1800年



 権力の座についたボナパルトは早速軍事組織の改革に取り組んだ。彼は師団の上に新たに軍団という組織をつくり、指揮官の仕事を分散してその負担を減らそうとした。革命によって人数が増え、今や十数万人規模が当たり前となった軍隊を指揮するには、今までの師団方式では無理が生じていたためだ。軍隊を数万人の兵力を持つ複数の軍団にまとめ、より運用しやすくするのがボナパルトの狙いだった。

 ただ、本格的な軍団制度導入はまだ難しかった。ボナパルトの権力は決して安定したものではなく、彼のやり方を全フランス軍に強制するのはこの時点では不可能だったのだ。軍隊は総裁政府の下で地域ごとに軍閥化する傾向を見せており、中でもライン方面軍のモローはボナパルトに次ぐ力を持っていた。彼の反対により、ドナウ河方面で行おうとしたボナパルトの反撃計画は実行に移されることなく頓挫した。

 結局、ボナパルトは手馴れたイタリアの戦場に向かった。彼は試験的に軍団制度を導入し、ランヌやヴィクトール、ドゼーなどがその指揮官の座についた。この時点の軍団制度はしっかりとした幕僚組織などを持たない中途半端なものだった。それでも、このボナパルトによる第二次イタリア遠征はやがて来るナポレオン戦争時代の幕開けとなる戦いだった。


・1800年/戦線

[ライン戦線] [イタリア戦線] [地中海・中近東] [植民地戦争]


・1800年/年表

2月13日フランス銀行設立
6月3日チサルピナ共和国再建
10月1日スペインとサン=イルデフォンソ条約
12月16日ロシア、スウェーデン、デンマークの武装中立同盟成立
12月24日サン=ニケーズ街の暗殺未遂事件



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