鹿児島

 

沿革

昭和18年 4月 1日 鹿児島海軍航空隊開隊、予科練教育を開始

 

鴨池公園

鹿児島県鹿児島市

鹿児島海軍航空隊 貴様と俺の碑/右の石柱の七つの穴は予科練の七つ釦を表している

碑文

鹿児島海軍航空隊戦没者の霊に捧ぐ

過ぐる日ここに渚があった 白砂と老松と静謐とがあった 鹿児島海軍航空隊がこの地に開設

されたのは太平洋戦争さなかの昭和18年4月である 急に慌しくなった まだ童顔の残る十六

七歳の少年たちが 祖国の危難を憂いて集まった 各種の飛行練習生として短艇を漕ぎ陸戦に

励み 操縦を学ぶなど基礎訓練を重ねた その数は最盛期七千人 敗戦まで七千人などである

その間米軍の空襲に遭い また転出先からの迎撃戦や特別攻撃で戦死した基地出身者は千二

百八十人に上った 戦後繁栄の裏側に遠のいた彼等の犠牲を 生き残った者としてはいつまで

も忘れないでいる

 

指宿国民休暇村

鹿児島県指宿市

指宿海軍航空基地 愛惜の碑

碑文

君は信じてくれるだろうか この明るい穏やかな田良浜がかつて太平洋戦の末期 本土最南端の

航空基地として琉球弧の米艦隊に対決した日々のことを

拙劣の下駄ばき水上機に爆弾と片道燃料を積み 見送る人とてないこの海から満感をこめて飛び

たち 遂に還らなかった若き特別攻撃隊員が82人にも達したことを

併せて敵機迎撃によって果てた百有余人の基地隊員との鎮魂を祈ってここに碑を捧ぐ

横たはる松は知らねど田良浜や つはものどものこの夢の跡

 

海軍飛行予科練習生 特乙九期第一〇三分隊 訓練の地

 

予科練

更新日:2001/12/16