丸子町・依田社・滝澤製糸場の社章 | 滝澤製糸場で使用されていた糸車。「かねワ」の刻印が入っています。 | 滝澤製糸場の跡地に建つ山印醸造(株)および同社と(株)明治との合弁会社である明治食品(株) |
社章は、昭和初期のものと思われる我が家に伝わる手拭からスキャンしました。「かねワ」が曾祖父の工場のトレードマークでした。アメリカへの輸出が主だった関係か、「YD」(YoDa)というアルファベットを配したモダンなデザインです。昭和61年に亡くなった祖母からは、昭和初期の世界大恐慌で凋落する前の丸子町の賑わいについて、自慢話をよく聞かされたものです。
私の曾祖父・滝澤寛は、大正から昭和初期にかけて、長野県小県郡丸子町腰越(当時)で製糸業を営んでいました。私の父もこの土地で生まれ育ち、私は子供の頃、夏休みになると腰越にあった父の実家に長期間滞在し、毎日のように依田川で水遊びをしていたものです。最寄りの国鉄駅であった信越本線大屋駅から丸子町まで、紺と白のツートンカラーの電車が走っていたことを、私はかすかに記憶しています。同線は1969年に廃止されました。
【参考になる文献】宮脇俊三編著「鉄道廃線跡を歩くII」, pp.88-89(JTBキャンブックス ISBN4-533-02533-1) |
腰越の全芳院に残る、滝澤寛の墓。 | 国道152号線沿いに今も残る父の生家。 | |
2017年9月10日撮影 | |||
- 「依田社」日本最古のPRフィルム:運動会の映像には、曽祖父の工場「かねワ」の女工たちも登場しています。
- 中外商業新報(現・日本経済新聞)1931年11月12日「没落の道程に喘ぐ信州の群小製糸家 依田社関係の流言は全く無根」(神戸大学附属図書館新聞記事文庫)
昭和初期の大恐慌により、「かねワ」が同月5日に閉場したことが報道されています。