楠公精神 小楠公史蹟

 

桜井駅跡

大阪府三島郡島本町

桜井駅

 

  

「滅私奉公」碑 楠公父子像(旧像)                   「滅私奉公」碑 楠公父子像(新像)

桜井の別れ

楠正成は湊川出陣に当たり、桜井駅において11才の正行に「どこまでも正統の天皇をお守りせよ。それが

父への孝行になるのだ」と言い残し出陣した。

足利尊氏に破れた父・正成の首が届けられた時、後を追って自決しようとした正行は母に「父上の遺訓を忘

れたか」と懇々と諭された。

正平3年(1348)1月5日、足利尊氏の腹心・高師直の率いる八万の兵に対して、楠正行は三千の兵を率い

四条畷において迎え討ち、先陣を打ち破ったものの多勢に無勢では如何ともし難く後方との連絡を絶たれ、

深野池の東北・葦の繁れるところにて弟正時と刺し違え自決して果てた。時に正行は23歳。

四条畷の決戦に先立ち、死を決意した正行は後村上天皇に拝謁し最後の別れを告げた。天皇から「無駄死

をしないように」と諭された正行は感泣し、京都・如意輪堂に一族143名の名前を留め辞世の歌を残した。

かえらじと かねて思へば あずさ弓 なき数に入る 名をぞとどむる

 

四条畷神社

大阪府四条畷市

四条畷神社

ご祭神

楠木正行(楠木正成の嫡男)はじめ256柱

 

    

楠公慰霊塔

武士の堅き心は桜ばな ちりての後ぞ人や知るらん

 

  

有源招魂社                                        御妣神社

 

  

楠木家の家紋 菊水

 

  

楠木家の家紋 菊水

 

小楠公墓所

大阪府四条畷市

小楠公墓所

 

    

小楠公墓所

当地はかつて深野池の堤防であったという。

 

  

楠木家の家紋 菊水

 

楠妣庵観音寺

大阪府富田林市

大楠公夫人・小楠公像

 

  

大楠公夫人・小楠公像

 

宝筺院

京都府京都市右京区

小楠公首塚

 

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更新日:2009/07/19