団報「ビカボシロ」'98春号

ビーバー カブ ボーイ シニア ローバー

http://www.asahi-net.or.jp/~UP2J-KNST/bs.htm

ボーイスカウト渋谷5団 1998/7/11発行

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 (プライバシー保護の観点から、作者名や本文を一部削除しています)

 


巻頭言

団委員長 河井 宏文

昨年の10月より団委員長を冨崎之夫氏から引き継ぎました河井宏文です。団委員になってまだ数年と経験が浅く、団委員長となると少し不安なこともありますが、精一杯努力するつもりです。どうぞよろしくご協力のほどお願い申し上げます。

渋谷5団も41年目に入り、着実な歩みを進めておりますが、これもドミニコ教会の主任司祭、ジラール神父様をはじめ多くの司祭方、信者の方々の支えがあってのことと思い心より感謝申し上げます。また、これらに答えるべく、スカウト諸君が前向きに奉仕活動や研修にと励んでいるのをみるととても嬉しく頼もしく思います。

先日、私の知るところでははじめてのように思いますが、「富士章取得報告会」が催され、柏木昭紀君と大木貴幸君から富士章取得の経緯について詳しい報告がなされました。その中で柏木君の話された「富士スカウトとして思うこと」で、とても印象に残ることがありましたのでお知らせしたいと思います。

「個人が富士になるということなら何とも思わないが、多くの人々の協力によって、また、支えられてなったことを思うと、スカウト達に自分の体験をありのまま、事実を伝えることが大切なのではないか。そして、その結果、次に富士を目指すスカウトがでてくることが自分の役目として一番重要なことではないか」と話された。また、「一般に、富士スカウトというと、『技術がある』『内面的な強さがある』といわれるが、私は、それらは、はじめから持っているのではなく、富士に挑戦するまでには多くの経験を積むのでその過程で技術はついてくるし、内面的といってもその過程の中でできてくるものだと思う。また、今、振り返ってみると、ものをまとめる力、物事の考え方、先を見通す考え方が出来るようになった」と述べられました。非常に謙虚ではあるが人の生き方として本質をついた話にとても深く感じ入りました。

ボーイのスカウトたちにもわかりやすい話に質疑応答も活発に行われ、次代を託するしっかりした若者が育っていることにとても大きな喜びを覚えました。これが、団の伝統なのかとつくづく思いました。

 


春のキャンプ ビーバー 3/28〜29 財団法人 水海道「あすなろの里」

茨城県水海道市大塚戸町310

カ  ブ 3/20〜22 「内浦山県民の森キャンプ場」

千葉県安房郡天津小湊町内浦山3228

ボー イ 3/27〜29 御殿場「御胎内キャンプ場」

シニアー 3/27〜30 大源太キャニオン付近(雪中)

新潟県魚沼郡旭原集落付近

 


★ビーバー隊★

 

ビーバースカウトのキャンプ

**** じろう

 3月28日 土よう日。

 あすなろのさとにいきました。ついせきハイキングをしました。1ぱんと2はんにわかれました。ぼくは、2はんのはんちょうになりました。リーダーがヒントのかみをくれました。きいろいテープをたどってリーダーのところにいきました。

 3月29日 日よう日。

 小どうぶつえんにいって、とりとさるとたぬきとモルモットとやぎとウサギとハムスターを見ました。モルモットと、ウサギは、だっこしました。かわいかったです。1じ15ふんにしゅっぱつするまえに、「2はんちゃんとせいれつしてください。」と、ぼくがいいました。たのしかったです。

 

キャンプにいったこと

** 大

ビーバースカウトではるのキャンプにいきました。いきさきは、いばらきけん、みつかいどうし、「あすなろのさと」です。アスレチックであそんだり、キャンプファイヤーをしました。ぼくは2はんでした。2はんのこやは、さるすべりでした。キャンプファイヤーでは、まさしくんと、ウルトラマンティガとウルトラマンダイナのスタンツをやりました。いちばんたのしかったことは、アスレチックであそんだことです。「あすなろのさと」にまたいきたいです。

 

