鹿児島

 

 

略史

昭和 7年       鹿児島市営の水陸両用飛行場として開設

昭和18年 4月 1日 開隊、練習航空隊として予備学生、甲種予科練の教育を担当

昭和19年 5月15日 小富士分遣隊を開設

昭和19年 7月 1日 小富士分遣隊を福岡空へ移管

 

昭和20年には戦況の悪化に伴い空襲を受け、基地機能は失われていった。

 

鴨池公園

鹿児島県鹿児島市

貴様と俺の碑

碑文

鹿児島海軍航空隊戦没者の霊に捧ぐ

過ぐる日ここに渚があった 白砂と老松と静謐とがあった 鹿児島海軍航空隊がこの地に開設された

のは 太平洋戦争さなかの昭和18年4月である 急に慌しくなった まだ童顔の残る十六七歳の少

年たちが 祖国の危難を憂いて集まった 各種の飛行練習生として短艇を漕ぎ陸戦に励み 操縦を学

ぶなど基礎訓練を重ねた その数は最盛期七千人 敗戦まで七千人などである

その間米軍の空襲に遭い また転出先からの迎撃戦や特別攻撃で戦死した基地出身者は千二百八十人

に上った 戦後繁栄の裏側に遠のいた彼等の犠牲を 生き残った者としてはいつまでも忘れないで

いる

 

貴様と俺の碑/昇天する搭乗員の像

 

奉納歌碑

碑文

明日は征く いのち語らず たらちねの 母とひろげす 松の根方に

 

鴨池緑地公園

鹿児島県鹿児島市

赤心の碑

 

赤心の碑

 

鹿児島海軍航空隊 隊歌

朝日に映ゆる高千穂の 聖き姿を振り仰ぐ

溌剌若き飛行帽 希望は溢る空万里

無敵の誉れ堂々の 鹿児島海軍航空隊

 

神風特攻隊

更新日:2012/09/01