和歌山県忠霊塔
和歌山県和歌山市
忠霊塔の由来
昭和15年9月、歩兵第61連隊の戦没将兵を葬った陸軍墓地の地に忠霊塔の建設が企画され、
昭和16年1月に完工し5月に竣工式が挙行された。その後、和歌山市当局は国道42号線から
忠霊塔外苑入口まで250mの参道を建設、全国に誇りうる忠霊塔の出現を見た。
昭和20年8月、終戦により状況は一変し、軍国主義復活を危惧する批判から忠霊塔の撤去が検
討されたが、「平和塔」と改称することにより最悪の事態は免れた。
昭和56年6月、祭典実施・遺族集会等のための平和会館が完成し、一階を戦争遺品・資料等を
保存展示するための平和祈念資料館として公開された。忠霊塔内に37,500余の英霊を合祀
している。
米軍MK25型機雷 内火艇の錨 掃海艇の錨鎖
説明板
この機雷は終戦前 我が国沿岸航路を封鎖するため米海軍が空中投下した約6,000個の中
の1個で昭和40年に大阪湾で引き揚げたものである。特に紀伊水道、大阪湾、関門海峡には
MK25が大量に投下され船舶に多くの被害を受けた。
@使用法
沈底機雷(海底に沈んでいる)。
A感応手段
磁気音響機雷(機雷の上を鉄鋼船が通過すると磁気を感知し爆発、又は船舶のエンジン・スク
リューの音響を感知して爆発する。)
B重量約
1屯、爆薬THN約500kg
ビルマ慰霊碑
碑文
茲に第二次世界大戦ビルマ戦線で散華された戦没者並びに同じ運命を辿られし連合軍戦没者のため
に生きながらえた我等発願して今日の平和の礎となられし諸士を偲び感謝し弥陀三尊を建立す。
願わくは、かかる悲惨なる戦争の無きことを祈願しつつ大慈悲の大願力に救われ永遠の幸の得んことを。
平和会館 平和祈念資料館
更新日:2004/10/24