はるキャンプ

*** じゅんじ

 きいろいテープがあって、しれいがあっていろいろなところに、リーダーがたっていました。それでどんどんすすんでいくと、ゴールでふうせんをもらいました。とってもつかれたけど、たのしかった。リーダーたちがへんなことをしていた。キャンプファイヤーもたのしかったです。

 

キャンプファイヤー

** こうすけ

 げきでナレーターをするのがたのしかった。コマーシャルがおもしろかった。エンバンというはなしでちぇこりさでまねするのがたのしかった。ひがぶるぶるして どきどきした。うたをうたうのがたのしかった。

 

キャンプのおもいで

*** ゆういちろう

 ごはんがおいしかったです。かばんがおもたかった。かえりはでんしゃでかえりました。でんしゃのなかでねちゃいました。キャンプフャイヤーがたのしかったです。

 

あすなろのさとで

***** けんたろう

 キャンプのあすれちっくで みんなとあそんだことがたのしかったです。つぎのひばすでかえったとき みんなでもういっぱくしたいなとおもいました。キャンプファイヤーのあつそうなひが めにうかびました。 

 

春キャンプ

** 孝行

 1日めは、くものトランポリンであそんだのが、おもしろかったです。ほかには、その下にあるあみのあなに、足がはまってぬけなかったのが、はずかしかったです。2日めは、小さなどうぶつえんにいって、うさぎに、さわったりモルモットに、さわったり、りすザルをみました。プレーリードックは、りすみたいに、かわいくて、あらいぐまは、かおとしっぽがかわいくて、りすザルは、木から木へとびうつっているのでいろいろなものを、とってくれるかもしれないとおもったので、かってみたいなとおもいました。

 アスレチックでは、川のあさいところに、足がはまったことです。それでとりかえようのくつをよごしてしまったので、もとのくつに、はきかえて、かえりました。それから、1日めに、しっぽとりをして、1ぱんがかったのがよかったです。

2日めは、ついせきハイキングをしました。ぼくは1ぱんのはんちょうが大せいこうでした。じぶんでじぶんを、ほめているところです。とてもたのしいはるキャンプでした。

 

ビーバーの春キャンプ

**** りさ

 こんかいのキャンプでとくにおもしろかったのはキャンプフャイヤーとハイキングです。ハイキングはきいろいテープをたどってリーダーのところへいくのです。キャンプファイヤーはみんなでげきをしたりうたをうたったりしました。火のまわりでうたったのは、リーダーだけです。ビーバーの人は火のまわりではうたいませんでした。でもきょうの1日たのしかったです。2日目はかえるまえにアスレチックであそびました。またしぜんのいきものや木に、「ありがとうビーバー。」とさけびました。かえるときでんしゃでないてしまいました。だってあたまはくらくらするしおなかはいたかったのです。みんなへとへと。「ママきのうときょうのきゃんぷたのしかったよ。」というとよろこんでくれました。

 


★カブ★

 

春キャンプ

3デン うさぎ ** 太揮

 3月20日、教会から出ぱつした時は、晴れていたけどちばまで行くと中に大雨がふって来た。カブ弁を食べたのは海ホタルでした。アクアラインははじめて通ったのでうれしかった。海ホタルでは、ひこうきがいっぱいとびたっているのが見えて、きれいでした。けんみんの森についてもまだ雨がふっていました。ぼくはその日はぐっすりねられました。

 3月21日は、ぼくがいちばんにおきました。それでまどを開けたらしかがいて、びっくりしました。それからせい服にきがえてたい長に「てんけんしてください。」と言いました。

 この日はハイキングでした。さいしょはじゃんけんしてそのじゅんばんに家を出ぱつします。ぼくの3デンは3番でした。しかのうんちがいっぱいおちていました。赤いテープをたどってみちにそって行きます。中間ポイントでゲームをします。くつがどろに入りました。どろどろになったくつを水であらいたいなとその時は思いました。でもそうしたら、水がくつに入ってびしゃびしゃになってしまいました。もっていたタンクの水は山だから、だんだんつめたくなって、さいごまでのみほしました。ぼくたちの組が3位になりました。ハイキングはちょっとつかれました。でもいっぱいがんばったので、すごくたのしかったです。その日はキャンプファイヤーをしました。とてもいい一日でした。

