1798年



 フランス革命戦争は欧州の戦争であると同時に、世界各地の植民地を巡る戦争でもあった。この年、ボナパルト将軍が行ったエジプト遠征は、まさしく植民地獲得合戦そのものだった。北米植民地が独立した後、英仏両国の最大の焦点と化していたインド亜大陸を巡る現実的な利害の衝突が、このロマンチックな、しかしいささか無謀な試みをもたらした。

 一方、欧州ではフランスの暴走が始まっていた。隣接各国に駐屯していたフランス軍の司令官たちは、それぞれが好き勝手にフランスの衛星国を作ったりその内政に干渉したりしていた。欧州におけるフランスの横暴な行為は、やがて諸列強の間に再度の対仏大同盟を結成しようという機運を盛り上がらせた。

 一方、フランス国内ではナショナリズムというイデオロギーを制度として固定化する動きが進んでいた。その端的な例がこの年に成立したジュールダン法である。世界初の近代的徴兵制度となったこの法律は、やがて皇帝ナポレオンが無尽蔵の人的資源を己の野望のために投入する際の基盤として働いた。権力者は極めて安いコストで軍隊を調達できる「魔法の杖」を手に入れた。


・1798年/戦線

[地中海・中近東] [ナポリ戦線] [アイルランド反乱] [植民地戦争]


・1798年/年表

2月11日フランス軍がローマ占領
2月15日ローマ共和国成立宣言
3月29日スイスが再編されヘルヴェティア共和国に
4月26日ジュネーブ併合
5月11日フロレアルのクーデター
8月19日ヘルヴェティア共和国とフランスの相互援助条約成立
9月5日ジュールダン・デルブレル(Jourdan−Delbrel)法成立
9月9日トルコがフランスに宣戦布告
11月29日ナポリがフランスに宣戦布告
12月29日イギリスとロシア、ナポリの対仏同盟



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