甲飛第十三期殉國之碑保存顕彰会

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会報「總員起こし」  第21号/平成 5年

久保 吉輝

奈良空−回天 (光)−轟隊(伊363)−回天多聞隊(伊363)

「五十年ぶりの兵舎」

 

待ちに待った「入隊五十周年記念全国大会・第二十回慰霊祭」は、全国津々浦々より馳せ参じて呉れた同期の諸氏の

参加を得て賑々しく盛会のうちに無事終了した。

これは総て、一年余り前より緻密な計画と献身的な奉仕で奮闘された役員諸兄と行事進行にご協力を頂いた参会者諸兄の

賜物と感服しております。

小生は、軍艦旗を染め抜いたエプロンを着て、応援いただいた汐見君のご友人たち、主計科の同期皆さんに

深くお礼を申し上げ、後始末もそこそこに、天理の旧兵舎行きのマイクロバスにとび乗った。

懐古談と酒気の充満した賑やかなバスは一路北へ、天理へ夜道を疾走する。談笑の裡に五兵舎(兵神詰所)に到着、

それぞれ割当てられた部屋に、破れを切り貼りした障子を開けて入る。

鴨居に吊った杉板の手箱棚、三吋釘を打ちつけた帽子掛け、床藁ののぞいてる破れ畳、煤けた天井等々、

何もかも五十年前と寸分達はない。

部屋の中央にある石油ストーブと裸電灯の替りの螢光灯だけが、当時とは違っている。

五十年前にタイムスリップした小生等奈良空組は、棚や壁をなでまわし、あちこち覗き込み、暫し無言で古い記憶の糸を

手操っていた。

今にも班長の怒鳴り声が聞えて来るような気がする。

「お前らエライ所に居ったんやァ」と感心したり、珍らしがっている鹿児島空出身の面々、暫し兵舎談義が各所でおこる。

四月と云うのに、破れ障子の夜の冷気のせいか、ストーブの困りには期せずして円陣が出来る。

大会本部心尽しの夜食用おにぎり、ワンカップやバスを臨時停車させて仕入れた一升ビンをチビチビやりながら

昔話に昔噺の華が咲き、巡検も消灯時間も忘れて話は尽きない。

ふと気が付くと、飲み疲れた連中は上衣も脱がずに、魚河岸のように転がっている。

一人減り、二人減り遂に全員何時とはなくダウンしてしまった。

咽の乾きで、ふと目を覚ますと、六時前だった。

齢の所為か早起き組は、「イビキ・ネゴト・ハギシリ等賑やかなのに、よう寝てるなァ」とあきれたように感心していた。

板戸の厠で、昨日来のアルコーールを充分含んだ爆弾を投下し乍ら、仕切られた空間を眺めると、よく拭き込まれた

黒光りする壁板や床板と対象的に、ごく最近取り替えたと思われる水洗便器が、何んとも白く冷たく、五十年前のあの香気が

感じられないのが、淋しい様にも思われた。

新築の食堂で朝食を頂き、出発までの時間を利用して周辺を散歩に出掛ける。

先ず十ケ月間世話になった隣りの旧四兵舎を訪れたが、建替えられて昔の面影を止めるべくもなく、向いの旧奈良空司令部及び

一区本部のあった建物を尋ねる。

往時のまゝの立派な構えも少々くすんでいるが、前庭の桜が丁度満開であった。

記念の写真をパチリ、係の方の話では、当時の遺物はないが大金庫だけは海軍さんが置いて行かれましたヨ。との事だった。

他の兵舎も、門構え以外は大体建て替っていた。

カッターの替りに和船の漕ぎ方を教った溜池も埋立てられ、向いにあった通信講堂も見当らない。

JRの丹波市駅も近鉄天理駅と共に高架になり、駅名も天理に変っていた。

定刻前になったので付近散策を打ち切り帰隊する。

全員中庭に整列し、宿舎の職員に敬礼し、代表して浅山君がお礼の挨拶をし、迎えのバスで懐しの兵舎を後に、「帽振レ」。

帰途、巨大な木造建築物の天理教本部を表敬参拝し、山の辺の道を南へ、明日香の石舞台を見学し、

予定通り橿原神宮大鳥居前に到着した。

充分な根廻しと周当な準備により、この企画をお世話頂いた大和高田の島田伊三郎君と中尾藤夫君に心からお礼申し上げます。

なお小生の忘れ物の為に多大のお手数をお掛けしました。本当に有難うございました。

 

旧奈良空司令部及び一区本部のあった建物で

 

久保 吉輝

更新日:2007/10/13