 22日は帰る日です。バスの中で食べたおべん当はキャンプの中で一番おいしかった。教会に着いたら歌を歌って、さい後もおもしろかったです。がんばりしょうももらっていいきねんができました。たい長、リーダー、どうもありがとうございました。

 

春キャンプの思い出

4デン しか ** 伸剛

 3月20日から3月22日まで、カブスカウトのみんなと、春のキャンプに行きました。バスに乗って、行きました。海底トンネルを走って、海ホタルで夜ごはんのカブべんを食べました。カブべんというのは、おにぎりの中におかずが入っている物です。ぼくのカブべんには、やき肉が入っていました。

 夜、ログキャビンに着きました。その部屋は、ごうかでした。なんとベットでねられるし、だんぼうもあるかららくでした。 2日目は、山登りにいきました。そこの道には、3つのしれんがまっていました。1つめは、21このものがあって、それを30秒で全部おぼえなけれないけないしれんだった。2つめのしれんは、ログキャビンから自分たちのいる場所は、なんKmあるかをしらべるしれんだった。そこで、あめを1つもらいました。3つめのしれんは、ジャンパーでタンカをつくったり、ロープをむすぶくん練をやりました。やどにかえってから、すぐ昼ねをしました。ぜんぜんねれませんでした。

 夜ごはんは、食堂で食べました。思ったよりいっぱい出ました。その中でも、おいしかったのは、えびフライでした。その後、夜間ゲームをやりました。森の中へ入って行きました。まっくらな所で宝物をとるゲームです。ぼくは、もうちょっとで宝物がとれたのに、あたまが木にぶつかって番号のふだがとれて、しっかくになってしまいました。でも4デンは、がんばって宝物を1つとりました。その夜は、おふろに入れませんでした。タオルで、あせをふいたけど、なんだかきもちわるかった。ねる時、まくらのとりあいをしてさわいだから、こうふんしてねむれませんでした。

 カブスカウトのいい所は、まず、身のまわりのことがきちんとできる。つぎに、友だちが親切なこと。さいごに、行動が早いことです。この3つがよくまもれていて「えらい。」と思いました。チームワークがよくできていて、すばらしいキャンプでした。ぼくは、これからも、がんばってキャンプにいきたいと思いました。

 

キャンプ

5デン くま ** 聡木

 キャンプの出発の日は、母さんの仕事なので1人で出かけ、バスが15分予定よりおそかったせいでおくれそうになったけど、重い荷物をしょって思いっきり走ったから間に合った。集合がすぐかかり終わったら荷物をつぎこんで、乗りこんだ。バスの中では、「ファイナルファンタジー」の話をして時間をすごした。むこうに着いたらすぐ荷物を持ってロッジにむかったけどうちのデンのロッジは、1番おくでけっこうこわい位置にあるロッジだったけど、入ってみると、すごくきれいでいい所だったからみんな

「すっげーきれい。」

とおどろきながら言っていた。

ねるじゅんびができたらぼくは、組長会議に出かけた。向こうでは、おかしとジュースをもらったけど、初めての組長会議だからいつ食べたり、飲んだりしていいのかわからなくて、会議が終わったあとで、

