川棚空襲

 

昭和20年7月31日、午前10時過ぎ、米B29爆撃機7機が低空飛行で川棚町に来襲。投下された

爆弾の殆どが国鉄川棚駅の下り遠方信号機から鉄橋の間に落ち、鉄橋の脚が痛んで汽車は一週

間ほど鉄橋を渡ることができなかった。

この爆撃の目的は交通網の遮断だった様で、国鉄の鉄橋・線路等が爆撃の目標とされた。

この時の死者は全部で69人。     

川棚には海軍工廠が有ったが 、米軍機パイロットの地図には「ビール工場」記載されていたとの事

で、 終戦に至るまで空襲は受けなかった。

 

尾山共同墓地

長崎県東彼杵郡川棚町

無縁者之墓 …川棚空襲の無縁死者を合祀

 

都市空襲

更新日:2011/06/25