少傾向にある。これは地域包括支援センターや子育て支援センターなど専門職による相談機関が増えてきており、そちらへシフトしていったとみている。また地域活動にしてもNPOが行っている活動に埋没したりと「住民の立場」に立つ民生委員活動の独自性とは何かが再考されるべきである。

松原康雄「児童委員活動の現状と課題」
 地域の相談役として民生委員があるが、児童委員を民生員がかねている場合も多い。そのため、主任児童委員制度が1994年に成立し、民生委員であって児童福祉に関する事項を担当する児童員として位置付けられた。しかし、主任児童委員は担当地区も定められておらず、委嘱人数も普通の児童委員の10分の一と少ない。あとは、民生委員と性質上同じ役割であり、虐待の発見、子育て相談などなど児童に係る活動を尾も足るものと理解している。思えば、私が知的障害児施設で働いていた時に、関係機関として児童委員がいて、委員らしい身近な視点での発言は、地域で住んでいるならではの発言だったなぁと思う。

座談会
 高齢者や障碍者関係では、民生委員が出向いても都会ではドアを開けてもらえない、ドア越しで話すなど孤立は一層深まっており、民生委員がどうにかできる状況ではないことが多い。地縁や血縁の濃い田舎でも同様に孤立は深まっている。民生員や町内会の担い手も高齢化が進んでおり十分な支援が望めない。その一方でSWがネットワークを作り民生委員などの役割が明確になり動きやすくなった事例もあるとのこと。しかし、問題は一層難しくなっている。またネットワークを形成するにしても関係機関との温度差がありなかなか難しいとも…
 高齢者の場合、一人暮らしであれば要援護者として専門職が入ることが可能だが、子供は虐待や重篤な孤立に関してはどう介入していいかわからない、難しいのが現状である。しかし、学校や行政が指導としてしか介入できないのに対し、児童委員は寄り添って発見、対応することが出来る当事者性の発揮がある。
 そんな中に民生委員は地域福祉の担い手として、地域を耕し、専門職や福祉の実践者などとともに協働するという立ち位置を確認している。活動強化を機能させていくためには、専門職が丁寧に組織を作り、システムを作っていく。民生委員は大きな責任を感じているのに、専門職の方は例えば見守りとは何かを明らかにしないまま安易に依頼するきらいもある。何をポイントに見守るのかのサポートが必要である。社協や行政が地域福祉計画を作る際は民生委員なども同じテーブルについてそれぞれの限界と補う合う姿勢で、また個別事案ではどのようなパートナーシップを持つかをその都度明確にしていくことが必要である。
 強調されているのは、役割の明確化と多様化する社会問題にどこまでかかわり同協働していくかが議題になっていた。それだけ民生委員の役割というものが明確ではないんだろうなぁ。また専門職との連携がうまくいっていないんだろうなぁ(活用されていないんだろうなぁ)と思った。

 レポートは5本。中でも悪徳業者を様々な専門職との連携で町ぐるみで締め出そうとする取り組みをしている事例は面白かった。やっぱりネットワークだよなぁと。とするならば福祉に明るく、熱意があり、それなりの権限のある行政などが必須になるような気がする。
2013.1.1

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