「おかしを食べてしまいなさい。」

 と言われたから、口にほうばりながらロッジにもどったら、もうみんなねていました。すぐ着がえてからねました。

次の日は、朝からいそがしくなって大変だった。そうじにふとんたたみ、点検と続いてくるから動きっぱなしで。朝食を食べてハイキングに出発して山や川を通っていくと、山道でうちのデンの山田君が、がけからおっこちて足をかるくだぼくしたけれどへいきだったからハイキングを続けた。第四チェックポイントの野原は、シカのうんこだらけでみんな荷物をおくのをいやがって、おいた人の上にのせるぐらい、いやだった。そこはタンカづくりにもやいむすびを覚えるという所だった。タンカはジャンパを二本のぼうにとおし、山田君をのせました。次のもやいむすびは、大苦せんでした。理由はカブブックもチャレンジブックも開けて読んだおぼえがなかったけどリーダーにおしえてもらって、できるようになった。なんとか第四チェックポイントはクリアしてロッジにもどったら荷物を全部もって本館のほうにはこんで十号室に行ってひるねの時間になりました。だけどだれもねないでペチャクチャとしゃべっていた。それにも理由がある。四デンと五デンのデンつきコーチがおかしをたなに入って食べていたからです。中に入っている時に、ロープでしばってあけられないようにしたりして遊んでいた。

夕食の後、やかんゲームをしに森に出発してついた所で三つの宝を取ってくるというゲームです。頭に数字がかいてあるカードをつけて宝を取ってくるんです。最後の最後で木にぶつかって、帰ると中に木に足をぶつけてさんざんだった。でも、頭より足の方がずっといたかったけど。

 次の日の朝、朝食の後七号室から十二号室までろうかをそうじしました。けど、一号室十二号室までやってしまいました。点検したあと荷物をバスにのせて、帰りました。すごく楽しかったな。自然がいっぱいあったからな。

 


★ボーイ隊★

春キャンプ

関水 和則

今回の春キャンプでは、前回の2人だったキャンプから、何と7人も班員が来てくれたおかげで、とても楽しいものになった。

初日、バスでキャンプ地に着いたものの、あいにくの雨で少し不安だったが、すぐに晴れてくれた。が、設営の際、度重なる激風のせいで、特にマーキー設営はかなり苦しいものになった。

また、この晩なんと温泉に入ることができた。ボーイのキャンプでこんなことがあるとは、誰が思ったことだろうか!とにかくこのキャンプで一番おいしかったのがこの温泉であることを言っておこう。2日目、班員7名という充実した環境のおかげで、自分はボーイ最後の班長生活を思い残すことなく堪能できた。この日の最大のイベントとして、きつねのしっぽ取りゲームがあった。

自分のカリスマと策略値が低かったせいか残念ながら、あまり良い結果を残すことができなかった。今回のキャンプではこれからのために指導の仕方を極めようと目標を立てたのに、班員が誰も守ってくれなかったために負けた、というのはあまりに惨めだった。しかし、自分は王様よりも大臣に向いている。と考えすぐに立ち直ることに成功した。

今回のキャンプが、事実上ボーイ 隊トキ班として最後のキャンプだったが、結果として充実したキャンプだったと思う。自分の考えを班員に託し、これで思い残すこともないといえよう。

今回のキャンプで得たことを使い、上級班でも更に頑張りたい。

最後に、楽しいキャンプを計画してくださった、吉沢隊長、佐竹隊長、鈴木副長、並びに他のリーダーの皆さん、ありがとうございました。

 

初めての経験

梶井 剛

今回のキャンプで僕は、班長という仕事をまかされたのでした。

行く前は何もかもが心配でした。

キャンプ地へ着いて空を見ると、荒れている様子でした。小雨も降っていました。

僕の心の中は、(もし失敗したらどうしよう)そんな気持ちでした。

キャンプ地での設営が始まり、いよいよ、キャンプスタートかと思われたが、いきなりの強風でマーキーもうまく張れませんでした。その時、第一の事件発生、マーキーにかぶせるフライがやぶれる、これは、もう終わりかと思いました。

でも直しかたを教わり、なんとか立ちかまどもつくり設営を終わりました。

食事に使う火も起きて、すべてがじゅんちょうでした。

僕が一番不安だったのが班長会議でした。何をやってよいのかもわからなく、ほかの班の班長のしぐさを見て覚えて行きました。

自分自身に良い経験になったと思います。

二日目、この日は班もまとまりがでて来て、チームワークも良くなって来ました。

僕たちの班の目標は、この人はこの仕事だけと言うのではなく、みんな同じ仕事を同じ回数だけやるという事にしたので、もう水くみはいやだと言う人がいなくてよかったです。その日の夕方に入ってからは、班の中から、「つかれるけど楽しいですね」と言う声が聞こえてきたので良かったです。

