備後護國神社

広島県福山市

 

 

 

 

 

歩兵第二三二連隊 藤六八六五部隊 慰霊

 

広島少飛会 陸軍少年飛行兵戦没者慰霊之碑

 

硫黄島戦没将兵慰霊碑

 

レイテ ミンダナオ島戦没者慰霊碑

 

レイテ ミンダナオ島戦没者 収骨記念植樹

 

拓魂碑

碑文

茨の道を切り拓き さきだち進む雄々しさに 嵐の中に 燃ゆる火を 掲げて進む凛々しさに

命捧げし尊さよ

この碑は昭和十三年から昭和十九年の間 広島県より送出された満州開拓青少年義勇隊約五千人のうち

中国大陸に於て短い生涯を終えた六七七柱の霊を祀り 再びかかる事の起こらないため 民族融和と恒久平

和を祈念して備後地区生還者によって建立されたものである

満州開拓の悲願に燃えて 勇躍決起した満州開拓青年義勇隊は 北満の広野において極寒酷暑と闘いながら

敢然と開拓の鍬を振う

然るに 壮途半ばにして或る者は病魔に冒され 或る者は洗浄に赴き 終には敗戦という歴史的大惨事に遭い 

君の悲願は一瞬にして壊滅した 拓友の多くは痛恨望郷の思いを込めて 異国の丘に骨を埋めた

嗚呼痛ましい哉

九死に一生を得て帰還した拓友相図り ここに碑を建て君の御霊を迎えて永遠に祀る

国策に殉じた君の開拓魂は 平和国家日本の礎石として永劫に光を放つであろう

昭和四十八年三月  元満州開拓青年義勇隊備後地区生還者一同

 

マリアナ慰霊碑

 

メレヨン島戦没者慰霊碑

 

メレヨン島戦没者慰霊碑合祀 江りい丸碑

 

ノモンハン戦没者慰霊碑

 

第六十五旅団戦没者慰霊碑

 

萬寶山之碑

 

シベリヤ抑留者慰霊碑

趣意書

一九四五年八月十五日大東亜戦争は出征兵士の五%の戦死者を数え終結した

ポツダム宣言第九条

日本国軍隊は完全に武装を解除せられたるのち各自の家庭に復帰し 平和的かつ生活的な生産を営む機会を

得しめられたるべし と定めたるもソ連政府は右条約に違反し 日本人を着の身着のままでシベリヤに連行拉致

し 自国の復興五ヵ年計画に駆り立て 残酷非道にも一日わずか黒パン五百グラムの食糧で 厳寒の中朝まだ

暗き内より夕闇せまるまで時間なき重労働を課し 為に栄養失調と防寒着なき厳寒の山野に労苦し凍傷に罹り 

万魁の恨みを呑みし死没者は戦争中の戦死者の倍率以上を数え 餓死者はシベリヤの凍土と化し 又復員後も

後遺障害に苦しみ日成らず他界せし同志も数多くあり 未だ遺骨収集もならず墓参もできぬ同胞の御魂をこの地

にお迎えし 永遠の眠り安かれと念じ 御鎮座碑建立す

全抑協 広島県連合会 福山支部 慰霊碑建立委員一同

 

東部ニューギニア方面戦没者慰霊碑

 

義勇奉公

 

鎮魂植樹 彼我之英霊

 

靖國の祈り

更新日:2010/11/06