1792年



 「国王(ルイ16世)の提案に基づいて」立法議会が行った宣戦布告は、連合軍の国内侵入によって一気に国民の熱狂に火をつけた。ルジェ・ド=リルが作った「ライン方面軍のための軍歌」は、7月に「祖国は危機にあり」との布告を受けてマルセイユからやって来た連盟兵大隊がこれを歌ったために「ラ・マルセイエーズ」と名前を変えた。ヴァルミーの勝利を見たゲーテは「ここから、そしてこの日から、世界史の新しい時代が始まる」と語った。

 だが、1792年の戦闘自体はまだ古い体質の残った軍隊同士の戦闘に過ぎなかった。フランス軍の中心となったのはあくまで正規軍(かつての国王の常備軍)であり、戦場で部隊を率いた将軍たちも、大半が常備軍時代から指揮を取っていた古参軍人が中心だった。92年秋のフランス軍による勝利は長続きせず、その年の暮れには早くも一部で連合軍の反撃が始まった。


・1792年/戦線

[フランドル戦線] [ライン戦線] [イタリア戦線] [植民地戦争]


・1792年/年表

1月9日ジャシーの講和、ロシアとトルコの戦争終了
2月20日オーストリアとプロイセンの同盟条約調印
3月25日フランスがオーストリア皇帝にエミグレ送還を求める最後通牒
4月20日フランスがオーストリアに宣戦布告
7月11日布告「祖国は危機にあり」
7月25日ブラウンシュヴァイク公の宣言
8月10日8月10日事件、民衆がテュイルリー宮殿を占拠し王権が停止
9月2-6日パリで9月虐殺
9月22日王制廃止、共和制始まる
11月19日ベルギー併合
11月27日サヴォワのフランスへの統合決定



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