うちの班の良い所と悪い所を発表します。良い所は、チームワークと笑顔でした。悪い所は、笑顔が多くなり手の動きが、にぶる事でした。

自分では満足の行くキャンプだったと思いました。

自分では、班員に僕の知っている知識をほとんどおしえこんだと思っています。自分の班長としての実力があまりなかったけれど、それをわかってくれた班員が必死にやってくれました。

僕は自分自身を支えてくれた班員に一言「ありがとう」と言いたいです。

 


★シニア隊★

「雪中キャンプの初めての体験」

小林 暁

 今回のキャンプでは初めての体験が多かった。その中で一番印象に残っているのはイグルー作りだ。イグルー作りでつらかったことは、一つはとても体力がいること。最初はとても気合いを入れて頑張って作っていたが後半になってからは体力がなくなり無口になっていった。もう一つは、オーバーミトンをつけているにもかからわず、手がつめたくなってとてもいたくなったことだ。イグルー作り以外にザイル訓練も初めての体験だった。

 最初、訓練場所を見た時、落ちるのがこわかった。訓練相手は神田さんで、神田さんは一回で成功したが僕はなかなかできず十回ぐらいでやっとできた。できなくてとてもくやしかったが、できた時はとてもうれしかった。このキャンプでの反省は人にたよらないで何に対しても自分から積極的にとりくむことがあまりできなかったことだ。この反省を来年のキャンプに生かしたい。

四日間楽しく過ごすことができたので雪中キャンプに来られて良かったと思う。

 

「隼章挑戦キャンプ」

西垣 昌徳

 隼章に挑戦しないかという話を持ちかけて下さったのは川越隊長だった。この話の

答えを出すのに余り時間を必要としなかった。

 以前から一人で二泊三日以上のキャンプを一人で行ってみたかった事と、何より最

後のシニアー隊として意地でも取得した方が良いという考えがあったからである。

「はい、挑戦しましす」という返事と同時にキャンプでの内容がすでに頭の中で回転

し始めていた。

 今回は三月の新潟で野営するということだったので、冬→テント→寒い→雪がいっ

ぱい→雪洞という感じで、内容もすぐに決定。当日隼挑戦に行く日は、思ったよりも緊張していなかったと思う。自分の自由にやれるという意識が余分な力を抜いたのだろ

う。隊と合同で現地に行き、途中で本隊から抜けて個人でキャンプするというスケジ

ュールだった。

 掘っている間は何も考えず、ただ僕の頭脳の中に納められている設計図と手足が連動して一つになって動いていた。

 雪が足らなかったために、最初の計画の雪洞とは違った物になってしまったが、それはそれでまたいいものが出来上ったと思う。

 昼は太陽の炎の矢のような日射しから守り、夜は外の身を刺すような寒さから隔離してくれた。雪洞の中はもう一つの別の空間で、とても快適であった。

 さきほど述べたが、個人キャンプというのは、自分の判断の下で安全だと思えば、何をしてもいいのだ。だから、朝礼している。後で隊長にニラまれたが……。

 なぜ、こんな事を述べるかというと、“自由”というのはとても魅力的な響きを秘めた言葉だが、同時に鋭い棘も持っている。

 自分のとった“自由”な行動には、必ず“責任”もついてまわる。僕はこの挑戦キャンプで痛烈にこのことを実感した。

 自分が何をしても誰も何も言ってくれないので、自分で全てを管理しておかないと命取りになる。

この隼章挑戦キャンプは、自分の行動についてまわる“責任”という事を改めて再認識したキャンプだった思う。

 

「雪中プロジェクト実行委員長として」

ハヤブサ班 河井 久直

 シニアー隊の一月から3月の年間プログラムである『雪中プロジェクト』の実行委員長に決まったのは去年の暮れでした。

初めて参加する雪中キャンプで、そのプロジェクトの実行委員長となったので、私で大丈夫なのかという不安で一杯でした。

大きなプロジェクトでは企画書、計画書がとても大切で、私も作るのにとても苦労しました。隊長や神田さんから何回も注意されたことは、「企画書、計画書は、作成者が当日欠席になっても、それをみればスムーズにプログラムを実施できるように書かなければならない。」ということでした。

