横浜海軍航空隊

 

沿革

昭和11年10月1日 日本で最初の飛行艇訓練基地として開設。九七式大艇や二式大艇などが順次配備された。

尚、航空隊の開設と同時に日本航空株式会社の南洋航路の基地ともなった。

 

九七式大艇

 

二式大艇

 

昭和16年夏、南太平洋に機動演習に出動した本隊は、そのまま戦闘配備につき開戦と同時に戦争に突入。

ハワイ・印度・アリュウシャン・豪州・ソロモンにわたる広大な戦域に作戦を展開した。

昭和17年 8月 7日、ガダルカナル諸島のツラギに本拠を置いて作戦中、アメリカ海軍機動部隊の襲撃を受

けて全滅。

戦争終期には、詫間航空隊に全飛行艇隊を集結して沖縄攻防戦に死闘を演じ、満身創痍全力を尽し果たして

戦の幕を閉じたのである。



 昭和20年 8月15日、終戦と同時に米軍に接収されて通信基地となり、朝鮮戦争やベトナム戦争では補給基地

となった。


 

富岡総合公園

神奈川県横浜市金沢区

横浜海軍航空隊 隊門

 

  

横浜海軍航空隊 隊門

 

  

浜空神社

由来

昭和十一年十月一日、飛行艇隊の主力として、横浜海軍航空隊が当地に開設された。その守護神として造営

されたのがこの浜空神社である。昭和二十年八月十五日、大東亜戦争終結後、当航空隊跡地は横浜市富岡

総合公園として生れ変ったのである。

浜空会では、特に願い出て、戦没者の鎮魂と恒久平和を祈念して、浜空神社の修復復興をはかり、全海軍飛

行艇隊の戦没者殉職者、約二千柱の御霊を合祀した。横浜航空隊は浜空神社を中心とした広大な陸上の敷

地と現在埋立てられた根岸湾水上の飛行艇発着場を専有していた。隊員約一千名、大型飛行艇二十四機を

有する海軍最大の飛行艇専門航空隊として、その威容を誇ったものである。

今なお隊門附近の桜並木と飛行艇大格納庫が当時を偲ぶ面影を残し、訪れる者に静かに語りかけてくれる。

時局の推移に伴い横浜航空隊から新たに東港航空隊が分立した。昭和十六年十二月八日大東亜戦争勃発

するや、この両隊は直ちに第一線に出動した。引続き第十四航空隊対潜専門部隊輸送教育等各精鋭飛行艇

隊が、横浜空を母体として誕生し第一線に、又後方に配備され、その強大な航続力を発揮して、洋上大遠距

離の哨戒・攻撃・輸送・救出・作戦等を展開し、ハワイ・印度・アリュウシャン・豪州・ソロモンにわたる広大な戦

域を駆け巡って、勇戦奮闘した。作戦上部隊名を八〇一空(横浜)、八五一空(東港)、八〇二空(十四空)、

九〇一空(対潜)等に変更し、戦争終期には兵力集中の為、詫間航空隊に全飛行艇隊を集結して、沖縄攻防

戦に死闘を演じ、満身創痍全力を尽し果たして、戦の幕を閉じたのである。

中でも横浜航空隊はソロモン最前線のツラギに進攻作戦中、強力な敵の反撃をうけて、昭和十七年八月、宮

崎司令官以下三三八名が壮烈な玉砕を遂げたのである。

富岡のこの地は、かくの如く誇りある海軍飛行艇部隊発祥の歴史をもっているのである。この事実を永く後世

に語り継がんが為、ここに記念碑を建立する次第である。

 

  

横浜海軍航空隊 浜空会 軍艦旗                           献木 山口県松陰神社の銀杏

 

浜空の碑

碑文(表)

大鵬渡海奏奇功  離島守防意気隆  衆寡難勝嗟惨々  至誠不抜憶濱空
      
碑文(裏)

この地に原隊を有せし飛行艇隊元横濱海軍航空隊は昭和十七年八月七日未明南太平洋ソロモン群島ツラギ

に於いて米軍の反攻上陸を受け二昼夜にわたる死闘の末 宮崎重敏司令外五百余名全員玉砕せり

これらの人々の冥福と恒久平和を祈念してこの碑を建立す

昭和六十一年四月吉日

 

  

浜空の碑

 

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浜空 鎮魂の碑除幕式

 

  

鎮魂 海軍飛行艇隊

濱空神社の碑

此処に横濱海軍航空隊の戦没者、物故者二千余柱の英霊をお祀りしていた「濱空神社」がありました。

名称は、古事記の「石楠船神」又の名「天鳥船」に因み、鳥は水鳥のように速く進むという意味の「船神」に由来する

ものです。

昭和十一年十月一日、この地に我が国における飛行艇部隊の本部として横濱海軍航空隊が開隊され、以来、「九

七式大艇」 や昭和十七年には世界最優秀艇と謳われた「二式大艇」が開発され、隊員は日夜猛訓練を続け、先の大

戦におきましては華 々しい戦果を挙げ、又の多くの隊員が祖国のために散華されました。

毎年四月と前線部隊がつらぎ島で玉砕された八月を記念して生存隊員並びに関係各位により、濱空神社で慰霊祭を

行い、 英霊に対し、鎮魂と慰霊の誠を捧げて参りましたが、戦後六十三年を閲し神社の社屋の老朽化と境内の清掃

などの維持管 理に当たる世話人の老齢化により、誠に残念ではありますが濱空神社を今後も維持管理することが不

可能となりましたので、 平成二十年四月六日の春の慰霊祭を最後に神社の社屋は追浜本町雷神社に移築して今後

の維持管理をお願いし、神社 の跡地にこの石碑を建立することになりました。

石碑正面の記号は、飛行艇の記号に音楽の終止符を織り込み「休める飛行艇」を意味する濱空会のバッジです。

此処に謹んで英霊に対して鎮魂の誠を捧げ碑文を賦します。

平成二十年八月吉日  世話人代表 加藤亀雄

 

雷神社

神奈川県横須賀市

雷神社に移築された浜空神社

 

     2007.08.05 浜空神社慰霊祭

     2008.04.06 浜空神社慰霊祭

     2008.0 8.03 浜空 鎮魂の碑除幕式

 

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神奈川県警 第一機動隊

神奈川県横浜市金沢区

  

横浜海軍航空隊 飛行艇大格納庫

 

日本飛行機

神奈川県横浜市金沢区

  

かつて九三式中間練習機(赤トンボ)、九四式水上偵察機、零式小型水上偵察機、九九式艦上爆撃機、局地戦闘機秋水などを製作した工場

 

船の科学館

東京都品川区

二式大型飛行艇

 

  

二式大型飛行艇

経緯

戦後35年間、米ノーフォーク海軍基地に保存されていたが、昭和54年4月米国議会において日本返還が承認。

現在は海上自衛隊鹿屋基地に移管されている。

 

本土決戦    玉砕の島

更新日:2008/08/05