筆者:大西 一彰
掲載:『Free Fan』No.30、2000年9月
 
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大衆化時代を迎えたフリークライミングを考える

 大衆化時代を迎えたフリークライミングを考えるなどと言うと、いかにも難しい話に聞こえそうで、この記事に興味を持ってもらえないかもしれない。私自身、難しい話は苦手だが、そうも言っていられないところまでクライミング界はきているのかもしれない。

鬼石「アフター・ザ・レイン」 (photo: Hoshina)

●岩場は変わった
 私はなにを隠そう、クライミング暦20年にもなる古狸であるが(現役でもっと古くて怖いクライマーを私は多く知っている)、私がクライミングを始めたころは、今のようにジムやゲレンデで知り合い、気軽に岩場でクライミングができる環境ではなかった。どちらかと言うと、なんらかの形で山岳会に所属して岩登りをしていた。したがって岩場で登っているクライマーはほとんど顔見知りで、私が知らないクライマーでも、だれか仲間が知っていた。今から思うに、当時岩場は一つのコミュニティーであったような気がする。
 もしなにか岩場で問題が起きても、各山岳会のクライマーが話し合い、すばやく問題解決してきたと思う。それは山岳会内では縦系列で、山岳会同士では横の繋がりがあり、それなりに連絡網ができていたからであろう。
 しかし、今のクライミング界の状況は20年前とずいぶん様変わりしてしまった。
 当時はクライミングをするアプローチは山岳会だったが、今は色々なところからクライミングに接することができ、色々な人がクライミングするようになった。
 それだけクライミングが多くの人に支持され、クライミングを楽しむ人が増えたことは嬉しいことだが、その反面、クラミング人口の増加により岩場での弊害も起こっている。それが今回鳳来湖で起きた問題である、鳳来周辺の岩場に入山するクライマーの増加により、糞尿、駐車などのマナーの悪さが問題となり、一部のエリアが登攀禁止となる最悪の事態になってしまった。この事件は一地方の岩場の問題ではない。どの岩場でも起こりうる可能性を秘めた問題ではないだろか?
 このような問題はだれが良いとか悪いとか言っているレベルではない。個々のクライマーの意識の問題だろう。

●「クライマーの常識」を見直す
 今回鳳来湖の問題で、私はいろいろ思うことがあった。20年間クラミングをやってきて知っていたクライミング界の常識は、他の人や他のスポーツからみて非常識な感覚が多くあったことに気付かされた。
 たとえば糞尿問題。以前なら人目につかない所にしておけば自然が分解してくれると思っていたが、人が増えれば自然能力の限界をはるかに超え、糞とトイレットペーパーで足の踏み場もないくらい散乱しているありさまだ。
 駐車場問題にしても車さえ通れればどこに置いてもいいだろうと思っていたが、これもまた、車が増えれば一車線の離合のできない道になってしまううえ、クライマーは一日中駐車している。こんな状態では、道路を利用する一般の人は迷惑せんばんだろう。
 岩場自体の問題にしてもしかり。無断で人の土地に入り、ルート開拓という名目で岩にアンカーを打ちこんだり、木を切ったり、あげくの果てはロープ等のクラミングギアを残置して帰るなどなど、ハッキリ言って不法侵入等犯罪行為とされてもおかしくないことである。
 こんなことが長い間クライマーの常識としてまかり通ってきたのが現状だろう。こんな非常識なことをしておきながら、各岩場の地主さんはよく登攀禁止にせずにいてくれているなあと、地主さん達の懐の深さに敬服せずにはいられない。
 今回の鳳来問題を機に、全国各エリアにおいても常連クライマーが襟をただし積極的に行動しなければ、鳳来のように登攀禁止になる可能性がある。
 岩場の持ち主との交渉、地元住民との交流、駐車問題の再考、岩場での危険行為の注意などしていかなければならないだろう。
 新しい岩場を見つけて開拓する場合は、地主もしくはその地を統括している自治体との話し合いで了承を得られるまでは登らない、発表しない等配慮も必要だ。
 しかしながら、我々は長い間このような問題に真剣に取り組まなかった(というか、そんな概念も持ち合わせていなかった)せいで、ここにきてツケが回ってきたようだ。小さなことでもいい、時間をかけて一つずつ、これらの問題を解決していくしかないだろう。

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