企画書、計画書の項目である予想される障害と対策では、普段生活する上でそんな事を気にもしないで全然思いつきませんでした。隊長や神田さんにアドバイスをしてもらいながら何回も考えなおしました。

3月27日から30日のキャンプのうち28日から30日までは、私が隼挑戦キャンプに参加するので、隊キャンプは神田さんにお願いしました。まさにここで、私の作った計画書の出来栄えが問われるところでした。神田さんに、実際に計画書に沿って実施してどうだったかを後から伺うと、「不足部分はないとは言えないが、いいんじゃないの。」といわれたので、ひと安心しました。

私は今回実行委員長を経験して、キャンプをスムーズで且つ安全で楽しいものにするためには、企画、計画段階が大切だということがわかりました。

私は報告書に、隊長や神田さんにアドバイスされたことや経験したことなども一緒に載せたいと思うので、今後の実行委員長はぜひ参考にして欲しいと思います。

 


★ローバー隊★

「キャンプ in 松原湖」

田中 淳

 今回のキャンプはローバースカウトとして参加する初めてのローバーのキャンプだった。今までスカウトとしてのキャンプを何度も、リーダーとしてのキャンプを何度か経験してきたが、ローバースカウトとして参加するキャンプというものがどういつた物なのか、私には皆目見当もつかなかったため、期待する反面、大きな不安を抱えていた事もまた事実だった。

 今回のキャンプで私が一番期待していたのが、冬山の登山だった。今までまったく経験した事のない未知の領域であったためである。個人装備を背負ったまま、登山する事さえままならないのに、雪の中を進んでいく。その為にスパッツやオーバーミトンのような専用の装備をするときは、何か特別な感覚が生じて、たまらなくうれしくなる。が、それと同時に非常に寒いと聞いていたため、私がはっきり言えば、樹さんや新井さんの「お荷物」にならないかどうか、実に心配であった。

 キャンプ初日がその登山である。スキー場のふもとから出発し、スキーヤーやボーダーの目を気にしつつ、スキーゲレンデの脇をとおり、一番高いリフトのところまでいく。実は、それだけで私はつらかった。だが、本番はそこから先の本当の深雪地帯をいくところである。リフト降り場のところで登山のための準備兼昼食をとるのだが、その時に私はわかんを装着しなければならなかった。先輩御二方は、何やらかっこいいスノ一シューとやらを使うのだが、私は木製で止め具が別になっているわかんを使う事になつた。そのわかんを装着するのが、一苦労だつた。両足履くのに30分はかかったであろうか。私は研究不足からこのわかんがどんなに役に立つものなのか、まだこの時には知る由もなかった。 準備が整うと、いざ白駒池目指して出発した。比較的歩きやすそうなスノーシューを履いた先輩が先に歩いてラッセルしてくれたために、はじめの傾斜のないところは歩きやすかつた。が、幾ばくもしないうちに、斜面の傾斜はきつくなり、ラッセルしたところだろうが、なかろうが、とにかく上っていくので必死にならざるを得なかった。そうなると、今まで歩きやすそうに見えたスノ一シューは滑り始め、かえってわかんのほうが歩きやすそうであった。

 私は、わかんを譲っていただいた事に感謝しながら、一歩一歩踏みしめ、登っていった。

 小休止をはさみながら、4時間くらい経ったであろうか。中間地点である剣ヶ峰に到着したと思われた。実際は少し離れた場所であったのだが、その小高い山の山頂の猫の額ほどの広場に出た時の感動たるや、筆舌につくし難いものがあった。はいつくばるようにして山を登り、下ばかり見ていた私たちの頭上から、突如として光が差し込める。山頂が近い事が分かると、急ぐようにしてーつ小さな林を抜けた。その先に見たものは、行く手を阻む大きな谷とその向こう側にそびえ一面冬化粧をしている八ヶ岳の山々だった。そのあまりに広大な景色に圧倒され、私たちはしばし無言になった。私は感無量だった。

