ムオタタール
スヴォーロフのカール大公への手紙
カール大公宛。
パニックス、1799年10月7日[ユリウス暦9月26日]。
(中略)
私はシュヴィーツから敵が侵入してきた場合に輜重を守るため、兵の残り半分をムテン[ムオタ]に残しました。我々を前後から挟み撃ちにする意図で、マセナがシュヴィーツへ来ました。しかし我々は敵を隘路から追い払い、我々の行軍目的地であるモリスとネーフェルスまで敵を押し返しました[クレンタールの戦闘]。その間、ローゼンベルク将軍は9月30日[9月19日]にマセナ将軍をムテンタール[ムオタタール]から追い払い、10月1日[9月20日]には急ぎ増援をかき集めた同じ敵を攻撃して、将軍1人、1000人以上の捕虜とほぼ同数の死傷者という損失を強いてシュヴィーツまで逃げ帰らせました。
(中略)
スヴォーロフ。
google book "Correspondenz des Suworoff-Rimniksky, Zweiter Theil." p205
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