金属供出

代替梵鐘

 

昭和13年、政府は戦局の悪化と物資の不足、特に武器生産に必要な金属資源の不足を補うため、鉄鋼配給規

則を制定する一方、不要不急の金属類の回収を呼びかけ声明を発表。

宗教施設も例外では無く寺院の梵鐘も数多く供出されたが、鐘楼は梵鐘の重量でバランスを保つ構造になって

いる事から崩壊の危険が有り、多くの寺院では石・コンクリート等で作られた代替梵鐘を吊り下げた。

 

各寺院から供出された梵鐘

 

各寺院から供出された梵鐘

 

各寺院から供出された梵鐘

 

金属供出で集められた梵鐘

 

興徳寺

福島県福島市

戦後、代替梵鐘として使用された松根油釜

由来

太平洋戦争の末期、燃料欠乏に対処する国策として、松野の根を乾溜して原油を採取する

施策を決定した当局は、町村長に対し「現下航空決戦緊急需要に対処する為、操業日数月

三十日を目途とし全乾溜機能を遺憾なく発揮せしめ、生産倍加に格段の御配慮相成度」と

供出目標の達成を厳しく督励した、

この当時土湯村は、字坂ノ上八番地旧グラウンド跡地に松根油製造工場を築造し、二基の

乾溜釜を操業して生産活動を続けていたが、原料の松根は、連日空襲下の銃後にあって村

を守るのは主婦と老幼のみで、この労働力を動員して松の根掘りの過酷な作業に当たらせ

たが、昭和二十年八月十五日終戦となった。

この釜は、聖徳太子堂の梵鐘が金属回収令に基づいて供出させられ、昭和四十六年再鋳さ

れるまでの間、村に平和の音を響かせて梵鐘の代用を勤めたもので、ここに歴史の証言と

して安置するものである。

昭和六十二年五月  土湯山興徳寺 土湯温泉観光協会

 

蓮昌寺

東京都葛飾区

コンクリート製の代替梵鐘

 

中道寺

東京都杉並区

コンクリート製の代替梵鐘

 

大応寺

埼玉県富士見市

コンクリート製の代替梵鐘

 

明円寺

長野県長野市

ドラム缶にコンクリートを詰めた代替梵鐘

 

称名寺

長野県上水内郡信濃町

を吊るした鐘楼

刻銘

梵鐘記念 昭和十七年十月

 

いいづな歴史ふれあい館

長野県上水内郡飯綱町

徳満寺 コンクリート製の代替梵鐘

刻銘

昭和十七年十月四日 梵鐘供出 徳満寺

 

大運寺

岐阜県大垣市

コンクリート製の代替梵鐘  ※愛知県一宮市・勝寶寺と同形式

刻銘

祈必勝大東亜戦争祈皇軍将士武運長久  昭和十八年三月

 

阿弥陀寺

岐阜県不破郡垂井町

コンクリート製の代替梵鐘

説明文

コンクリートの代替梵鐘は戦後五十年間鐘楼を守ってきた。

ここに鬼瓦と共に永久に保存する。

平成七年十月十日  時宗 興国山 春光院 阿弥陀寺

 

真教寺

滋賀県草津市

コンクリート製の代替梵鐘

 

西福寺

滋賀県高島郡今津町

コンクリート製の代替梵鐘

刻銘

南無阿弥陀仏  総力必勝

碑文

昭和十七年十二月八日太平洋戦争のため径二尺三寸 百十貫の大鐘供出

其の時これが鐘楼を守る

同二十二年七月三十日梵鐘再鋳成り放置す

住職慶斉 之を惜しみ昭和五十七年六月十五日此処に安置す

施主  藤戸末造

 

鈴岳神社

岡山県高梁市

戦後、代替梵鐘として使用された松根油釜

鈴岳神社の神鐘

鈴岳神社の神鐘は、延宝八年(西暦一六八〇年)備中松山城主水谷出羽守勝明が鈴岳神社の氏子から、

神鐘鋳造の材料を収集し、神鐘を鋳造奉納したものと言い伝えられています。

その神鐘(二百八十八貫)は昭和十七年十一月十五日大東亜戦争の初期に、軍の命により強制的に供出

させられました。

以来、平成十一年八月十九日まで、代用品として松根油釜を吊るし五十七年、風雪三百二十年の鐘楼も

いたみがはげしくなりました。

そこで、鈴岳神社総代会は、いつまでも戦中戦後の遺物である松根油釜を吊るしていたのでは、敬神の

念に照らし誠に心苦しいものがあり、氏子 出氏子並びに崇敬者の御協力と御支援を得て、三百貫の神

鐘を平成十二年一月一日に完成し奉納したものです。

平成十二年十二月吉祥日

 

須崎寺

香川県高松市

自然石の代替梵鐘

 

本土決戦

更新日:2014/09/23