戦時徴用船 くらいど丸

 

略歴

大正 8年10月29日 起工

大正 9年 4月16日 進水

大正 9年 5月18日 竣工、國際汽船株式会社に所属

昭和 9年11月28日 石原産業海運に売却

昭和10年 9月13日 南洋海運に売却

昭和18年 1月 5日 陸軍51師団の進攻輸送作戦に参加(ラバウルより出陣)

昭和19年11月30日 ミ29船団(陸軍高射砲隊を乗せ門司出港、高雄経由でシンガポールへ

昭和20年 1月20日 歩兵四六連隊第二大隊を乗せ門司出港、台湾基隆へ向かう

昭和20年 1月29日 台湾海峡にて米潜の雷撃により沈没

 

長崎縣護國神社

長崎県長崎市

    

くらいど丸戦没者慰霊之碑

碑文

(前略)八隻の船団は三隻の海防艦護衛の下に 昭和二十年一月二十日門司港を出向す 途中

敵潜水艦の跳梁を○○ 黄海を経て大陸沿岸を南下せり 船脚の遅々たるなかにも将兵の士気

益々旺盛なり

斯くて台湾海峡を横断し 愈々基隆上陸まで三時間の目前にして上陸準備を整え将に朝食につ

かんとす そのとたんくらいど丸は突如敵潜水艦の魚雷二発の連続直撃を受け 忽ちにして危急

の事態に陥る 時に昭和二十年一月二十九日早暁午前六時三十分

その直撃弾による戦死傷者多数に上る 危ふく船体を離脱したる者は相互に呼応し 且つ負傷者

を激励しつつひたすら救助船を待つも折悪しく激浪逆巻き 五体も凍る寒気のため救助意の如く

ならず 多くの者は痛ましくも海中に没し去り その戦死者及び海没死亡者の合計一、一〇七人

に及ぶ(内船員五七人)

抑々戦闘に身命を賭する軍人として 又船と運命を共にせんと期する船員として 水漬く屍も厭わ

ずと雖も その志半ばにして 敵に一撃だに報ゆるに至らず 身を荒海の底に没す 無念の心情

誠に察するに余りあり

茲に生存の戦友及び有志相図り 各方面の支援を得て くらいど丸遭難戦没者の霊を慰め 同時

にその悲愴なる献身の事跡を顕彰し 世界人類の恒久平和を祈念して 再び斯かる惨事を繰り返

さざらんことを 後世に語り継ぐべくこの碑を建立せり

 

  

くらいど丸戦没者慰霊祭 記念樹                くらいど丸戦没者慰霊顕彰会 奉献参道舗装

 

戦時徴用船

更新日:2004/10/30