 はるか向こうに目指す白駒池がかすかに見える。現在地点が中間点にも満たない事を知ったときは、それまでの苦労は一体なんだったのかという疑問が持ち上がったがそれよりも景色に圧倒されるほうが大きかった。

 しかし、既に夕方5時過ぎであり、日が暮れるのも近い。私たちは景色を堪能するとその後の進退を決めなくてはならなかった。白駒池までこのまま進んでしまう方法その広場で一夜を過ごす方法、登って来た山を降りてスキー場近くで一泊する方法。今まで通つてきた道がほとんど人が通ってきた事のない道であると推測されるため、この後暗くなってから道なき道を行くのは危険である事、また、山頂で一泊するのは風や状況が把握しにくいと言う事から結局下山する事にした。

 降りるのは簡単なものである。今まで4時間かかって登ってきた道をわずか1時間足らずで降りきってしまうのだ。日が暮れてきていて少々心配ではあったが、そんなに急がなくても、スタート地点であったスキー場まではそう遠くはない。ナイターを行っていないため照明はついていなかったが、スキー場に出たときは少し安心した気がした。

 なぜ、目的地の白駒池まで到達する事ができなかったか。まず、道が非常に悪かった。

 白駒荘の管理人の話によれば、スノ一モービルも通れるような道だと言われていたそうだが、木々が立ち込める林を抜けていくのは非常に困難だ。いくら何でもあの道をスノ一モービルが通るのには無理がある。まして、荷物を背負った人が通るのは、時間がかかりすぎてしまう。更に、荷物の重量を考えていなかったと言う事。スキー場を登り終

 

えるのにも疲れてしまうほどの重量の荷物を背負って、冬山を登る事は困難極まりない。その事をよく考えずして、挑戦してしまったのは、浅はかであったと言うべきか。また、スノ一シュー、わかんの扱いについてもっと勉強しておくべきであった。どんなところに適しているのか、どうすれば歩きやすくする事ができるのか、またその大前提として、いかにしてうまく履く事ができるのか、これは主としてわかんについてだが。

 いずれにしても、ひとかどの苦労を味わい、その後に見えた大自然に感動した時の気持ちを私は忘れる事ができないと思う。また、白駒荘にたどり着く事ができなかったと言う悔恨の念は拭い切れないものがある。また来年再挑戦したい。その時には、今回の苦労と反省をもとに新たな計画を練り、目的地に到達できるよう、最善を尽くすつもりである。二日目、三日目は主に松原湖の周辺で活動したが、それについては他の参加者の物をご覧いただきたい。

 最後になりましたが、今回のキャンプの参加者の方々、キャンプのために協力していただいた方々にお礼を申し上げ、また、再度冬山登山に挑戦する事を誓い、終わりとさせていただきたい。

 


富士スカウトになって

柏木 昭紀

今年1月渋谷5団3人目として富士章を東京連盟より授与されました。この富士章を取得するまでの道のりは自分で言うのも何ですが、決して楽なものではありませんでした。そこで今回、先日行った富士章取得報告会の内容をもとに今後の富士章挑戦者のためにも富士章取得の報告をさせていただきます。まずは、富士章を取得する前の段階の、なぜ富士章を取得しようと思ったかです。これは、今回富士章に挑戦する上で特に重要で、指導していただいた松本秀夫前シニアー隊隊長と何度も話し合ったことでした。この部分が自分自身でわかっていないと富士章取得への目標も定まらないのです。僕も、シニアー隊に上進した時のことを考えると、“富士!!”という感じで、取得不可能なものと考えていました。しかし、松本隊長は、技能章を2つ持っている僕を見て「富士取れるじゃん」と軽い一言に僕は、「え!」と答えるしかありませんでした。また、渋谷5団2人目の富士スカウトである大木副長と共に活動し少しずつ富士への感じ方が変わっていきました。そして、昨年1月に隼章を取得し、また、シニアー隊内でも最高学年となり活動をリードしていく中で、スカウトの頂点というものを意識し始め時間的余裕もあった僕は、スカウトの頂点に立ち、後輩スカウトをリードしていこうという考えが自分の中でまとまり、富士章に挑戦しようと決意しました。この決意により、昨年4月富士章への挑戦が始まりました。富士章取得のためには、単独移動野営(自分で企画・計画したものを1人で実施するもの)と、個人プロジェクト(自分で興味のある事柄を作品ができる程度まで深く研究するもの)の2つの大きな柱がある。僕は、単独移動野営は“雨”の箱根芦ノ湖を2泊3日し、個人プロジェクトは『食品保存と栄養の研究』と題し、味噌など昔からある保存食品やカップスープのような新しい保存食品の源である、“食品を保存するって何?”というところから研究し始め、ボーイスカウトの野営などで活用できるように栄養についても研究しました。レポートは、200ページにもなりました。このレポートは、団本部内のシニアー隊の棚に入れてあります。

