1999.8
21世紀の社会福祉の枠組み

対談
宗教の違いが社会福祉制度違いを生む。カトリック教会は、所得のあった人はそれだけ人様のおかげで受けているのだから収入の一部を協会に寄付しなさいと言う共助の感覚に基づく共同社会が営まれてきた。プロテスタントは、神と自分が直接向かい合いので、共助よりも自助努力が重視された。
農業社会と工業社会による価値観の違い。農業では、例えば足が不自由でも編み物が出来るといった出来ることや存在していることに目を向ける。工業社会ではハンディキャップとして捉え、でも出来ないからと行って差別してはいけないから、人は法の下に平等であると考える。
これまで社会福祉の対象は、身体的な障害による不幸や貧しさから来る不幸だったが、しかしそれ以上に大きな不幸は、友人がいない、ひとりぼっちだという気持ちから来る苦痛、不安感が非常に大きく切実になっている。
措置制度から契約への変更について。メーカー的発想から承認的発想への転換である。メーカーは基本的に良い物を安く大量につくれば、お客さんは買うはずだと思っている。商業は、お客さんと互いに向き合い、好きになりあって、ともに幸せになりましょうという発想。
公から得たお金を管理して、定められたサービスを提供しているが、これからはマネジメントが必要だ。施設運営のマネジメントにとどまらず、サービスをどう組み合わせて提供するかといったことや、利用者の方々にとってどのようなサービスが最適なのか、従来の考え方にこだわらず、新しい物をどんどん取り入れるマネジメントが求められる。

座談会
改正法案を読むと言うことで座談会が組まれている。契約、利用者の立場に立つとか、ありふれた内容なので、割愛する。
その中で、確かに一人一人の職種の専門性を向上させることは非常に重要だが、小さい施設でも20〜30人、大きいところで100人規模の施設も稀ではない。単に個々の専門性を向上させて行くだけではなく、その個々を基盤に、組織が総体として質の高いサービスを提供するにはマネジメント職層の育成が不可欠である→職務の全てが専門職が担わされないといけない内容ではないはずだ。職務を、専門的なものと、非専門的な労働力で対応する部分という視点で分析し、効率化を図るべき時期が来た。といまだ危機感の薄いことが言われている。

京極高宣「21世紀に求められる社会福祉の枠組み」
戦後社会福祉の基本理念は、社会的弱者の救済であって、今日的な理念である要援護者の自立生活への支援ではなく、行政措置に全てを委ねられ、利用者の選択権に馴染まず、市民参加や民間活力を活かすものとなっていない。そこで、わが国の社会福祉の基礎構造を規定している社会福祉事業法を抜本的に改正し、措置から利用契約への利用者本位のシステムに転換し、公私のパートナーシップが発揮できるよう、さらに住民本位の地域福祉体制を確立するなど、新たな社会福祉を求めて、基礎構造の改革がなされようとしている。
社会福祉の固有性については、厳密には社会福祉には数多くの民間活動が含まれるので、社会保障部門から相対的に独立した自発的領域があり、全ての社会福祉改革を社会保障改革の中に含まれることが出来ないことは当然である。
社会福祉の基礎構造改革は、その成否いかんに関わらず、戦後一貫して関係者によって取り組まれてきたという経緯を正しく把握する必要がある。その第一に時期は、昭和46年の論議で、社会福祉主事に代わる社会福祉士の立法化を含む様々な論議が出される。第二に、平成2年の老人福祉法など福祉関係8法改正である。そこで在宅福祉サービスの法制度化などがなされる。弟三は今回である。

2007.6.13

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