さて、4月に始めた富士章挑戦プロジェクトは、苦心の末11月に無事終了することができました。そして、渋谷地区、東京連盟の面接を受け、冒頭にも書きましたが今年の1月に富士章を授与されました。この時、団内では既にローバー隊に上進し、ボーイ隊の指導者として活動しており、実際にシニアーの制服を着ての活動はありませんでした。しかし、東京連盟主催の食事会、日本連盟主催の「富士の集い」での、皇太子殿下への御接見、橋本内閣総理大臣より励ましの言葉をいただく行事、そして、今年は日米スカウト交歓計画として、アメリカのイーグルスカウト(日本でいう富士)と、日本の隼・富士スカウトが「日米スカウトフォーラム」と題し、21世紀について話し合う会議に、シニアーの制服を着て参加いたしました。この会議は、ボーイスカウトとしてだけではなく、自分自身にとっても勉強になるものでした。それは、アメリカと日本の習慣や教育制度の違いかもしれませんが、消極的で、あまり発言しない日本のスカウトに比べ、積極的で物事をまとめる力、リーダーシップに優れたアメリカのスカウトが多いということを目の当たりにし、日本の富士スカウトも世界で発言できるようにもっと積極的になるべきだと思ったからです。この行事は後5年は続くと聞いているので、もし東京連盟より誘いを受けたスカウトは是非参加してもらいたいと思います。

様々な行事も終わり、何度か富士スカウトについて考える機会がありました。それは、富士スカウトとはいったい何なのか?また、富士スカウトがなぜ必要なのか?ということです。自分なりの考えとしては、富士スカウトと聞くと進級の頂点、又は技術があると考えがちですが、確かに富士章に挑戦する上で身に付く技術はあります。しかし、富士スカウトとして一番身に付くものは精神力だと思います。外見ばかりでなく、周囲との対応など内面の精神力も備わったスカウトが理想の富士スカウトではないかと思います。また、自分が今まで備えた技術をより多くのスカウトに伝えることにより、より良きスカウトの育成につながると思うので、そこに、富士スカウトになる必要性があるのではないかと思います。

最後に、今回の富士章挑戦プロジェクトは、松本秀夫前シニアー隊隊長を始め、団内や団外の多くの方々に協力していただきました。それは、渋谷5団という団の大きさと、周囲の方々の協力無しには何もできないということを実感させられるものでした。これから、シニアーはベンチャーというカリキュラムに変更され、渋谷5団内にも多くの富士章挑戦者が出てくると思われます。その時には、多くの方々の協力が必要になりますので、是非協力してあげてください。

 


登録状況 平成10年度 登録状況 : 261名

 

  団委員 ビーバー カブ ボーイ シニア ローバー
スカウト   18 43 51 21 24 157
リーダー 14 17 38 17 12 6 104
14 35 81 68 33 27 261

 

 カブ隊、ボーイ隊は2隊構成です。 (平成9年12月31日 現在の登録者数)

 


皆様のご協力でやっと出来上がりました。皆初めてなもので、前のものを参考に手探りの状態で仕上げました。山本 悟君の協力で形が整いました。皆様、ありがとうございました。

広報一同


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